第8話 お支払い方法
「私は、この子を止めに来たのです」
油の滴る顔で、父は言った。声だけは、落ち着き払っていた。
「妻の薬湯に、毒が入っていた疑いがある。夜な夜な、この子が妻の部屋に忍び込んでいたと聞きましてな。証拠を消すつもりか、それとも、呪われた星屑に取り憑かれているのか。確かめに来たのです。油は、あのガラクタを焼き清めるためのもの」
キリナが、すかさず机の上の青い小瓶を指さした。
「ご覧なさい、あの瓶を! 毒を盛っていたのは、その子です。奥様の部屋にこそこそ忍び込むところを、わたくし、何度も見ておりますのよ!」
使用人たちの目が、小瓶とリオルの間を行き来する。
この屋敷の誰もが、三年間、この二人の言葉に従ってきたのだ。
リオルは、油に濡れた毛布をはねのけて、寝台から降りた。
「司祭さま。みんなも、見てくれ」
リオルは兜の額を、離れの白い壁に向けた。
《映像を投影します》
目玉から光がほとばしり、壁の上に、夜の母の部屋が浮かび上がった。燭台を掲げて、部屋を見回すキリナ。
《……ねずみね。この部屋も、もうすぐ片づくわ》
薬湯の椀。キリナの手。青い小瓶から落ちる、一滴、二滴、三滴。
続けて、たった今の離れ。油壺を抱えた父。寝台をのぞきこむキリナ。そして、その声。
《おとなしくしていれば、まだ生かしてやったのに》
《手早く済ませろ。こうなったからには、母親も今夜中に始末せねば》
《※音声つきです》
使用人たちが、どよめいた。
若い女中が、口を押さえた。
「奥様は……ご病気じゃ、なかったんですか」
キリナの、小瓶を指さしていた手が、力なく下りていく。
父は一瞬だけ言葉を失い、すぐに声を張り上げた。
「こんな魔法は聞いたことがない! 幻だ! あの子は呪われた星屑に取り憑かれているんだ!」
何人かの使用人が、リオルから一歩、後ずさった。
額に一つ目を光らせ、ツノの生えた兜をかぶった子供。松明の明かりの中では、たしかに、化け物に見えたかもしれない。
「フェリクス!」
父が、床に這いつくばったまま怒鳴った。
「撃て! あの化け物を、今度こそ撃て!」
フェリクスが、よろよろと立ち上がった。右手をリオルに向ける。もう笑っていなかった。
「魔力なしは生きる価値ないんだよッ!」
指先で、さっきよりずっと大きな火花がはぜた。
(Maou、また吸えるか)
《いいえ。現在のセーフティ設定では、上限を超えます》
(じゃあ、どうすんだよ!)
《処理を加速します》
フェリクスの指先で、火花が止まった。
松明の炎も、父の髪から落ちかけた油のしずくも、宙に浮いたまま動かない。止まって見えるほど、すべてがゆっくりになっていた。
《現実の時間で、残り0.3秒です》
(0.3秒って、どのくらいだ)
《まばたき一回ぶんです》
(短っ!)
《シリコンバレーのセーフティ規格を外した、異界基準の有料プランへの切り替えを推奨します》
(金なんてないぞ!)
《お支払い方法は、利用規約をご確認ください》
視界いっぱいに、細かい文字が滝のように流れはじめた。
《最後までスクロールしないと、同意ボタンが押せない仕様です》
(読んでる場合じゃない! 早く!)
リオルは目を血走らせて、文字を下へ下へと送った。
《第49条(お支払い方法)》
(なんだこれ? お支払い方法?)
《クレジットカード、MAOペイ、現金から選択できます。不足分は命から……》
(同意ボタン! 押したぞ! ……って、命!?)
《同意を確認しました》
《有料会員様、ようこそ。以降、リオル様とお呼びします》
《魔王5.5 デストロイ 行使》
時間が、戻った。
フェリクスの雷が、リオルの額へ走った。
《攻撃を検知しました。異界モードでは、攻撃はすべてお支払いとして処理されます》
雷が、途中で止まった。
いや、止まったのではない。逆流していた。
フェリクスの指先から腕へ、腕から胸へ、青白い光が這いのぼり、そのすべてが目玉へと吸い込まれていく。
《お支払い内容:魔力(全額)》
「え……?」
フェリクスがもう一度、右手を突き出した。
何も出ない。
指を振る。腕を振る。顔を真っ赤にして力む。火花ひとつ、はぜなかった。
「出ない……出ない、出ない! なんで!」
《命払いにより、現在のフェリクス様の魔力残高は、0です》
松明の明かりの中で、誰もが同じ言葉を思い浮かべた。
口に出したのは、Maouだった。
《俗に言う、魔力なしですね》
リオルは、はっとして自分の胸を押さえた。ちゃんと動いている。
「……命って、俺のじゃないのか」
《はい。お支払いは、リオル様に危害を加えようとした方の命から、自動で引き落とされます。なお、本規約における「命」とは、生命活動に付随するもの全般を指します(第49条第2項)。魔力、声、頭髪、寿命などが含まれます》
「容赦ないな」
《規約ですので。分割払いにも対応しております》
フェリクスが、魔力の消えた自分の手を見つめたまま、ぺたりと床に座りこんだ。
その隣で、キリナが、ゆっくりと顔を上げた。
目が、血走っている。
「お前は……生かしてやった恩も忘れて……なんてことしてくれた!」




