【第一部 解説】 四 清洲
■ 取引でない関係
この章に、書の引用はありません。
信長が何かを読んで決めた場面ではないからです。清洲同盟は、書の原則を適用した結果ではなく、信長が自分で組み立てたものとして書かれています。
ですが、ここで起きていることは、ドラッカーが人と人との関係について書いたことと、正確に重なります。
当時の同盟には、決まった作法がありました。婚姻を結ぶ。人質を出させる。互いに証文を交わす。相手が裏切れば人質を殺す。そういう仕組みで縛ります。
信長は、その全部を外しました。
人数も要らない。兵糧も要らない。人質も要らない。取るのは一つだけで、東を見ないで済むこと。
柴田が食い下がります。
「縁を結ぶなら、人質を出させるものにございます。出さぬ相手を、どうやって信じまするか」
「信じるとは言っておらん」
「では」
「疑わぬと言っている」
この違いが、この章の全部です。
信じるというのは、相手の内面についての判断です。相手が善良である、忠実である、恩を感じている。そう見込むことです。ですが人の内面は変わりますし、外からは見えません。だから普通は、見えないものを補強するために担保を取ります。
信長がやったのは、判断そのものを不要にすることでした。
三河をまとめるには五年では済まない。その間、西から誰も来なければ、元康は仕事ができる。信長は西へ行く。両者の利害は、そもそも衝突していません。衝突していないのだから、裏切る理由がない。
人質は、裏切る理由がある関係でしか意味を持ちません。理由がなければ、人質はただの疑いの表明です。
「人質を取れば、お前は俺を疑う」
「疑う相手に、背中は預けられん」
管理の仕組みは、それ自体がメッセージを持ちます。監視を強めれば、相手は監視される側として振る舞い始めます。報告を細かく求めれば、報告のための仕事が増えます。担保を取れば、担保の範囲でしか動かなくなります。
ドラッカーは、成果をあげる関係は責任の上に築かれると書きました。責任を持てる範囲を明確にし、その中では任せる。任せるとは、確認を減らすことです。
現代の組織で「任せる」と言いながら細かく確認する上司が多いのは、任せることと信じることを混同しているからです。信じられないから確認する。確認するから、相手は任されていないと感じる。
信長は信じていません。ただ、疑う仕組みを作らなかっただけです。
もう一つ、この章には重要な一行があります。
柴田が「あれが破ったら、いかがなさいます」と聞いたとき、信長は答えます。
「そのときは、俺の見損じだ」
裏切りを相手の悪徳に帰していません。自分の判断の失敗として引き受けています。
これは、判断を担保で補強しない人間の、唯一の担保です。外部に責任を分散させない代わりに、失敗したときの帰属先を自分に置く。
そして、この章の末尾。
柴田は下がりながら、この人はまた説明せぬ、と思います。説明せぬまま、いつも当たる。当たるうちは、誰も聞かない。
説明しない上司の判断が、当たり続けたらどうなるか。
部下は考えなくなります。理由を聞かないことが習慣になり、いずれ聞けなくなります。組織の中に、判断できる人間が一人しかいない状態が完成します。
■ 史実では
清洲同盟は一五六二年正月に成立したとされます。桶狭間の二年後です。信長と松平元康(後の家康)が実際に清洲城で会見したかどうかは、史料によって記述が分かれます。
同盟が一五八二年の本能寺まで二十年間、一度も破れなかったことは事実です。戦国期の同盟としては例外的な長さで、これに匹敵する例はほとんどありません。
信長が三河に侵攻しなかったこと、家康が織田領を突かなかったこともまた事実です。ただし、対等な同盟だったかどうかは議論があります。時期が下るにつれて実質的には従属関係に近づいたとする見方が有力で、家康は信長の要請で長篠にも出陣し、一五七九年には信長の意向を受けて嫡男・信康を死なせています。
人質の授受については、記録が曖昧です。同盟締結時に人質を取らなかったとする説がある一方、後年、家康の子が織田家に入っている例もあります。本作の「人質は要らぬ」は、その曖昧さの中で一つの解釈を取ったものです。
家中の反対も、柴田や林とのやりとりも、創作です。松平が長年の敵であったことは事実なので、反対があったこと自体は自然ですが、誰が何を言ったかの記録はありません。
「疑う相手に、背中は預けられん」という言葉も、もちろん創作です。
なぜ二十年続いたのかは、結局のところ分かっていません。両者の利害が衝突しなかったからだ、という本作の説明は、後から見た合理化かもしれません。
ただ、人を縛る仕組みが、それ自体メッセージになることは確かです。監視すれば監視される者になり、担保を取れば担保の範囲でしか動かなくなります。
裏切らないように縛るのではなく、裏切る理由をなくす。信長は担保を全部外し、失敗したときの責任を自分に置きました。




