【解説】 二冊の差について
この本は、一つの仮定から書かれています。
もし織田信長がドラッカーを読んでいたら、どうなっていたか。
答えは、私の中では意外なものになりました。何も変わらなかった、というのが本作の結論です。
信長はドラッカーの原則を正確に適用しました。適用して、成果を上げました。そして、本能寺で死にました。方法を知っていても、結末は同じでした。
なぜかを、ここで整理します。
■ 道三の書に書いてあったこと
信長が読んだ書には、こういうことが書いてありました。
人の弱みではなく強みを見よ。成果は組織の外にある。力は一点に集めよ。時は取り戻せない。問いを立て直せ。機会に注ぎ、問題に注ぐな。実らぬものは捨てよ。人の技に頼るな。予期せぬ実りを見よ。
どれも、ドラッカーが書いたことです。そして、どれも実務で使えます。
信長はこれを二十六年使いました。一つも間違えていません。
尾張一国から始まって、美濃を取り、京へ入り、畿内を押さえ、東を平らげました。関を潰し、銭の基準を作り、道を通し、市を開き、町を作りました。人が動き、物が動き、銭が回りました。
方法は、当たりました。
■ 飛ばされた部分に書いてあったこと
原本には、その前に別の部分がありました。
なぜそれを行うのかという、目的を書いた部分です。
本文で開示されるのは、その中の一行だけです。
『人は、糧のみにては生きられぬ。人はおのれの居場所を欲する。この世に自分の座があり、なすべきことがあると知ったとき、はじめて人は人として立つ。組織とは、それを与えるための器である。』
これは、ドラッカーが組織について書いたことの中心にあるものです。
彼が経営について書き始めたのは、二つの経験を通してでした。
一つは、ナチスの台頭を目撃したことです。彼はオーストリアに生まれ、一九三三年にドイツを離れました。人がなぜ全体主義に吸い寄せられるのかを考え、最初の著書でその問いを扱っています。
答えとして彼が出したのは、社会が人に位置を与えられなくなったから、というものでした。共同体が壊れ、人が自分の居場所を失ったとき、その空白を埋めるものとして全体主義が現れる。
もう一つは、一九四〇年代にゼネラルモーターズの内部を調査したことです。当時、大企業は経済的な存在としてのみ扱われていました。彼はそこに、人が一日の大半を過ごし、自分が何者かを規定される場所を見ました。
二つの経験から出てきたのが、組織を社会的な機関として見る視点です。
組織は、成果を上げるための道具です。同時に、そこで働く人にとっては、自分の位置を得る場所でもあります。この二つは切り離せません。切り離すと、成果は上がっても、人が壊れます。
だから彼は、方法について書くとき、必ずその前に目的を置きました。
われわれの事業は何か。誰が顧客か。何を成果とするか。
これらは方法ではありません。方法を使う前に決めておくことです。決めていなければ、方法は方向を持ちません。
■ 道三が飛ばした理由
道三は、その部分を要らないと判断しました。
彼にとっては、実際に要らないものでした。目的は自分で決めていたからです。美濃を奪う。そのために使える手が欲しい。前置きは読まなくても、必要な部分は取り出せます。
これは、実務家の読み方として珍しくありません。
手法の本を買って、目次を見て、使えそうな章だけ読む。前半の理論は飛ばす。急いでいるときは、誰でもそうします。
問題は、飛ばした部分がないまま、次の人に渡ったことです。
道三は自分の目的を持っていました。信長は、道三の写しを受け取りました。手控えには方法しか書いていないので、信長は方法だけを受け取りました。目的は、自分で作るしかありませんでした。
では、信長は手段のみで目的を作らなかったのか。そうではありません。
信長は作りました。人が食える形を天下に敷く。
悪い答えではありません。彼が見てきたもの、九年の内紛と、桶狭間と、美濃の十一年から組み立てた答えです。
ただ、それは食うことについての答えでした。
人は糧のみにては生きられぬ、という一行を、彼は読んでいませんでした。
■ 何が足りなかったか
信長がやったことを、順に見ます。
武士に食い扶持を与えました。田を与え、扶持米を与え、戦場での手柄を与えました。飢えないようにしました。
役目は、一つしか与えませんでした。戦う者、という役目です。
そして、その役目が永久に続くように設計しました。戦を残す。終わらせない。終わらせないために、片づけきらない。
この設計の中で、武士は死ぬまで、戦う者以外の何者にもなれません。
食えています。ですが、それだけです。
ドラッカーが問題にしたのは、まさにこの状態でした。人が組織の中で、生活の糧だけを受け取り、何者としても扱われない状態。彼はそれを、社会が機能していない状態と呼びました。
信長は、それを完成させようとしていました。方法を使って、正確に、効率よく。
方法が優れているほど、この状態は強固になります。
■ 光秀が持っていたもの
光秀は、原本を持っていました。
目的の部分を読んでいます。だから、信長が何を作ろうとしているかを見たとき、それが何を欠いているかが分かりました。
四国の夜、彼は対案を出します。戦の代わりに大普請をやればいい。川を直し、道を通し、湊を作る。武士は人を束ねることを知っている。
信長は反論します。それは武士の仕事ではない。戦をせぬ侍を、何と呼ぶ。
光秀は答えられませんでした。
言うべきことは、喉まで来ていました。人は飯だけで生きるのではない。侍を侍のまま殺し合わせ続けるのと、鍬を持たせて生かすのと、どちらが人として立つか。
言えませんでした。言えば、なぜそう思うのかを言わねばならない。なぜそう思うのかを言えば、何を読んだかを言わねばならない。
道三との約束が、そこにありました。
この物語で、光秀は目的を持っていて、それを一度も口にしません。二十六年間、誰にも言いませんでした。
持っているだけでは、何も動きません。
■ 二冊が並ぶまで
本能寺で、二冊が並びます。
信長は方法を持っていました。光秀は目的を持っていました。二人は十四年、隣にいました。
その間、二人は何度も話しています。妙覚寺で、叡山で、安土で、甲斐で、四国で。
毎回、通じたと思って別れています。
妙覚寺で光秀が「機会に注げ」と言ったとき、信長は「乗る乗らぬを問わずに済むようにすればよい」と受け取りました。別のことを考えていました。
安土で信長が「城は、城のためにあるのではない」と言ったとき、光秀は「器は、器のためにあるのではない」と受け取りました。信長は設備の話をしていました。
どちらの場面でも、確かめる手続きはありませんでした。
ドラッカーは、コミュニケーションが成立するのは、受け手が発信者の意図を理解したときだと書きました。同じ言葉を聞いて、それぞれが納得することは、成立ではありません。
二人は納得し続けました。
最後に二冊が並んだとき、信長は言います。
誰も理由を聞かなかった。聞いても答えないと知っていたからだ。答える必要のない仕組みを、自分で作った。だから誰も、自分と同じものを見なかった。
見せなかったのだ。
■ この本の読み方について
ここまで、いくつもの解説を書いてきました。
強みで使う。外を見る。集中する。問い直す。機会に注ぐ。捨てる。技に頼らない。予期せぬ実りを見る。これらは、どれも方法についてのものでした。
どれも、明日から使えます。使えば、成果が出るものばかりです。
しかし、そのどれも、何のために使うかは教えてくれません。
ドラッカーの著作を実際に開くと、方法の前に、必ず目的についての章があります。事業の定義、顧客、成果の定義。多くの読者が、そこを飛ばします。
抽象的で、すぐには使えないからです。
飛ばしても、方法の部分は理解できます。実際に使えます。使えば効きます。効くので、飛ばしたことに気づきません。
道三がやったのは、それです。
この本は、その飛ばした部分がどこへ行き着くかを、四百四十年前の材料で書いたものなのです。
■ 最後に
信長は死にませんでした。この物語では、船に乗っています。
二冊を持って、まだ読み終えていない、と言います。厚いほう、目的の部分です。
彼は、方法の部分しか渡されませんでした。何度も読み、愚直に実行し、結果を出してきました。
意味は取れた。だが、まだ使えん。使えるようになるまで読む。そうせずにはおれん。俺は、そういう読み方しかできん。
隣に立っている僧は、こう言います。
わたくしは、まだ自信がありません。読むたびに、正しく読めているか迷います。
二十六年持っていた男が、そう言います。
目的の部分は、一度読めば分かるものではありません。組織が変われば、人が変われば、時代が変われば、答えは変わります。だから、繰り返し問い直すしかない。
方法は覚えれば使えます。目的は、覚えられません。
二冊の差は、そこにあります。
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