表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽聖女と断罪された私、聖水の正体は祈りではなく〈濾過〉でした 〜辺境の井戸を澄ませていたら、王都の聖水が濁りはじめましたけれど〜  作者: 白鷺ユウ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/12

第7話 水の絵図

 板に、炭で線を引く。


 羊皮紙は高い。館の書記に一枚もらえるか聞いたら、顔色が変わった。だから、大工に薄い板を削ってもらった。炭なら、いくらでもある。


 まず、セドラの町。丸を一つ。


 その北に、泉。徒歩一刻半。


 町の西を、川が流れている。サルド川という。上流は北東の丘のほうから来ていて、下流は隣の領へ抜ける。


 わたしは川の線を引いて、その両脇に、井戸の丸を置いていった。


「これ、なに」


 ノラが板を覗き込んだ。朝、砂を掻き終えたところだ。約束どおり、この子は毎朝来る。


「絵図です。水の」


「地図でしょ」


「地図は、道と町を描きます。これは水だけです」


 ノラは板の上の丸を数えた。


「まだ六つしかないじゃん」


「十九まで描きます」


「十九?」


「領内の井戸の数です。閣下が仰いました。涸れかけが七、鉄気が四」


「よく覚えてんね」


「三年前に、王都の書庫で読みました」


 ノラは、変な顔をした。


「三年前のこと、そんな覚えてる?」


「水のことだけです」


 東の村へは、荷車で半日かかった。


 メジエという。麦と、ほんの少しの葡萄を作っている村で、家が十二軒。井戸は一本きり。


 覗くと、水面が遠かった。


 桶を落として、引き上げる。上がってきた水は、赤い。


「鉄気ですね」


「鉄が入ってんの?」


「鉄の匂いのする水です。飲んでも死にませんが、煮ると鍋が黒くなります。長く飲むと、腹に来ます」


「セドラのと、どっちがひどい」


「ここのほうが」


 村の女が、遠巻きにこちらを見ていた。井戸端に立つ余所者を、警戒しているのではない。ただ、疲れている顔だった。


「その水は、飲まないほうがいいよ」


 女が言った。


「うちの子は、それで歯が黄色くなった」


「洗い物には」


「洗い物にゃ使う。白いものは、洗わない」


「白いものを洗うと、どうなりますか」


「赤くなる」


 女はそれだけ言って、家の中へ入ってしまった。


 赤くなる。だから麻の粗い布はあっても、晒しの白い布はこの村に無いのだ。仕立屋が「赤子の肌着に使うやつ」を一枚多くくれたのは、セドラだったからだ。


 わたしは板を出して、メジエの丸を描き足した。丸の横に、小さく点を三つ。鉄気の印だ。


「あんた、それ描いてどうすんの」


「どの井戸が、どういう順で悪くなっているかを見ます」


「見て、どうすんの」


「……まだ、分かりません」


 ノラは、ふうん、と言った。


「分かんないのに描くんだ」


「描かないと、分からないままですので」


 その帰り、街道で荷馬車とすれ違った。


 四頭立て。荷台に樽が並んでいる。樽の腹に焼き印。麦の穂と、水を表す波の意匠。


 樽から、水の匂いがした。


 御者台の男が、こちらを見て会釈をした。人のよさそうな、丸い顔の男だった。


 荷馬車が止まった。


「そこの方。乗っていきなさるか。セドラまでなら、送りますが」


「歩けますので」


「遠慮しなさんな。帰りは空樽だ、荷は軽い」


 空樽。


 わたしは荷台を見た。樽は八つ。縄でしっかり縛ってある。


 それから、道の土を見た。


 轍が、深い。


「有難うございます。けれど、井戸を見ながら参りますので」


「井戸」


 男の目が、ほんの少しだけ動いた。丸い顔のまま、目だけが動いた。


「井戸なんぞ見て、面白うございますか」


「面白くはありません。仕事です」


「そりゃあいい」


 男は笑って、鞭を鳴らした。


「井戸が仕事になる土地ですからな、ここは」


 荷馬車が行ってしまってから、ノラが言った。


「水屋」


「水を売っているのですか」


「ベルナーさんとこの。北のいい泉から汲んでくるんだって」


「北の泉」


「あんたが行った方じゃなくて、もっと北の。荷馬車で二日」


 わたしは板を見た。北のほうは、まだ白い。


「おいくらですか」


「樽一つで、冬は二十スー。夏は……六十」


 わたしは、歩きながら足を止めた。


「三倍ですか」


「夏はみんな飲むから、しょうがないって」


「値が上がるのは分かります。三倍は、上がりすぎです」


「そう?」


「はい。運ぶ手間は夏も冬も同じです。上がるとしたら、水そのものが減ったときだけです」


 ノラは黙った。


 それから、少し低い声で言った。


「去年の夏は、八十だった」


 わたしは板を持ち直した。


 炭で、街道の脇に小さく印を打つ。荷馬車の印だ。


 この印が何になるのかは、まだ分からない。分からないものも、描いておく。


 印の横に、もう一つだけ書き足した。


 ——轍、深し。


 それから四日かけて、わたしは十九の丸を全部埋めた。


 涸れかけが七。数えたら、本当に七つだった。鉄気が四つ。これも合っていた。三年前の記録が、今も合っている。誰も直していないということだ。


 絵図が埋まると、形が見えてきた。


 涸れかけの七つは、ばらばらに散っているのではない。サルド川の東側に、六つ寄っている。


 鉄気の四つは、川の西。


 わたしは板を膝に載せて、しばらく見ていた。


 水は、上から下へしか流れない。


 だから、下で起きていることには、必ず上に理由がある。


 川の東側の井戸が涸れかけているなら、東側の地下の水が減っている。地下の水が減るのは、雨が降らないか、あるいは、どこかで先に取られているか。


 わたしは炭を持ち上げて、川の線を上流へ辿った。


 丘のあたりで、線が途切れた。


 そこから先を、わたしは知らない。


 夕方、館で絵図を見せた。


 辺境伯は卓に板を置いて、両手をついて覗き込んだ。しばらく、何も言わなかった。


「これを、四日で」


「歩いた分だけです」


「私は八年ここにいるが、こういう形で見たことがなかった」


 彼は指で川の線を辿った。わたしがさっき辿ったのと、同じ方向に。


 そして、同じところで指が止まった。


「ここから上は」


「存じません」


「行っていないのか」


「行けませんでした。道が途中で無くなっておりました」


 彼は指を、板の白いところに置いたままにした。


「トゥールの丘だ」


「人は住んでおられますか」


「オーヴという村があった。私が来る前に、皆いなくなったと聞いている」


「いなくなった」


「水が出なくなったそうだ」


 部屋の隅で、家令が羽根を止めた。


 わたしはそちらを見た。老人は帳面に目を落としたまま、動かない。


「ご存じですか、オーヴのことを」


「……いえ」


 家令はそう言って、羽根を持ち直した。持ち直すのに、少し手間取っていた。


 この人は四十年この館にいると聞いている。オーヴが無人になったのはご自分が来られる前のことだと、閣下は仰った。閣下が来られる前のことなら、この家令は知っている。


 知っていて、いえ、と言った。


 わたしは顔を上げた。


「上流の村が、水に困るのですか」


 辺境伯が、こちらを見た。


 彼も、たった今それに気づいた顔をしていた。


 上流は、いちばん先に水が来る場所だ。そこが涸れることは、ある。ないとは言えない。


 だが、いちばん上が涸れて、いちばん下が濁っているなら。


 あいだに、何かある。


「明日、行ってみます」


「一人では行くな」


「では、ノラを連れて参ります」


「そういう意味ではない」


 彼は少し困った顔をした。この人が困るところを見たのは、たぶん初めてだった。


「……私が行く」


「お忙しいのでは」


「忙しい」


 彼は板を持ち上げて、灯りに透かした。炭の線が、光に薄く浮かんだ。


「忙しいが、行く」


 わたしは頭を下げた。


 板を受け取って、部屋へ戻る途中、廊下の窓から北を見た。


 夜の丘は、ただ黒い。


 絵図の上には、まだ何も描かれていない場所が一つ残っている。


 水が、どこへ行ったのか。


 そこだけが、分からない。

【今日の水】メジエ村の井戸。赤く、鉄の匂い。煮ると鍋が黒くなります。


お読みいただきありがとうございます。


主人公が板に炭で描いているのは、いわゆる水系図です。何が悪いかを当てるより先に、どこがどう悪いかを並べて描く。そうすると、絵のほうが先に答えを出してしまうことがあります。


次話——舞台がいちど王都へ飛びます。あの断罪の日から、ひと月あまりが過ぎた大聖堂の朝です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ