【第四部 本編】 七 小栗栖
一五八二年六月三日 京・本能寺跡
寺は、まだ燻っていた。
三日の朝、光秀は本能寺の跡に立っていた。
柱がいくつか黒いまま残っている。それ以外は、ほとんど平らになっていた。灰が厚い。踏むと沈んだ。
兵が朝から検めていた。命じたのは光秀ではない。誰かが勝手に始めていた。
「日向守さま」
「うむ」
「見つかりませぬ」
「そうか」
「奥のほうも、床下も見ました。焼けた骨は出ますが、どれがどれか」
「よい」
「よい、と申されますと」
「探すな」
兵は下がった。
光秀は灰の上に立っていた。
昨日の朝、あの人はここにいた。座って、貪るように本を読んでいた。
あの後どうなったかを、光秀は知っている。
誰にも言わない。
言えば、遺骸を探せと言われる。探して出なければ、生きているという話になる。生きているという話になれば、諸国が動かなくなる。
死んだことにせねばならない。
そのために焼いた。
*
三日のうちに、光秀は書状を書いた。
細川藤孝へ。筒井順慶へ。それから、近江の国衆、大和の国衆、丹後の者。
文面は同じである。
信長公は本能寺で果てられた。三七様(信孝)も、三介様(信雄)も、まだ動いておられぬ。畿内は静かである。これより天下のことを議したい。近く上洛されたい。
書きながら、光秀は自分の書いている言葉が薄いのを感じていた。
天下のことを議したい、とは何だ。
議して、何を言うのか。
あの人は戦を残そうとしておられた。それを止めた、と言えるか。
言えない。
言えば、証を出せと言われる。証は無い。あるのは書だけで、その書はもう自分の手元にない。昨日、あの人に渡した。渡して、あの人が持って出た。
残っているのは、自分の頭の中だけである。
頭の中は、証にならない。
光秀は書状を封じた。
どの一通にも、本当の理由は書かなかった。
*
六月五日、安土に入った。
城は空だった。留守居が逃げていた。蔵に手をつけて、兵に配った。金銀が山ほど出た。
配りながら、光秀は妙な気持ちになった。
この城は、あの人が作ったものである。人と物を集めるための仕掛けだった。町を割り、道を付け替え、商人を移し、諸役を免じた。
今、その城から金を出して、兵に配っている。
人は集まる。
銭で集まるなら、それでいい。
光秀はそう思って、配り続けた。
*
細川からの返事が来たのは、七日である。
藤孝は髪を下ろした、とあった。息子の忠興も同じくした、と。信長公の弔いのためである。当分、誰にも味方しない。
光秀の娘は、忠興の妻である。
その娘を、細川は丹後の山奥に幽閉した、とも書いてあった。
光秀は返事を読み終えて、しばらく座っていた。
藤孝とは長い。義昭に付いていた頃からだから、二十年になる。越前で朝倉に頭を下げたときも、一緒だった。京の公家衆を回ったのも、二人でやった。
この男なら、と思っていたわけではない。
来ないことは分かっていた。
分かっていたが、髪を下ろすとは思わなかった。
*
筒井からは、返事が来なかった。
九日、光秀は洞ヶ峠まで出た。順慶が来るという話があった。
半日待った。
来なかった。
順慶は郡山の城に籠って、堀を深くしていた。
光秀は兵を返した。
返す道で、斎藤利三が並んだ。
「殿」
「うむ」
「順慶殿は、来ませぬな」
「うむ」
「なぜでございましょう」
光秀は答えなかった。
利三は少し黙ってから、言った。
「殿。それがしにも、分かりませぬ」
光秀は利三を見た。
「何がだ」
「なぜ、討たれたのか」
光秀は前を向いた。
「そうか」
「それがしは、殿に従いました。従うと決めたのは、殿だからにございます。理由は伺っておりませぬ」
「うむ」
「伺ってもよろしゅうございますか」
光秀は馬を進めた。
しばらく、蹄の音だけがしていた。
「利三」
「はい」
「聞かんでくれ」
利三は、それ以上聞かなかった。
*
朝廷へは、九日に参内している。
銀を献じた。京の町にも銀を配った。誠仁親王に挨拶し、公家衆に会った。
誰も何も言わなかった。
いつも通りの応対だった。関白も、勧修寺も、以前と同じように話し、以前と同じように茶を出した。
光秀が織田の家臣であった頃と、何も変わらなかった。
朝廷は、誰が来ても同じ顔をする。
三好にも、そうした。松永にも、そうだった。
公方様が京を追われたときも、止めるわけでもなくそうした。
光秀は、それを間近で見てきた。
取次はずっと、自分の役目だった。
帰り道、光秀は輿の中で、そのことを考えていた。
誰も、なぜかを聞かない。
細川は聞かずに髪を下ろした。筒井は聞かずに堀を深くした。公家衆は聞かずに茶を出した。
みな、光秀が天下を欲しがったのだと思っている。
それで話が済むからである。
聞いたのは、利三ひとりである。
その利三に、聞かんでくれと言った。
*
秀吉が備中から動いたという報せは、十一日に入った。
早すぎた。
高松の城を水攻めにしていたはずである。毛利と対峙していたはずである。それが、和睦して、返してきた。
備中から山城まで、四日で。
光秀は報せを二度読んだ。
あの男は、殿が死んだと知ってから、四日で戻ってきたことになる。
どうやって、と考えかけて、やめた。
考えても仕方がない。
「秀吉、か・・・」
あの男らしい、と思い直した。
来るなら、当たるだけである。
*
一五八二年六月十三日 山城・山崎
十三日の夕方、山崎で当たった。
光秀は一万六千。秀吉は四万に近い。
円明寺川を挟んで並んだ。天王山の裾が右手にある。ここを取られると、こちらの右が崩れる。
取られた。
中川と高山が山手から回った。摂津の者である。荒木が滅んだ後、あの人が入れた者たちだ。
同時に、正面が来た。数が違う。
二刻ももたなかった。
斎藤利三は最後まで残った。残って、崩れた。捕らえられたのは翌日である。京で車に乗せられ、引き回されて、六条河原で斬られた。
光秀は、勝竜寺城に入った。
入って、すぐに出た。
夜だった。
*
坂本まで、三里ほどである。
城には妻がいる。家族がいる。
供は十三人になっていた。
勝竜寺を出たときは五十いた。途中で減った。逃げたのではない。追手に当たって、そのつど残っていった。
伏見を過ぎ、山科に入った。
小栗栖という在がある。竹薮の中を道が抜けている。細い道である。馬一頭がやっと通る。
夜で、月が無かった。
光秀は先頭にいなかった。三番目にいた。
竹薮の中で、何かが動いた。
音がしたと思った次に、脇腹に来た。
深かった。
馬が跳ねて、光秀は落ちた。
竹槍である。
落ち武者狩りだった。この辺りの百姓が、夜になると出てくる。具足を剥ぎ、刀を取り、銭にする。
誰が刺したのか、光秀には見えなかった。
薮の中である。顔は見えない。向こうも、光秀の顔を見ていない。
誰を刺したのかも、分かっていない。
立派な具足を着た者が通った。それだけである。
*
供の者が抱え起こした。
「殿」
光秀は何か言おうとした。
言葉が出なかった。
出なかったのではない。言うことが、無かった。
光秀は首を振った。
それから、言った。
「首を、取れ」
「殿」
「敵に渡すな。埋めろ」
供の者は動かなかった。
「早くしろ」
男が刀を抜いた。
*
首は、埋められた。
だが翌日、掘り返された。誰かが場所を教えたらしい。
京へ運ばれ、本能寺の跡に晒された。
三日ほど、そこにあった。
見た者が言うには、腐っていて、顔は分からなかったという。それが明智日向守の首だと、みなが言った。誰も確かめなかった。
*
秀吉は、坂本へ人をやった。
城は焼けていた。光秀の妻と、家族と、残った家臣が、火をかけて死んでいた。
蔵も焼けた。書物も、帳面も、全部焼けた。
検分した者が、秀吉に報告した。
金銀は名物とともに城外へ出してあった。天下の道具を私するのは本意でない、という口上が添えてあったという。
秀吉はそれを聞いて、うむとだけ言った。
それから、聞いた。
「日向守は、何をしたかったのだ」
誰も答えなかった。
秀吉はそれきり、その話をしなかった。
次の日から、清洲での談合の支度に入っている。
*
徳川家康は、そのころ三河へ帰り着いていた。
二日、堺にいた。本能寺の報せを受けて、伊賀の山を越えた。供は三十人ほど。何度か死にかけた。
岡崎に入って、兵を集め始めた。
尾張まで出て、そこで止まった。
秀吉が既に光秀を討った、と聞いたからである。
家康は兵を返した。
返しながら、家康は、信長のことを考えていた。
安土で会ったのは、ひと月前である。上機嫌だった。西を片づけると言っていた。片づけた後のことは、何も言わなかった。
聞けばよかった、と家康は思った。
思ったが、それきりである。
三河へ戻って、甲斐と信濃の始末にかかった。当分、そちらで手一杯だった。
*
明智光秀は、逆賊とされた。
主を討ち、十一日で滅んだ。天下を欲しがって、失敗した男である。
そのように書かれた。
書いたのは秀吉に仕えた者たちである。以後、四百年、そう伝わった。
なぜ討ったのかは、誰も知らない。
諸説が出た。恨みだという者がいた。野心だという者がいた。朝廷に頼まれたのだという者もいた。四国のことだという者もいた。
どれが本当か、知るすべはもうない。
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