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第三十三話 父が選ばなかった椅子

 冬鈴令の特別委員会に、父親代表の席を作る案が出た。


 保護者代表はすでにいる。だが、実際に発言するのは母親が多く、父親たちの参加はまだ少ない。薬帳を読むと言った洗濯屋の夫や、北境の父親たちの声を入れる必要があった。


 その席に、貴族院の一部がギルベルトを推した。


 理由は分かりやすい。


 侯爵であり、過去の過ちを公に認めた父親であり、冬鈴館にも関わりがある。見栄えもよい。制度改正に貴族男性の顔を加えたい者たちにとって、都合のいい椅子だった。


 私は本人に判断を任せた。


 ギルベルトは冬鈴館の庭で、リュシーと面会していた。


 今日の木彫りは、小さな兎だった。鳥よりさらに難しかったらしく、耳が左右で違う。


「うさぎ、へた」


 リュシーは容赦なく言った。


「分かっている」


「でも、うさぎ」


「ありがとう」


 その後、私は委員会の席の話をした。


 ギルベルトはしばらく考え、静かに言った。


「受けない」


「理由を聞いても?」


「私が座れば、父親代表の席が貴族の反省物語になる」


 私は少し驚いた。


 彼は続けた。


「私は証言するべきだった。だが、代表になるべきではない。薬帳を今も毎日読んでいる父親、仕事を休んで付き添っている父親、子どもの靴を乾かしている父親が座るべきだ」


「それを、ご自分で言えるようになったのですね」


「嫌味か」


「確認です」


 ギルベルトは苦笑した。


「委員会には、証言者として協力する。寄付も続ける。ただし、決定権のある席には座らない」


「リュシーに話しますか」


「話すほどのことではない」


 私は首を振った。


「話した方がいいと思います。父親が椅子を選ばないことも、子どもには意味があります」


 彼は考え、リュシーに向き直った。


「リュシー。お父様は、冬鈴令の偉い椅子に座らないことにした」


「えらいいす?」


「会議で決める人の席だ」


「おとうさま、すわらない?」


「座らない。もっと毎日子どもの世話をしている父親が座る方がいい」


 リュシーは兎の木彫りを見た。


「おとうさま、うさぎのれんしゅう?」


「そうだな。まず、うさぎの練習をする」


「じゃあ、いい」


 娘の判定は明快だった。


 その後、父親代表には洗濯屋の夫が選ばれた。


 彼は最初、尻込みした。


「俺は字も遅いし、貴族の前で話すなんて」


 ミレーヌが言った。


「字が遅いことは問題ではありません。薬帳を読んでいることが重要です」


 彼の息子は、夜に咳が出る。父親は毎晩、咳の回数を紙に正の字で書いていた。字は汚いが、記録は正確だった。


 ギルベルトは彼に自分の高級なペンを渡そうとした。


 洗濯屋の夫は困惑した。


「こんなもの、持てません」


 ギルベルトは少し考え、ペンを引っ込めた。


「では、紙を押さえる重しを持っていきます。風で飛ぶと困る」


「それなら助かります」


 二人の会話を見て、私は少しだけ笑った。


 かつてのギルベルトなら、与えることと支配することの違いが分からなかった。今は、相手が受け取れる形を探している。


 それは父としても、人としても、まだ練習中のことだ。


 夜、リュシーは兎の木彫りを枕元に置いた。


「うさぎ、へた。でも、にげない」


「どういうこと?」


「おとうさま、れんしゅう、にげない」


「そうね」


 私は布団を整えた。


 父親が偉い椅子を選ばなかった日。


 それも、冬鈴令の小さな前進だった。




 ギルベルトが席を断ったことは、貴族院では小さな波紋を呼んだ。


 逃げたと言う者もいた。責任を避けたと言う者もいた。逆に、殊勝な態度だと褒める者もいた。


 彼はその評判をどれも受け取らなかった。


「私が座らないことで、初めて見える父親がいるなら、それでいい」


 そう言って、洗濯屋の夫のために会議資料を写した。


 洗濯屋の夫は、最初は侯爵に資料を写させることに震えていたが、やがて慣れた。


「この字、読みにくいです」


「すまない」


「貴族の字は綺麗だと思っていました」


「私の字は急ぐと崩れる」


 二人のやり取りを見て、リュシーが言った。


「おとうさま、字も、れんしゅう」


 ギルベルトは深く頷いた。


「そのようだ」


 父親の練習項目は、また一つ増えた。



 洗濯屋の夫が初めて委員会に出た日、ギルベルトは傍聴席にいた。


 発言の途中で彼が言葉に詰まると、ギルベルトは身を乗り出しかけた。けれど、すぐに座り直した。


 代わりに、机の上の紙の重しをそっと押した。


 洗濯屋の夫は自分の言葉で続けた。


「父親は、子どもの咳を聞いてからでないと、分からないことがあります。だから、聞く時間を制度に入れてください」


 その発言は、立派ではないが強かった。


 ギルベルトが座らなかった椅子に、必要な声が座った。


 その後、ギルベルトは本当に紙の重し係をした。


 風が強い日、会議室の窓際で配布資料がめくれると、彼は黙って端を押さえた。誰も拍手しない。感謝の言葉も短い。


 けれど、彼は不満を言わなかった。


 父親としてやり直すことは、目立つ椅子に座ることではない。娘が必要としない時には、ただ邪魔をしないことでもあるのだ。

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