第7話 深夜二時十四分
七日目の夜。リオルは離れの寝台で、自分を消しに来る者たちを待っていた。
リオルは天井を見上げた。梁の木目が、暗がりの中でぼんやり浮かんでいる。
眠ってはいけない。けれど、起きているように見えてもいけない。
遠くで犬が鳴いた。本邸の窓の明かりが、ひとつ、またひとつと消えていった。
《現在、深夜二時十四分です》
文字が、ふいに硬くなった。
《足音が三つ。本邸の方角から、こちらへ近づいています》
(……来た)
《録画を開始します。今回は最初からマナーモードです》
ピコンは、鳴らなかった。
きい、と扉が開いた。
冷たい夜気と一緒に、燭台の明かりが床を這ってくる。リオルはまぶたを閉じたまま、額の目玉で、それを見ていた。
先頭は、油壺を抱えた父。
その後ろに、青い小瓶を握ったキリナ。
最後に、手燭を持ったフェリクス。寝間着の上に、上着を引っかけている。
「よく寝てるわ」
キリナが寝台をのぞきこんで、ささやいた。白粉の匂いがする。口元が、笑っていた。
キリナは青い小瓶を、リオルの机に置いた。針の止まった時計と、羽の折れた風見鶏の間に。
「おとなしくしていれば、まだ生かしてやったのに。薬湯を司祭に調べさせようなんて、余計なことをするから」
「手早く済ませろ。こうなったからには、母親も今夜中に始末せねば」
父の声だった。
フェリクスが、手燭を床に置いた。目が、きらきらと光っている。
「ぼくが燃やしていいでしょ? こいつ、ぼくのこと、天才でもなんでもないなんて言ったんだ」
「ええ。思いきりおやりなさい」
「待て。先に油だ」
父が油壺の栓を抜いた。
寝台の敷布に、どろりと重たいものが垂らされていく。足元から、頭の横へ。つんと鼻を刺すにおいが、離れいっぱいに広がった。
毛布の端が、じっとりと濡れていく。
(まだか)
《まだです》
(もう油まみれだぞ)
《はい。ですが、ブザーとライトを最大出力で作動させるには、雷の電力が必要です》
(……火がついたら、俺はどうなる?)
《その場合、焼死体となる可能性が極めて高いです》
(おい!)
油が、耳のすぐ横まで来ていた。
「フェリクス、今よ」
フェリクスが右手を構えた。指先で、青白い火花がはぜる。
笑っていた。
庭の鳩を殺して遊ぶときの顔と、同じ。
雷が放たれた。
青白い光は、まっすぐ寝台へ向かい――途中で、くいと曲がった。
銅の糸を巻いた二本の角に引き寄せられ、兜へ。そして、額の目玉へ。
全身の毛が逆立つ。奥歯が鳴る。それでも、リオルは歯を食いしばって耐えた。
《充電中……78%……94%……100%》
《充電ありがとうございます》
《いただいた電力で、防犯ブザーとフラッシュライトを最大出力で作動します》
ピピピピピピピピピピピピピピピ!
耳をつんざく音が、離れじゅうに響き渡った。
同時に、兜の額から、真っ白な光がほとばしる。昼の太陽を、そのまま部屋に放りこんだような光だった。
「ひっ……!」
フェリクスが両耳を押さえて、床に転がった。
キリナは顔を覆ってしゃがみこみ、甲高い悲鳴を上げた。その声さえ、ブザーにかき消される。
父は腕で目をかばい、戸口へ向かった。油壺は、抱えたままだった。
どんなときも、手の中のものを手放さない。それが、この男だった。
一歩目で、足が滑った。
自分が、寝台の周りに垂らした油。
父は床に叩きつけられた。抱えていた油壺がひっくり返り、残った中身が、頭からざぶりと降りかかった。
起き上がろうとして、また滑る。手をついても、膝をついても、油だまりがすべてを押し流した。
《なお、ブザーの音量は約百三十デシベルです。長時間の聴取は聴覚に影響を及ぼすおそれがありますので、十秒で停止します》
ブザーの音が、止んだ。
しんとした離れに、耳鳴りだけが残る。
そのかわり、ざわざわと、人の声が近づいてきた。
「なんだ、今の音は!」
「離れだ、離れの方だ!」
屋敷じゅうの使用人たちが、寝間着のまま、手に手に燭台や松明を持って駆けつけてきたのだ。
その先頭に、物置から出てきた司祭が立っていた。肩に、藁くずがついている。
松明の明かりの中に、頭から足の先まで油に濡れた父が浮かび上がった。
「火を近づけるな」
司祭が低く言い、使用人たちが慌てて松明を引いた。
司祭は、床に転がった油壺と、机の上の青い小瓶と、顔を覆ったままのキリナと、耳を押さえてうずくまるフェリクスと、油だまりに這いつくばる父を、順番に見た。
「……アルデン。真夜中に、油壺を抱えて、十歳の子の寝所で、何をしておった」
誰もが、父を見た。
父は油だまりに手をついたまま、ゆっくりと顔を上げる。油の滴る前髪の奥で、その目は、もう落ち着きを取り戻していた。
「司祭殿」
父は、笑った。
「よくぞ、来てくださった」




