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第3話:朝起きたら、魔導文明が停止していました

第3話:朝起きたら、魔導文明が停止していました


 その朝、エヴァンズ伯爵家は異様な静けさに包まれていた。


 普段なら夜明けと同時に、屋敷中の魔導灯が柔らかな金色を灯し、廊下には温風式暖房のぬくもりが流れる。厨房では魔導コンロが青い炎を浮かべ、香ばしいパンの焼ける匂いと紅茶の香りが漂ってくる時間だった。


 だが今日は違った。


 冷たい。


 息が白いほどに。


「……寒っ」


 ジュリアンは毛布へ顔を埋めながら呻いた。


 分厚い天蓋付きベッドの中だというのに、肌が刺すように冷えている。冬用の絹の寝間着を着ていても寒気が抜けない。


 苛立ちながら目を開ける。


 部屋は暗かった。


「……は?」


 いつもなら自動点灯しているはずの魔導照明が沈黙している。


 壁の魔力結晶は灰色に濁り、ぴくりとも光らない。


 ジュリアンは眉をひそめた。


「おい、誰か!」


 呼び鈴を押す。


 しかし反応はない。


 本来なら、魔導式呼び出し機が使用人控室へ直通で繋がるはずだった。


 沈黙。


「……故障か?」


 舌打ちしながらベッドを出る。


 床が冷たい。


 昨夜まで暖房魔術で温められていた石床は、まるで氷みたいだった。


 厚手のガウンを羽織り、ジュリアンは苛立ちながら扉を開ける。


 廊下も暗い。


 魔導灯はすべて消え、窓から差し込む朝日だけが細く床を照らしていた。


 遠くから怒鳴り声が聞こえる。


「まだ湯が沸かないの!?」


「だから魔導炉が停止しているんですって!」


「転移門も動きません!」


 使用人たちが半ば悲鳴のような声を上げていた。


 ジュリアンは顔をしかめる。


「朝から何の騒ぎだ」


 すると廊下の向こうから、執事長のマルセルが青ざめた顔で走ってきた。


 額には汗が浮かび、いつもの落ち着きは見る影もない。


「ジュリアン様!」


「うるさい。まず照明を直せ。寒くてかなわん」


「そ、それどころではございません!」


「何?」


 マルセルは息を切らしながら言った。


「屋敷中の魔導設備が停止しております!」


「……だから故障だろう」


「違います! 魔力供給そのものが止まっているのです!」


 ジュリアンは呆れた顔をした。


「そんな馬鹿な話があるか」


「しかし実際に――」


 その時だった。


 廊下の奥から侍女が泣きそうな顔で飛び込んできた。


「旦那様! 厨房の魔導コンロが全部沈黙しています! 朝食が作れません!」


「はぁ?」


「冷蔵庫の保存術式も停止して……肉が傷み始めています!」


 別の使用人も駆け込んでくる。


「物流倉庫から連絡です! 保管結界が消失し、輸送用転移門も動きません!」


「東棟の温水供給も停止しました!」


「浴場が水しか出ません!」


 次々飛び交う悲鳴。


 ジュリアンは眉間を押さえた。


「落ち着け! たかが魔導炉の不調だろう!」


 だがマルセルが震える声で言う。


「違うのです……」


「何がだ」


「魔導炉そのものに、魔力が残っておりません」


 ジュリアンは言葉を失った。


 エヴァンズ伯爵家の巨大魔導炉は王国製最新型だ。普通なら三日程度は内部備蓄だけで稼働できる。


 それが空。


 完全に。


「……ありえない」


「私もそう思いました。しかし供給回線が完全遮断されております」


 そこで、昨夜の光景が脳裏をよぎる。


『では本日付けで、婚約および関連契約を終了いたします』


 アルテミシアの冷たい声。


 消えた契約指輪の光。


 ジュリアンの喉がひくりと鳴った。


「……まさか」


 マルセルが恐る恐る口を開く。


「ルーベルト公爵家からの供給停止通知が届いております」


「何?」


「昨夜付けで、魔力結晶供給契約終了とのことです」


「ふざけるな!」


 ジュリアンが怒鳴った。


「たかが婚約破棄でそんな真似を――」


 だが言葉が止まる。


 違和感。


 婚約破棄“だけ”で?


 マルセルは震えながら羊皮紙を差し出した。


「こちらを……」


 そこには淡々と記されていた。


『契約終了に伴い、無償提供されていた高純度魔力結晶供給を停止します』


「無償提供……?」


 ジュリアンが目を見開く。


「どういう意味だ」


 マルセルは青ざめたまま答えた。


「現在、当家で使用されている高品質魔力の大半は、ルーベルト公爵家から提供されていたものです」


「聞いてないぞ!」


「私どもも、奥様――いえ、アルテミシア様が管理されていたため……」


 ジュリアンの頭が混乱する。


 照明も。


 暖房も。


 厨房も。


 物流も。


 転移門も。


 全部?


 全部アルテミシアが?


 その時、ぐうぅぅ……と低い音が響いた。


 屋敷全体が微かに揺れる。


「な、何だ!?」


「地下魔導炉です!」


 使用人が叫ぶ。


「補助炉まで停止しました!」


 廊下の空気がさらに冷え込む。


 吐く息が白く濁り、侍女たちが震えながら肩を抱いた。


 ジュリアンは苛立ちを隠せず怒鳴る。


「予備の魔力結晶を使え!」


「もうありません!」


「は?」


「すべて昨月分で使い切っております!」


「追加発注は!?」


「だから物流契約が停止しているんです!」


 沈黙。


 ジュリアンの顔色が変わる。


「……待て」


 声が掠れる。


「物流契約も?」


「はい!」


 商会担当の使用人が駆け込んできた。


「エヴァンズ家への信用保証が解除されたため、各商会が一斉に取引停止を通告しています!」


「な……」


「本日の食材搬入も中止です!」


「燃料も来ません!」


「魔導通信が繋がりません!」


 悲鳴のような報告が飛び交う。


 ジュリアンは立ち尽くした。


 冷たい廊下。


 消えた灯り。


 凍える空気。


 いつも当たり前に使っていたものが、何ひとつ動かない。


 まるで文明そのものが死んだみたいだった。


 その時。


 ぱきり、と小さな音がした。


 壁際の魔導時計が止まる。


 長針は六時十二分を指したまま、二度と動かなかった。


 静寂。


 ジュリアンは乾いた唇を震わせる。


「……アルテミシアを呼べ」


「え?」


「今すぐだ!」


 マルセルが苦しそうに目を伏せた。


「ルーベルト公爵家からは……」


「何だ!」


「『今後の交渉は契約管理部を通してください』との返答のみです」


 ジュリアンは初めて、自分の背中を冷たい汗が流れるのを感じた。


 昨夜まで笑っていたクロエの顔も、豪華な夜会も、頭から消えていく。


 代わりに浮かぶのは。


 淡々と契約書へ署名していた、あの女の横顔だった。




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