第5話 限界!辞めさせていただきます(職務編)
一ノ瀬の目の前には山のように書類が積んである。
外を見れば月が出て、辺りを明るく照らしていた。
ここ数日、ろくに寝ていなかった。
毎度のことだが、外での職務の後、書類仕事が全く追いつかない。
「そろそろ、外回りを辞めるべきかなのかもしれない」
でも、自分には剣しかとりえがない。
ここで書類仕事だけになれば、自分ではなくなってしまう。
――「副隊長の方を、辞めるべきか」
一ノ瀬の目が見開かれた。
そうだ。
副隊長を辞するべきだ。
「ということなので、僕はこれから、ただの隊士になります」
そう言うと、相良と黒崎の前で頭を下げた。
「お前は馬鹿なのか?」
黒崎の氷のような目が一ノ瀬を射抜く。
「すまん。
医者を呼んでくれ」
相良は廊下を歩く隊士を呼び止めた。
「馬鹿でも病気でもありません。
真剣に考えた結果、至った答えです」
一ノ瀬はその場で手を揃え、姿勢を正した。
「嫁に行く前の親への挨拶みたいだな」
相良が目を細めた。
「あとね」
ふいに、一ノ瀬は黒崎の目を覗き込む。
「僕が警察隊の副隊長を続けるとしたら、黒崎さんの僕に対する態度はおかしいと思うけど」
確かに、黒崎の方が立場は下だ。
「お前への態度を変えろというなら、副隊長を辞めろ」
黒崎は納得した。
「変な判断基準で物事を決めるな」
相良がため息をついた。
「それより、なぜ急に、副隊長を辞めたいと思った?
お前の能力に見合った地位だと思うが」
一ノ瀬は下を向いた。
「能力って、剣の腕のことですか?」
声が小さくなる。
「いや」
相良はあぐらをかいて、頭をかいた。
「お前の判断力、統率力、分析力も全てだ」
(紫苑の働きは大きい。抜けられては困る)
相良には、何が不満なのか検討もつかない。
「僕は……」
下を向く。
机の上に山のようにたまった書類を思い出した。
ぐちゃぐちゃの机のひきだしも。
開けてない手紙の山も。
全部限界だった。
「辞め……たい」
黒崎が息をのむ。
相良の顔が驚愕に歪む。
部屋が静まり返った。
「すみません。
ちょっと疲れてるみたいで……
失礼します」
急いで立ち上がると、障子を開け放ち、そのまま足早に部屋を出て行った。
「まさかですが……」
黒崎が口元を抑える。
「あの紫苑が、警察を辞めるだと?」
相良はあまりの衝撃に後ろにひっくり返った。
清雅は一ノ瀬を探していた。
第一隊の配置を一ノ瀬が決めていたが、確認したいことがあったのだ。
「清雅!」
ふいに、角を曲がったところで、相良に大声で呼び止められた。
「紫苑を知らんか?」
ドタドタと足音を立てて近づいてくる。
「私もちょうど探していたところです」
相良の顔に焦りの色をよみとり、清雅は眉を寄せる。
「何かありましたか?」
「ああ」
相良は清雅に顔を近づけ、珍しくひそひそ声で話しかけてきた。
「最近、紫苑に変わった様子はなかったか?」
「変わった様子……」
清雅は顎に手をやり目を瞑る。
「あ……」
思い出したように手を打った。
「なんだ?」
「一ノ瀬さん、本が買えないって言っていました」
「本が……買えない?」
相良が眉を潜める。
「今の警察の給金では本も買えないと……」
言って口元を手で抑える。
(余計なことを言ってしまったか?)
「馬鹿な」
相良は舌打ちした。
「そんなわけあるか」
イライラしたように頭の後ろを掻きむしる。
「つまり、本も買えないことに不満を感じていたと?」
再度、清雅に詰め寄った。
「不満……かどうかは、わかりませんが……」
本屋で働いていたのは間違いない。
だが、それは言わない方が良いような気がした。
「実は、紫苑が……」
言いかけた言葉を相良は飲み込んだ。
「いや、
いい。
本……だな。わかった」
言うと、清雅の肩を叩き、そのまま無言で清雅の横を通り過ぎて行った。
―― 早朝
誰もいない廊下。
一ノ瀬はその隅に座り込み、庭を見ていた。
早番の者もまだきていない。
珍しく気持ちが前を向かなかった。
一ノ瀬がため息をついた時
「部屋に入らないんですか?」
優しい、聞き慣れた声が降ってくる。
顔を上げて声の主を見た。
「なんだ。
丸山くんか」
丸山は軽く笑うと一ノ瀬の横に自分も座り込んだ。
丸山は、一ノ瀬の第二隊の副隊長だ。
一ノ瀬とは二年ほどの付き合いになる。
「悩んでいるんですか?」
丸山が前を向いたま話しかけてくる。
「そう見える?」
「はい」
丸山は笑った。
「全身から滲み出ています」
「そう」
二人はしばらく並んで庭を見ていた。
「書類の仕事ですが」
丸山が重い口を開いた。
「私にもやらせてもらえますか?」
一ノ瀬は驚いて丸山を見た。
「私が判断できぬ物もあると思いますが」
丸山は続ける。
「その方が、きっと第二隊のためにもなると思います」
一ノ瀬の顔がみるみる明るくなる。
「お願い!」
「…… 早!」
「それなら、僕も警察の副隊長を辞めずに済む」
「……
??
辞めるつもりだったんですか!!!?」
丸山が引いた。
「書類……
正直、見るのも嫌になってきた」
「机の上、ひどい有様ですよ」
「机の上に置かれた、紙の束を見るだけで、ここを出て行きたくなる」
丸山はため息をついた。
「これからは、そこまで追い詰められる前に、ひとこと相談してください。
今、机の上にある資料、分担して片付けてしまいましょう」
一ノ瀬は、いつもの笑顔で丸山を見つめる。
「丸山くん、
本当にありがとう!」
全ての悩みが解決した、そんな清々しい笑顔だった。
一ノ瀬は意気揚々と部屋の障子を開け放つ。
これからは、丸山くんと一緒にやっていけばいい。
全てを自分の仕事と思わなくても良いのだ。
とりあえずは、今ある仕事から二人で……
机の上を見る。
「……」
一ノ瀬の机の上には、
山盛りに置かれた書類のさらに上に、山盛りに置かれた本が置いてあった。
机の上が、書類と本で、地獄のように埋め尽くされている。
一番上に置かれた本の山の上に、太い墨字でかかれた紙がはられてある。
一ノ瀬はそれを手に取った。
「すべて お前のものだ」
相良の字。
「相良さん……」
一ノ瀬は、その場に崩れ落ちた。




