第五話 王都法院の一時保護命令
翌朝、旧温室館には王都法院の紋章が入った馬車が到着した。
リュシーは朝食の後、窓辺でマーサに小さな木箱を見せてもらっていた。中には冬鈴草の種が入っている。丸い種を指先でつつきながら、娘は「おはなのたまご」と真剣に言った。
その声を聞きながら、私は応接室で法院書記官と向かい合った。
書記官は中年の女性で、灰色の髪をきっちり結い上げていた。名前をミレーヌという。彼女は私の持参金目録、診断書、発熱記録、南翼療養室の領収書を順に確認し、一つずつ写しを取った。
「記録がよく整っています」
「必要になるかもしれないと思っていましたので」
「多くの方は、必要になってから探し始めます」
ミレーヌ書記官は少しだけ表情を緩めた。
「幼児の療養環境について、担当医師の意見書も届いています。北翼の客間への移動は望ましくない。南翼療養室と同等の温度管理が必要。おおむね、奥様の主張を裏づける内容です」
「では、リュシーはここにいられますか」
「本日付で一時保護命令が出ます。調停開始まで、侯爵家はリュシー様を連れ戻すことができません。面会については、医師と監察官の許可が必要です」
私は椅子の背に手を添えた。
体から力が抜けすぎると、逆に立っていられなくなる。そんなことを前世の仕事で知っていた。子どもの熱が下がった朝、保護者に引き渡した後で、ようやく自分の手が震えることに気づいたことがある。
「よかった」
小さくそう言うと、隣にいたハンナが目を伏せた。彼女も息を止めていたのだろう。
ミレーヌ書記官は次の紙を広げた。
「ただし、侯爵家からはすでに抗議文が届いております。内容は、妻による無断別居と幼児の連れ去りです」
「予想していました」
「相手方は、あなたが嫉妬により療養中の客人を追い出そうとした、と主張しています」
ハンナの眉が動いた。
私は手元のカップを持ち上げた。中の茶はまだ温かい。焦って飲むと喉に引っかかるので、一口だけにした。
「客人を追い出そうとはしていません。南翼の部屋を使うなら、私とリュシーは出ると伝えました」
「その発言を聞いた証人はいますか」
「食堂の給仕が二名。侍女が一名。リリア様ご本人もいらっしゃいました」
「リリア様が証言なさるかは分かりません」
「期待しておりません」
自分でも少し冷たい声だった。
けれど、期待しないことは恨まないことでもある。リリアに良心があるかどうかを考えている暇はない。私は娘を守るための材料を積むだけだ。
その時、廊下からリュシーの声がした。
「おかあさま、たまご、うえたい」
マーサが慌てて止める声も聞こえる。
「お嬢様、お母様は今お仕事中ですからね」
「しごと?」
「大事なお話です」
私は思わず微笑んだ。
ミレーヌ書記官も、かすかに口元を和らげた。
「失礼。娘が」
「構いません。子どもの声がする場所で、子どものための書類を扱うのは悪くありません」
彼女はそう言ってから、最後の書類に法院の印を押した。
「ノエリア様。あなたの行動には、今後も反論が出ます。社交界では、母親が夫を捨てた、家を乱した、客人に嫉妬した、と言われるでしょう。ですが、法院が見るのは噂ではありません。記録、証言、子どもの状態です」
「はい」
「感情を書けば、文書の信頼性が落ちます。怒りは別の紙に書きなさい。提出する紙には、事実を書きなさい」
その言葉に、私は深く頷いた。
怒りはある。夫に対して、屋敷に対して、前世で泣いた物語に対しても。
でも、怒りでリュシーの毛布は温まらない。
私は書類を受け取り、ミレーヌ書記官に礼をした。
「事実を書きます」
その日の午後、王都法院からレーヴェルト侯爵家へ一時保護命令が届けられた。
ギルベルトがそれを読んだ時、彼の顔は青ざめたという。
けれど、私がその報告を受けたのは、リュシーと一緒に冬鈴草の種を小さな鉢へ植えた後だった。
「おはな、いつでる?」
「春になったら」
「はる、くる?」
「来るわ」
私は娘の泥のついた指を拭いた。
「寒い冬にも、春はちゃんと来るのよ」




