第4話:愛では決済できません
第4話:愛では決済できません
昼下がりの王都は、昨夜の騒ぎが嘘のように華やかだった。
石畳の大通りには魔導馬車が行き交い、店先では香辛料を焼く匂いと花売り娘たちの明るい声が混ざり合う。冬の空気は冷たいが、陽射しは柔らかく、街全体が金色に輝いていた。
だがその中を歩くジュリアンの顔色は冴えない。
昨夜から続く屋敷の混乱。
止まった魔導設備。
商会から届く大量の契約停止通知。
頭の奥にじわじわと焦燥が広がっていた。
それでも彼は、自分に言い聞かせていた。
大丈夫だ、と。
多少の混乱はあっても、自分はエヴァンズ伯爵家の嫡男なのだ。金ならある。家格もある。アルテミシアがいなくなったくらいで、本当に困るはずがない。
そう思いたかった。
「ジュリアン様、あのお店です!」
隣を歩くクロエが、ぱっと表情を明るくする。
桃色のコートに白い毛皮を重ねた彼女は、冬の妖精みたいに愛らしかった。頬を赤く染め、期待に満ちた目で通りの先を見つめている。
そこに建つのは、王都最高級の宝石店。
全面ガラス張りの店内には無数の魔導灯が輝き、宝石たちは氷の粒みたいな光を放っていた。
ジュリアンは胸を張る。
「好きなものを選べ。昨日の詫びも兼ねてな」
「本当ですか!?」
「ああ。君にはちゃんとした婚約指輪を贈りたい」
クロエは嬉しそうにジュリアンの腕へ抱きついた。
「嬉しい……!」
その無邪気な笑顔に、ジュリアンは少し安心する。
そうだ。
アルテミシアは冷たすぎた。
クロエみたいに素直に喜んでくれる女の方が可愛いに決まっている。
店内へ入ると、暖かな香木の香りがふわりと漂った。
床は深紅の絨毯。ガラスケースにはダイヤモンド、サファイア、魔力結晶石を使った装飾品が並び、光を浴びてきらきらと瞬いている。
店員が優雅に一礼した。
「いらっしゃいませ、エヴァンズ伯爵令息様」
「婚約指輪を見せてくれ」
「かしこまりました」
案内された席へ腰掛ける。
銀のティーセットが運ばれ、琥珀色の紅茶から甘い柑橘の香りが立ち上る。添えられた焼き菓子には砂糖が薄くまぶされ、クロエは目を輝かせた。
「わぁ……素敵……」
店員が黒いベルベット箱を並べていく。
「こちらは北方産の氷晶石を用いた品でございます。こちらは高純度魔力ダイヤを加工した特注品で――」
「これ、綺麗……!」
クロエが小さな指輪を手に取る。
中央に淡い桃色の宝石が埋め込まれ、周囲を細かな銀細工が囲っていた。
「お前に似合う」
ジュリアンが笑う。
クロエは頬を染めた。
「ジュリアン様……」
その空気に酔うように、ジュリアンは懐から魔導決済札を取り出した。
「それを包め」
「ありがとうございます。それでは決済を――」
店員が魔導端末へ札をかざす。
淡い青光が広がった。
だが次の瞬間。
ピシッ、と嫌な音が鳴る。
端末の光が赤へ変わった。
《承認拒否》
一瞬、空気が止まる。
ジュリアンは眉をひそめた。
「……何だ?」
店員が顔を引きつらせる。
「も、申し訳ございません。再確認いたします」
もう一度端末へ通す。
しかし結果は同じだった。
《承認拒否》
赤い文字が冷たく点滅する。
周囲の客たちがちらりと視線を向け始めた。
ジュリアンの眉間に皺が寄る。
「故障か?」
「い、いえ……その……」
店員は汗を滲ませながら端末を確認する。
そして恐る恐る言った。
「こちらの共同口座は、昨日付けで解約されております」
「……は?」
「名義管理者であるアルテミシア・ルーベルト様によって、正式に停止処理が完了しております」
クロエの顔から笑みが消えた。
「きょ、共同口座……?」
ジュリアンは理解できず、店員を睨みつける。
「何を言っている。私の口座だぞ」
「正確には、ルーベルト公爵家の信用保証付き共同管理口座でございます」
「そんなもの聞いてない!」
「ですが登録上は――」
「黙れ!」
怒鳴り声が店内へ響いた。
ぴたり、と周囲の会話が止まる。
貴婦人たちが扇子越しに視線を交わし、若い貴族たちがひそひそと囁き始めた。
「エヴァンズ家よね?」
「まあ……決済拒否?」
「アルテミシア様に切られたって噂、本当だったの?」
ジュリアンの耳が熱くなる。
クロエが不安そうに袖を掴んだ。
「ジュリアン様……」
「問題ない!」
彼は苛立ちながら別の札を取り出す。
「こちらを使え!」
「かしこまりました……」
だが結果は同じだった。
《信用保証停止》
《高額決済不可》
赤い文字。
冷たい機械音。
店員の笑顔が完全に消える。
「申し訳ございません。当店では保証のない高額決済は――」
「私はエヴァンズ伯爵家だぞ!」
「存じております」
「なら融通を利かせろ!」
その瞬間。
周囲から小さな失笑が漏れた。
ジュリアンの顔が強張る。
今までなら、彼が名乗るだけで誰もが頭を下げた。
だが今、向けられているのは困惑と軽蔑の混じった視線だった。
クロエが震える声で言う。
「……もう、今日は帰りましょう?」
「帰るだと?」
「みんな見てるし……」
ジュリアンは唇を噛み締めた。
視線が痛い。
喉が渇く。
妙に店内が暑い。
その時だった。
腰の通信結晶が激しく明滅した。
「何だ今度は!」
乱暴に通信を開く。
すると執事長マルセルの切羽詰まった声が飛び込んできた。
『ジュリアン様! 大変です!』
「騒ぐな!」
『大口取引先が屋敷へ押しかけています!』
「は?」
『債務保証解除に伴う即時返済請求です! 商会主たちが玄関ホールで――』
背後で怒号が響く。
『金を返せ!』
『契約違反だぞ!』
『今すぐ責任者を出せ!』
通信越しでもわかるほどの大混乱だった。
ジュリアンの喉がひくりと震える。
「……何で、こんなことに」
誰にも聞こえないほど小さな呟き。
けれど、その答えをくれる者は、もう隣にはいなかった。




