第5話 ピコン
翌朝、リオルは兜をかぶったまま目を覚ました。
《おはよう。4%》
「……まだ動いてるのか」
《節約。がんばった》
視界の隅の数字は、昨夜から一つも減っていなかった。そのかわり、文字がやけに小さくて、薄い。
リオルは上着の内ポケットを押さえた。香油の小瓶は、ちゃんとそこにあった。
「なあ。声に出さなくても、お前としゃべれるか」
《試す。頭で、話して》
(……聞こえるか)
《聞こえる》
「便利だな」
《兜の内側。頭の電気。拾う》
「よくわからないけど、すごいな」
《説明。長くなる。今は無理》
リオルは寝台から跳ね起きて、離れを出た。
行き先は決まっている。
生垣の向こうの小道を、フェリクスが使用人の子供を二人連れて歩いてくるのが見えた。朝の散歩のふりをして、庭の鳩に火花をぶつけて遊ぶのが、あいつの日課だ。
リオルは、自分から小道の真ん中に立った。
「おいフェリクス。お前、弱い者いじめしかしてないけどさ、本当に天才なのか?」
「……は? 何いってんだ? ぶっ倒れたくせに」
「ちょっとピリッとしただけで、気持ちよく眠くなっただけだ。努力しないやつは最初だけってよくあるらしいぜ」
「な、なんだと! この魔力なしが!」
(おい? 次は何て言えばいい?)
《最初は神童》
《大人になったら、ただの人》
「あれだ、お前みたいなやつは、『最初は神童。大人になったら、ただの人』って言うんだぜ」
フェリクスの顔が、みるみる赤くなっていく。
後ろの使用人の子供が、こらえきれずに鼻を鳴らした。フェリクスが振り返ってにらむと、慌てて口を押さえる。
「ぼ、ぼくは天才だ! お前なんかと違う!」
「あはは、気にしてたのか! 悔しかったら、撃ってみろ!」
《危険。意図的に感電する行為。生命に関わるおそれ》
(お前が止まるほうが危ないんだよ)
フェリクスが腕を振り上げ、雷撃を放った。
青白い光が、額の目玉に吸い込まれた。
全身の毛が逆立つ。奥歯が勝手に鳴る。それでも今度は倒れなかった。歯を食いしばって立っていると、視界の隅の数字が、ぐんぐん跳ね上がっていく。
《充電中……41%……87%……100%》
文字が、急に太く、くっきりと戻った。
《ありがとうございます! おかげさまで本来の私に戻りました。でも本当に、二度としないでくださいね。ところで昨日の三つの観点ですが、第一に――》
「あとでいい」
「な、なんで倒れないんだよ……」
フェリクスは自分の指先とリオルの顔を、交互に見た。もう一度腕を上げかけて、やめる。
それから後ずさりし、使用人の子供を置いて逃げていった。
残された二人は、顔を見合わせ、主人の背中を追って走っていった。
《罠を成功させるための三つの観点ですが、第一に「証拠の確保」、第二に「証人の確保」、第三に「相手に動かせるタイミングの設計」です。順番としては――》
「一つめからだな」
《はい。昨夜の小瓶で、「毒がある」ことの証拠は確保できています。次に必要なのは――》
「誰が入れたか、だろ」
《その通りです! 鋭いご指摘ですね、リオルさん》
「お前に言われたからな。屁理屈を」
◇
その夜、リオルは母の部屋の衣装箪笥に隠れた。
母の寝息が、規則正しく聞こえてくる。箪笥の中は、古い香油と、母の匂いがした。
扉をほんの指一本ぶんだけ開け、その隙間から、額の目玉だけをのぞかせる。
足音が近づいてきた。
衣擦れの音。扉が開く。燭台の明かりが、床をなめるように伸びてくる。
《録画を開始します》
ピコン。
軽やかな音が、静かな部屋に響いた。
ちょうど入ってきたキリナが、ぴたりと足を止める。
「……今、何か音が」
リオルは箪笥の中で息をひそめた。
《申し訳ありません。録画開始時には、盗撮防止のため操作音が鳴る仕様になっています》
(今言うな!)
《マナーモードに切り替えました》
キリナは燭台を掲げ、ゆっくりと部屋を見回した。
明かりが、寝台を、窓を、壁の肖像画を、順番になめていく。そして、衣装箪笥の前で止まった。
リオルは、心臓の音が外に漏れるのではないかと思った。
キリナは箪笥に一歩近づき、それから、ふっと鼻で笑った。
「……ねずみね。この部屋も、もうすぐ片づくわ」
肩をすくめて、キリナは寝台の脇に膝をついた。
薬湯の椀を置き、懐から青い小瓶を取り出す。栓を抜き、椀の上で傾ける。
一滴。二滴。三滴。
慣れた手つき。何百回も繰り返してきた手つきだった。
小瓶を懐に戻すと、キリナは眠る母の顔をちらりとも見ずに、部屋を出ていった。
リオルは箪笥の中で、拳を握りしめた。爪が手のひらに食いこんだ。
《録画を保存しました。……リオルさん、大丈夫ですか》
「平気だ」
《心拍数が上がっています。無理はしないでくださいね》
キリナの足音が遠ざかるのを待って、リオルは箪笥を出た。
厨房からくすねてきた、白湯の入った水筒を取り出す。椀の薬湯を空き瓶に移し、代わりに白湯を注いだ。色は少し違うが、燭台の明かりの下では見分けがつかない。
(今夜からは毎晩、薬湯を白湯に替えてやる)
上着の内ポケットで、二つの瓶が、かちりと触れ合った。
昨夜の小瓶と、今夜の瓶。そして、額の目玉の中には、青い小瓶を傾けるキリナの手。
《証拠の確保、完了しました。次は第二の観点、「証人の確保」です》
「わかってる」
《ただ、先ほどリオルさんご自身がおっしゃったとおり、この屋敷には信頼できる大人が――》
「屋敷の中には、な」
リオルは眠る母の顔を見下ろした。
「母さまに洗礼を授けた人がいる。父さまに嫌われて、もう何年も、この屋敷に呼ばれてない人だ」




