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紫苑のあとで  作者: 月影
第1章

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第30話「寄り道」

 廊下の角を曲がる前から、人が少し溜まっているのが見えた。


 休み時間ほど騒がしくはないのに、足は止まっている。白い紙より先に、壁際へ寄った背中や肩の方が目に入る。前の人の隙間から覗き込む顔があって、見終わった人が少し横へずれる。その度に、そこで一度止まっていた流れがまた詰まる。


 僕も歩幅を落として、その後ろへ混ざった。


 前の方で、宮本がもう紙を見上げていた。少し首を上げたまま、何か見つけたみたいに笑っている。岡田はその横から無理やり覗き込んでいて、「見えねぇって」「押すなって」と小さく騒がしい。井上は一歩後ろで、人の肩越しに顔だけ出していた。


「あるある。ちゃんとある」


 宮本がそう口にした瞬間、岡田が「どれだよ」と前へ出る。僕もそのまま視線を上げて、総合の欄を追った。名前を探している間も、横では岡田の「うわ、字ちっさ」「これ絶対わざとだろ」が途切れない。


 六位で、自分の名前が見つかった。


 その二つ上に、木下さんの名前があった。


「お、水野いるじゃん」


 岡田がすぐ声を上げる。


「おまえも探せよ、先に」

「もう見たわ。総合は、たぶんあとちょい」

「載ってないんかい」

「いやでも、十位とそんな離れてはなさそうじゃね?」


 宮本が紙を見たまま少し笑う。


「その割に、ちょっと嬉しそうじゃない?」


 岡田は待ってましたと言わんばかりに、隣の紙へ体をずらした。


「見て、数学四位。どう?強くない?」

「うーわ、うっざ」

「何その第一声。まず褒めろよ」

「あんま調子乗んなよ」

「乗るだろ。四位だぞ?」

「…認めたくないわ」

「水野も載って……あれ?あぁ、ごめんごめん」


 態々こっちを見て言うから余計に腹が立つ。しかも自分で先に笑ってるせいで、本気で刺しに来てる感じじゃないのがまた鬱陶しかった。


「ムカつく」

「素直でよろしい」

「うるせぇよ」


 岡田がまだ笑ったまま、次の紙を顎で指す。


「ほら、まだあるだろ」


 僕はそのまま次の紙へ目を動かした。


 古文・漢文の欄で、一番上に自分の名前があった。


 一回見て、それからもう一回見る。自分の名前が上にあるだけなのに、さっきまで引っかかっていたものが、そこで少しだけ軽くなる。


「うわ、そっちは一位かよ」


 岡田がまた覗き込む。


「急に嫌なやつになるじゃん」

「おまえが言うな」

「いや、これは言うだろ。数学圏外で古文一位って、偏り方おもろいって」

「人の成績で遊ぶなよ」

「現代文も高いんじゃね?」


 宮本がそう口にして、もう一枚の紙へ目を移す。僕もその流れで見る。二位だった。


「ほら」

「もう国語で食ってけよ」

「どうやってだよ」

「知らんけど」

「雑すぎるだろ」


 井上が小さく笑う。


 前の列が一つ空いて、その向こうが見えた。


 佐藤さんが壁の前で少し背伸びしていて、その隣に木下さんがいた。二人とももう一通り見終わったのか、紙から少しだけ離れている。佐藤さんがこっちに気づいて、すぐ声を上げた。


「葵、見つけた?」

「一応」

「一応じゃないでしょ、その顔」

「いや、どの顔」

「ちょっと晴れきってない顔」


 笑いながらそう言って、それから紙の方を指で示す。


「古文、一位じゃん」

「…うん」

「それだけでも十分じゃない?」


 真っすぐ返ってきて、そのまま返事が少し遅れる。


「そう言われると、素直に嬉しい」

「でしょ?」


 僕はそのまま、二人のいる方へ少しだけ寄る。


「木下さんも、上がってたね」


 呼ぶと、木下さんは紙を見ていた目を一度止めて、それからこっちを向いた。


「……水野くんも」


 声は小さかったけれど、ちゃんと届いた。


「でも、木下さんの方が上だし」

「ちょっとだけ」

「四位で『ちょっと』は、たぶん違う」


 そう言うと、木下さんは口元だけ少しやわらいだ。


「水野くんも、六位なら十分じゃない?」

「さっきから、みんな似たようなこと言う」

「いいことじゃん」


 僕は少し笑って、それからもう一度紙の方を見る。


 木下さんの名前は、数学と英語の上の方に残っていた。見つけた順番より、その並び方の方が先に目に残る。


「数学、一位だったね」


 木下さんはすぐには返さなかった。紙に向いていた目が少しだけ下がって、それから静かに言う。


「それはたぶん、英語より落ち着いて受けられたから」

「なるほど」

「すごいでしょ」


 横から佐藤さんがすぐ入る。妙に得意気な声だったから、思わずそっちを見る。


「なんで佐藤さんがそんな得意気なの?」

「…いいんじゃない?」


 木下さんが少し笑って、僕もつられて笑う。


 廊下の流れがまた動く。見終わった人が離れて、新しく来た人が前へ入る。さっきまで近かった声が少し遠くなって、代わりに別の列の「いた?」「マジ?」が短く続く。白い紙はそのままなのに、前に立つ人だけが何度も入れ替わっていく。


 岡田が最後にもう一度だけ数学の紙を見て、鼻で笑った。


「まぁでも水野くん、次は数学で俺を抜いてからでかい顔してくれよ」

「そっちこそ、次は総合載れるといいな」

「うわ、言い返してきた」

「今のはちょっとよかったな」


 宮本が笑って、井上も少し遅れて口元をゆるめる。


「でも、こいつたぶん暫くの間は擦るでしょ」

「擦るよ。擦れるうちは擦るだろ、そりゃ」

「最悪なんだけど」


 また笑いが起きて、そのまま前の方の誰かが歩き出す。止まっていた列が少しずつほどけて、宮本が先に体を廊下の流れへ向けた。井上もその後ろにつく。


 僕も壁から少しだけ離れる。


 離れてからも、白い紙の上に並んだ順位より、さっきまで前にあった背中の形とか、小さく上がった声の方が残っていた。


 廊下にはもう別の話し声が混ざり始めていて、順位の話も、その中へ少しずつ散っていく。誰かがまた壁際へ寄って、空いたぶんだけ別の人が前に入る。僕はその流れから半歩だけ外れて、教室の方へ足を向けた。

〖おまけ:主要人物の点数メモ〗

※数字が気になる方向けに、主要人物の各科目点と合計点を置いておきます(見なくてOK)。

※満点:各科目100点/総合=7科目合計(700点満点)

科目:現代文/古文・漢文/現代社会/数学/英語/物理基礎/生物基礎


◆水野 葵

現代文:93/古文・漢文:91/現代社会:88/数学:82/英語:79/物理基礎:74/生物基礎:83

総合:590(6位)


◆木下 佳乃

現代文:82/古文・漢文:78/現代社会:84/数学:97/英語:95/物理基礎:82/生物基礎:81

総合:599(4位)


◆岡田 健太

現代文:78/古文・漢文:73/現代社会:76/数学:91/英語:86/物理基礎:89/生物基礎:76

総合:569


◆宮本 大地

現代文:76/古文・漢文:72/現代社会:84/数学:71/英語:74/物理基礎:78/生物基礎:79

総合:534


◆井上 直哉

現代文:73/古文・漢文:70/現代社会:76/数学:68/英語:67/物理基礎:73/生物基礎:74

総合:501


◆佐藤 沙希

現代文:74/古文・漢文:69/現代社会:78/数学:67/英語:75/物理基礎:71/生物基礎:77

総合:511


◆佐伯 悠真

現代文:94/古文・漢文:85/現代社会:88/数学:95/英語:96/物理基礎:89/生物基礎:85

総合:632(1位)

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