表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽聖女と断罪された私、聖水の正体は祈りではなく〈濾過〉でした 〜辺境の井戸を澄ませていたら、王都の聖水が濁りはじめましたけれど〜  作者: 白鷺ユウ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/17

第3話 祈っておりません、濾しただけです

 炭は、鍛冶屋にあった。


「炭ならあるが、いい炭だぞ」


「焼き直したものが要るのです。一度おこして、赤くして、それから土で伏せて消したもの」


 鍛冶屋の親父はしばらくわたしを見ていたが、やがて「消し炭か」と言って、奥から籠を出してきた。黒くて軽い、崩れやすい炭。


「そんなもの、何にする」


「水に使います」


「水」


 親父は籠を渡しながら、ふん、と鼻を鳴らした。信じてはいない。ただ、消し炭は屑だ。屑をやるのは惜しくない。それだけの顔だった。


 布は仕立屋でもらった。


「端切れでよろしいので」


「端切れならいくらでもあるが、あんた、繕い物かい」


「いいえ。二種類ください。目の粗いものと、できるだけ細かいもの」


 仕立屋の女は、棚から二束を出して並べた。麻の粗いのと、晒しの細かいの。


「細かいほうは、赤子の肌着に使うやつだよ」


「ちょうどいいです」


 女はわたしの顔をしばらく見て、それから細かいほうを一枚多く足した。


「なんだか知らないけど、足りないより余るほうがいいだろ」


 この町の人は、そういうところがある。理由を聞かずに一枚多くくれる。王都では、理由を聞かれて、聞いたあとで断られた。


 砂は、町はずれの川原から。


 わたしは膝をついて、砂を掬っては水にさらした。濁りが流れる。もう一度。まだ流れる。三度目で、洗い水がほとんど濁らなくなった。


「何やってんの」


 ノラだった。土手の上から見下ろしている。


「砂を洗っています」


「砂を洗うって何」


「砂を洗うと、水が澄みます」


「意味わかんない」


「そうでしょうね」


 ノラは土手を降りてきた。しゃがんで、わたしの手元を覗き込む。


「……三回目じゃん、それ」


「見ていましたか」


「べつに」


 と言いながら、ノラは自分の桶を置いて、砂を掬った。真似をして、水にさらす。濁りが流れる。


「まだ濁ってる」


「ええ」


「あと何回」


「洗い水が澄むまで」


 ノラは黙って、もう一度さらした。


 二度、三度と繰り返すうちに、この子の手つきから力が抜けていった。掬う量が、だんだん同じになっていく。


 広場へ戻ったのは、日が傾きはじめた頃だった。


 桶は三つ。上から順に置く。


 いちばん上の桶の底に、錐で穴を開けた。仕立屋でもらった目の粗い布を敷く。その上に、洗った砂。厚く。指の三本ぶん。


 次に、砕いた消し炭。手のひらで押さえて平らにする。粉が舞って、指がまた黒くなる。


 その上に、また砂。


 指を挿し入れて、厚みを測る。指の三本ぶん。厚ければ、水はいつまでも落ちてこない。薄ければ、濁ったまま素通りする。


 いちばん上に、目の細かい布。


 二つ目の桶を下に置いて、受ける。


 三つ目の桶に、井戸の水を汲む。灰色の、鉄と粘土の水。


 人が集まってきていた。列に並んでいた人たちだ。誰も声を出さない。


 わたしは井戸の水を、布の上へ、細く落としはじめた。


 一気に注いではいけない。砂の層が崩れる。


 細く。細く。


 最初のうちは、何も落ちてこなかった。砂が水を吸っている。


 誰かが「やっぱりな」と言った。


 ノラが振り返って、その方向を睨んだ。


 わたしの隣に来て、小さな声で言った。


「まだ?」


「まだです」


「どのくらい」


「砂が湿るまで。乾いた砂は、先に自分が飲みます」


「砂が飲むの」


「そういうものです」


 ノラは桶の縁に顎を載せて、下から覗き込んだ。何も落ちてこない。


「……ねえ」


「はい」


「これ、うまくいかなかったら、あんたどうすんの」


 いい質問だった。この子は、うまくいかない可能性を数に入れている。広場の大人は誰も入れていない。信じていないか、あるいは端から諦めているかの、どちらかだからだ。


「もう一度やります」


「それでも駄目だったら」


「砂を替えて、もう一度」


 ノラは、ふうん、と言った。


 やがて、下の桶に音がした。


 ぽつ。


 一滴。


 落ちた。


 わたしは注ぐ手を止めなかった。


 ぽつ、ぽつ、ぽつ。ぽつぽつ。線になる。


 下の桶に、水が溜まりはじめた。


 誰かが息を呑んだ。


 澄んでいた。


 夕方の光が斜めに差して、桶の底の木目が見えた。灰色ではない。金気の膜も浮いていない。


「……嘘だろ」


 鍛冶屋の親父の声だった。いつのまにか、いちばん前に来ている。


 わたしは注ぎ終えて、上の桶を横へどけた。下の桶を両手で持ち上げ、光にかざす。


 濁りは、ない。


 匂いを嗅ぐ。鉄の匂いが、ほとんど消えている。


 柄杓で一杯すくって、舌先に載せた。


 まだ少し金気が残る。二度通せば消えるだろう。けれど、飲める。


「飲めます」


 声が、思ったより大きく出た。


 誰も動かなかった。


 当然だ。今まで灰色だったものが澄んだからといって、いきなり口に入れる者はいない。信じるというのは、そういうふうにはできていない。


 人の輪が割れた。


 辺境伯が歩いてきた。


 黒い外套。土埃。首筋の引き攣れた痕。


 彼は桶の前に立って、中を見た。それから、わたしを見た。


 わたしは柄杓を差し出した。


 この人は、飲まないだろうと思った。飲めないのだ。昼に見た。半分も飲まないうちに、喉が鳴って、咳が出た。あれは水が悪いからだけではない。喉そのものが、ざらついたものを通せない。


 だから、飲まないだろうと。


 辺境伯は柄杓を受け取った。


 そして、飲んだ。


 一口。


 止まらなかった。


 二口。三口。喉が動いている。咳は、出ない。


 彼は柄杓を空にした。


 それから、しばらく何も言わなかった。空の柄杓を持ったまま、桶の底を見ていた。手が、少し震えていた。


 誰も、桶を置く音を立てなかった。


「……もう一杯、いただけますか」


 掠れた声だった。


 わたしは柄杓を取って、もう一杯すくった。


 彼はそれも飲んだ。


 二杯目を飲み終えて、彼は口元を手の甲で拭った。それは昼に咳を押さえたのと同じ仕草だったが、意味が違っていた。


 誰かが泣いていた。


 鍛冶屋の親父が、両手で顔を覆っていた。


「聖女さまだ」


 誰かが言った。


「聖女さまが来なさった」


「浄めの奇跡だ」


「王都の聖女さまだ、やっぱり」


 声が広がっていく。人が膝をつきはじめる。誰かがわたしの足元に手を伸ばした。


 ——ああ。


 また、これだ。


 わたしは、三つの桶を見た。砂と、炭と、布。川原で三度洗った砂。屑としてもらった消し炭。仕立屋の端切れ。


 どれ一つ、奇跡ではない。


 わたしは膝をついている人の前にしゃがんだ。


「祈っておりません」


 その人が顔を上げた。


「濾しただけです」


 言葉が、広場の石にぶつかって落ちた。


 誰も、意味が分からないという顔をしていた。


 辺境伯だけが、桶の三つの重なりを見ていた。上から順に、目で辿っている。穴。粗い布。砂。炭。砂。細かい布。


 彼が顔を上げた。


「もう一度、やってみせてもらえますか」


「何度でも」


 わたしは立ち上がって、袖をまくり直した。


「それに、お教えできます。誰にでも」


 その日、広場の井戸の前に、桶が三つ並んだままになった。


 夜になっても、人が見に来ていた。誰も触らなかった。触ってはいけないものだと思っていたからだ。


 そして三日後、その話は坂の上の修道院に届き、修道院から神殿へ、神殿から王都へ、手紙になって運ばれていくことになる。


 わたしはまだ、そのことを知らない。

【今日の水】セドラ広場の井戸、一度通し。金気わずかに残り。飲めます。


お読みいただきありがとうございます。


砂・炭・砂の三層は、実際にある古い浄水の手順です。特別な材料は一つもありません。だからこの話の主人公は、最初から誰にでも技を渡せます。渡した先で受け取ってもらえるかは、別の話ですが。


次話——「奇跡の記録を取りに来ました」。坂の上から、人が下りてきます。


ここまで面白いと思っていただけましたら、ブックマークで応援ください。いただいたぶんは、布代に充てさせていただきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ