第19話「薄い線」
教室に戻ると、窓が少し開いていた。
外はまだ明るくて、白いカーテンの端がゆっくり揺れている。さっきまでいた体育館とは空気の匂いも音の返り方も違うはずなのに、椅子を引く音だけはどこか軽かった。床を擦る短い音がいくつか重なって、そのあとに笑い声が小さくほどける。
前の方では、まだ立ったまま話しているやつがいる。机に半分腰を乗せたまま、さっきの続きをしている声も聞こえた。体操服の背中がいくつか見えて、そのあいだを誰かが横向きに抜けていく。廊下からも足音が続いていて、遠くで笛みたいな音が一度だけ鳴って、すぐに止んだ。
机に手を置くと、手のひらだけ少し遅れて教室に戻ってきた気がした。
窓際の列には、もう座っているやつもいる。肘をついたまま前の方を見ているやつ、椅子を斜めにしたまま誰かの声を聞いているやつ、何も言わずに水筒の蓋を回しているやつ。ひとつの話をしているわけじゃないのに、声は変に散りきっていなかった。
「いや、それは盛ってるって」
声がして、近くで笑いが起きる。
「盛ってないって」
「絶対ちょっと盛ってた」
「してないって、普通に」
岡田の声に、宮本がすぐ返す。そこへ井上が何か言って、輪の外で聞いていたやつまでつられて笑った。
「また始まってる」
少し前の席のやつが半分だけ振り向いて言う。
「聞こえてんだよ」
「そりゃ聞こえるでしょ」
その返事に、前の方でも小さく笑いが起きた。
佐藤さんのまわりでは、まだ試合の話が続いている。
「つかれた~」
「めっちゃ動いてたもんね」
「いやもう、足やばいんだけど」
「でも最後ちゃんと取ってたじゃん」
「いや、あれたまたま」
そこでまた笑いがほどける。
「ていうか、まだ暑くない?」
「暑い~」
「体育館やばかったし」
「のど乾いた~」
少し離れたところで、水筒を持ったまま「わかる~」と言う声がして、そのまま一口飲む。通路側では、立ったまま話していたやつがようやく椅子を引いて、その音にまた別の声が重なった。
「足つりそう」
「それは弱いって」
「うるさい」
それもすぐ笑いに変わる。
木下さんも前の方を見ていた。佐藤さんたちのところで笑いが起きるたび、そっちに少しだけ目を向ける。そのくらいのことが、今日は何となく自然だった。
教室のあちこちで別々の話をしているはずなのに、今日はそのどれもが遠すぎなかった。笑いに返事が重なって、その少し横でまた別の会話が続く。出ていたやつも、見ていたやつも、ただ聞いているだけのやつも、気づけば同じ軽さの中にいた。
誰かの笑いがまだ後ろに残っていて、前の方では別の話がそのまま続いていた。カーテンの端が揺れるたび、教室の中の声が少しずつ混ざり直す。
前の方で笑いがひとつ起きて、少し遅れて別のところでも小さくほどける。
教室のあちこちが、いつもより遠くなかった。




