表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽聖女と断罪された私、聖水の正体は祈りではなく〈濾過〉でした 〜辺境の井戸を澄ませていたら、王都の聖水が濁りはじめましたけれど〜  作者: 白鷺ユウ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/12

第10話 巡察使

 巡察使は、四日目の昼に着いた。


 馬が六頭。荷馬車が一台。灰色の衣が三人と、剣を提げた者が四人。


 町の人は道の両側に寄って、頭を下げていた。誰も声を出さない。王都の紋が入った旗が、風もないのに立てて運ばれていた。


 先頭を歩いてきた方が、シメオン司祭だった。


 四十半ば。背は高くない。痩せていて、頬がこけている。目つきが鋭いのではなく、まばたきが少ない。それだけで、人はこの方を怖いと思う。


 館の広間で、わたしは呼ばれた。


 卓を挟んで、シメオン司祭。その後ろに書記が二人。わたしの隣に、辺境伯。


「リゼット・オルレンド」


「はい」


「聖印を」


「持っておりません」


 書記の羽根が動いた。


「持っていない、と」


「あの日、断罪の広間で外して、床に置きました。宮廷の方々が見ておられます」


「大聖堂に、無い」


「わたしの手元にも、ございません」


 シメオン司祭は、まばたきをしなかった。


 辺境伯が、卓の上に書状を置いた。黒い封蝋。


「当日の在席者の名を三人添えて、先月送った。返事は来ていない」


「読みました」


「では」


「読みましたが、書かれているのは『置いたのを見た』という証言でございます。置いたものが、その後どうなったかは、誰も書いておりません」


 わたしは、少し息を吸った。


 この人の言っていることは、正しい。正しいから、答えられない。


「わたくしどもは、無くなったものを探しております。誰が悪いかは、まだ申しておりません」


 シメオン司祭は、そこで初めてまばたきをした。


「ただ、探すべき場所の順序というものがございます。最後に触れた者から順に」


 それから、司祭は椅子に座り直した。


「もう一つ、ございます」


「伺います」


「辺境にて、聖水に類する行いをなす者があると、報告が上がっております」


「報告」


「坂の上の修道院より、記録が」


 わたしは、思い出した。


 ——聖女、無言のうちに祈りを捧げられ、水たちまち澄む。


 あの一行が、王都まで届いたのだ。


 広間の隅に、灰色の衣が一人立っていた。あの日、羽根を持って震えていた若い修道士だ。


 彼は、わたしと目が合うと、下を向いた。


 悪気は無かったのだと思う。この人は、見たものをいちばん近い言葉に丸めただけだ。丸めた言葉が坂を上り、神殿を通り、王都で決裁を受けて、剣を提げた者を四人連れて戻ってきた。


 言葉というのは、水より速い。


 わたしは首を振った。


「奇跡は行っておりません」


「では、何を」


「濾しております」


「濾す」


「砂と、炭と、布を重ねて、水を通します。上から入れて、下から出します。それだけです」


 書記の羽根が止まった。


 シメオン司祭は、しばらくわたしを見ていた。


 それから、ゆっくりと言った。


「あなたは、教会の聖水と同じ働きを、砂で行っていると仰る」


「働きが同じかどうかは存じません。濁った水が、澄みます」


「聖水と同じ働きを、砂で」


 二度、同じ言葉を繰り返された。


 わたしは、そこで初めて、この方が何を怖がっているのかを理解した。


 わたしが噓をついていることを怖がっているのではない。


 本当のことを言っていることを、怖がっている。


 広場へ、一行が下りた。


 水汲み場には、いつもの列ができていた。栓の前に人が並び、順に桶を満たしている。ノラが台の上で、上の樽へ水を注いでいた。


 シメオン司祭は、その前に立った。


 栓を捻る。水が出る。彼は柄杓に受けて、光に透かした。


 澄んでいる。


 書記が帳面を開いた。


「これは、何か」


 司祭が、列の先頭の女に聞いた。


 女は、慌てて膝をついた。


「聖女さまの、御業でございます」


 わたしは、目を閉じた。


「御業」


「はい。あの方が来られてから、水が澄みまして。それはもう、有難いことで」


「祈られるのか」


「祈られます。それはもう、朝に晩に」


 祈っていない。


 一度も祈っていない。この一月、わたしはこの広場で一度も手を合わせていない。


 けれど、この女はそう見ていた。見たいように見て、そう言った。


 シメオン司祭が、こちらを向いた。


 初めて、口の端が動いた。笑ったのではない。得たものを確かめる顔だった。


「聞かれましたか」


「聞きました」


「町の者は、あなたを聖女と呼んでおります」


「わたしは名乗っておりません」


「名乗らずに呼ばれるほうが、質が悪うございます」


 書記の羽根が走った。


 わたしは、自分の指が冷たくなっていくのを感じた。


 この一月、わたしは何度も「奇跡ではありません」と言ってきた。言うたびに、聞き流された。手順を教えようとして、三日で十一人に断られた。そのあとも、数えるのをやめるまで断られ続けた。誰も覚えなかった。


 覚えなかったことが、今、証拠になっている。


 誰も手順を受け取らなかったから、この町にあるのは「奇跡が起きた」という話だけだ。


 わたしが積み上げてきたものは、一つも残っていない。


「見てください」


 わたしは前へ出た。


 台の上のノラが、こちらを見た。わたしは首を振って、下りなさいと合図した。この子を巻き込むわけにはいかない。


 ノラは下りなかった。


「見ていただければ済みます。樽の中を開けます。砂を出します。炭を割ってお見せします」


「その必要はございません」


「必要はございます」


「ございません」


 シメオン司祭は柄杓を戻した。


「わたくしが確かめに来たのは、水が澄むかどうかではない。誰の力で澄んだと、この土地の者が信じているかでございます」


 風が、広場を渡った。


 列に並んでいた人たちが、そろそろと後ずさりはじめた。灰色の衣と、剣を提げた者。誰も、自分の名を呼ばれたくない。


「教会は、手順で清められた水を聖水とは認めません」


 司祭は、そう言った。


「同時に、教会の認めぬ力で水が清まると人に信じさせる行いを、異端と申します」


「では、どうすれば」


「やめることでございます」


 わたしは、司祭の顔を見た。


「町の水が、濁ります」


「濁った水で、人は千年生きてまいりました」


「子どもが死にます」


「それは、水のせいではございません」


 台の上で、桶が鳴った。


 ノラが、桶を落としたのだ。空の桶が台から転がって、石畳に当たって、乾いた音を立てた。


 全員が、そちらを見た。


 ノラは、拾わなかった。


 台の上に立ったまま、まっすぐシメオン司祭を見下ろしていた。


「あんた、いま、なんて言った」


「ノラ」


「うちの弟、水のせいで死んだけど」


 わたしはノラの腕を掴んで、後ろへ回した。


 シメオン司祭は、子どもを見なかった。見ずに、書記のほうへ言った。


「町の者の心情については、別紙に」


 書記が頷いた。


「宛先は、いつもの通りで」


「いつもの通りに」


 羽根が、紙の上を走った。


 わたしはその一言を、耳の奥に留めた。


 いつもの通り。この方の報告は、いつも同じところへ行く。それがどこなのかを、わたしはまだ知らない。


 その夜、館の窓から広場を見た。


 列は、無かった。


 水汲み場の周りに、人影が一つもない。栓を捻れば水が出る。誰も捻らない。


 厨で、ノラが黙って砂を洗っていた。桶に手を突っ込んで、何度も、何度も。洗い水はもうとっくに澄んでいる。


「ノラ」


「まだ濁ってる」


「澄んでいます」


「濁ってる」


 わたしは隣にしゃがんで、この子の手が止まるまで待った。


 背中で、扉が開いた。


 辺境伯が立っていた。手に、灰色の紙を持っている。


「明朝、広場で検分を行うそうだ」


「検分」


「あの水が、何によって澄んでいるのか」


 彼は紙を卓に置いた。


「決めるのは、向こうだ」

【今日の水】セドラ広場の水汲み場。澄んでおります。誰も汲みに来ません。


お読みいただきありがとうございます。


奇跡だと呼ばれ続けた人が、いざ「奇跡ではない」と証明したいときに、いちばん邪魔になるのは、これまでの称賛です。積み上がっていたのは実績ではなく、噂のほうでした。


次話——手順を見せます。見せたうえで、それでも異端と呼ばれます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ