第9話 冬至梅の覚醒
第9話 冬至梅の覚醒
冬の王都は美しかった。
白い雪が石畳を覆い、街路樹には氷の結晶がきらめいている。冷たい空気は澄み切り、青空はどこまでも高かった。
その王都の特区に、一つの温室があった。
巨大なガラス張りの建物。
中へ入ると外の寒さが嘘のように和らぐ。
土の香り。
若葉の香り。
花の甘い香り。
そこには数え切れないほどの植物が育てられていた。
「順調ですね」
エルザは微笑んだ。
濃い緑色のドレスに白い毛皮のケープを羽織っている。
長い髪は後ろでまとめられ、以前よりも表情が柔らかい。
彼女の前には若い研究員たちがいた。
「冬至梅種の生育率が四十パーセント向上しました」
「寒冷地用薬草も成功です」
「春には量産できます」
次々と報告が届く。
エルザは頷いた。
「素晴らしい成果です」
その声には自信があった。
かつて公爵邸では見せなかった顔だった。
彼女が立ち上げた事業。
寒冷地向け魔導植物育成事業。
冬至梅の魔力を応用し、極寒でも育つ作物や薬草を生み出す研究である。
最初は誰も信じなかった。
だが今では違う。
各地の領主たちが契約を求めている。
王立銀行も全面支援を決定した。
王都経済新聞はこう書いた。
『冬を利益へ変える女』
『会計魔導士エルザの奇跡』
もちろん。
エルザは奇跡など起こしていない。
数字を見た。
計算した。
努力した。
ただそれだけだった。
昼休み。
温室の一角で昼食を取る。
焼きたてのパン。
野菜たっぷりのスープ。
香草を添えた鶏肉。
研究員たちも同じテーブルを囲む。
笑い声が響く。
「所長」
若い女性研究員が尋ねた。
「どうしてこんなに頑張れるんですか?」
エルザは少し考えた。
そして微笑む。
「好きだからかしら」
「植物が?」
「仕事も」
窓の外を見る。
白い雪景色。
その向こうに青空。
「冬も」
研究員たちは驚いた。
普通の人は冬を嫌う。
寒い。
暗い。
厳しい。
だがエルザは違う。
冬至梅の守護を持つ彼女にとって、冬は恐れる季節ではなかった。
咲く季節だった。
午後。
来客があった。
王都有数の大富豪。
ルーカス・ヴァンデル。
四十代半ばの実業家である。
背の高い男性だった。
上質な黒のコート。
銀縁眼鏡。
穏やかな笑み。
だが目は鋭い。
成功者の目だった。
「エルザ様」
「ルーカス様」
二人は握手を交わした。
応接室で紅茶が運ばれる。
香り高いダージリン。
焼き菓子。
果実のタルト。
ルーカスはしばらく世間話をした。
そして小さな箱を差し出した。
「これは?」
エルザは首を傾げる。
「開けてください」
ゆっくり蓋を開く。
その瞬間。
息が止まった。
そこにあったのは。
冬至梅の首飾り。
あの日。
オークションで失われた家宝だった。
「どうして……」
声が震える。
数か月ぶりだった。
感情が揺れたのは。
ルーカスは微笑む。
「買い戻しました」
「ですが……」
「あの日の競売に私もいたのです」
彼は紅茶を一口飲んだ。
「あなたの顔を見ていました」
静かな声だった。
「本当に大切な物を失う人の顔でした」
エルザは首飾りを見つめる。
母の思い出。
一族の歴史。
失われたと思っていた宝物。
「なぜ私に」
ルーカスは肩をすくめた。
「投資です」
「投資?」
「私は利益が出る相手に投資します」
そして真っ直ぐ彼女を見る。
「あなたは必ず成功する」
その言葉に嘘はなかった。
媚びもない。
下心もない。
ただ純粋な評価。
能力への敬意。
エルザは気付く。
これまで自分は。
こんなふうに見られたことがなかった。
公爵夫人として。
便利な会計係として。
強い女として。
扱われることはあった。
だが。
一人の人間として尊重されたことは少なかった。
「ありがとうございます」
自然と笑みがこぼれる。
心からの笑顔だった。
夕方。
王都貴族会館。
新事業成功を祝う晩餐会が開かれていた。
煌びやかなシャンデリア。
美しい音楽。
料理の香り。
海老の前菜。
牛肉のロースト。
冬野菜のグラタン。
苺のデザート。
多くの貴族が集まっている。
だが空気が違った。
公爵邸の夜会とは。
誰もエルザを軽んじない。
誰も利用しようとしない。
むしろ。
話を聞きたがる。
知恵を学びたがる。
「新事業の計画をぜひ聞かせてください」
「寒冷地農業について相談が」
「共同事業はいかがでしょう」
次々と声がかかる。
エルザは一つ一つ丁寧に答えた。
楽しかった。
本当に。
久しぶりに。
会場の窓から夜空が見える。
雪が降っている。
静かに。
優しく。
その光景を眺めながらエルザは思う。
不思議だった。
以前は冬が怖かった。
孤独だった。
寂しかった。
今は違う。
冬は冷たい。
厳しい。
だが。
だからこそ空気は澄んでいる。
余計なものがない。
嘘もない。
偽りもない。
窓ガラスに映る自分を見る。
そこには以前よりも美しい女性がいた。
公爵夫人ではない。
誰かの妻でもない。
エルザ自身だった。
胸元では冬至梅の首飾りが静かに輝いている。
『開花を確認』
守護植物の声が響いた。
『生育良好』
『個体状態最適』
エルザは小さく笑った。
窓の外には雪。
そして星空。
冬至梅は春を待たない。
冬に咲く。
だから今。
彼女は人生で最も美しく咲いていた。




