【第四部 解説】 六 本能寺
解説 六 本能寺
■ 終わりを問う
書を投げる前に、信長は光秀にこう言っています。
「天下に終わりを問う者があるか」
これは、彼の立場からは正確な返答です。
ドラッカーは、企業を継続の前提で成り立つ機関として扱いました。事業は、いつやめるかを決めて始めるものではありません。走り続けることを前提に組み立て、続けるために事業の定義を問い直し、実らぬものを捨て、機会に注ぐ。ここまで扱ってきた方法は、すべてその前提の上にあります。
信長が言っているのは、それと同じことです。天下を一つの事業と見るなら、終わりを問うほうがおかしい。
彼は最後まで、方法の側では正しかった。
違うのは、その事業が何のためのものかを、彼が知らなかったことです。
続けることを前提にした事業が、何のための事業か答えられない状態で続く。そのとき、続けること自体が目的になります。
光秀が聞いたのは、そこでした。いつまで、という問いは、期限を知りたいという意味ではありません。何のためかを知りたい、という意味です。
信長には、そう聞こえませんでした。
■ 前の部分
この章で、二冊の書が並びます。
信長が投げたのは、道三が写した手控えでした。光秀が懐から出したのは、道三が受け取った原本でした。同じ書です。同じ順で、同じことが書いてあります。
違うのは、厚さでした。
光秀が手控えを開いて、すぐに気づきます。
人を用いる法から始まっている。時をどう使うか。力をどこに集めるか。事を決めるとき、何から始めるか。全部あります。全部、正しく写してあります。
だが、その前が無い。
なぜそれを行うのか、を書いた部分が、丸ごとありません。
道三は写すときに、それを飛ばしました。要らないと思ったからです。
道三にとっては、実際に要らないものでした。彼は美濃を奪う方法を探していました。人の使い方、時の使い方、力の集め方、決め方。それだけあれば足ります。何のために国を取るのかは、自分で決めていました。決めている人間にとって、目的について書かれた頁は、確かめるまでもない前置きです。
だから飛ばした。悪意はありません。
問題は、写しを受け取った人間が、その前置きを一度も見ないまま生きたことです。
ここで、これまでの解説を振り返ります。
どれも、方法についての解説でした。
強みで人を使う。成果は外にある。資源を一点に集める。問いを立て直す。機会に注ぐ。実らぬものを捨てる。技に頼らない。予期せぬ成功を見る。
全部、方法です。
あなたは方法だけを読んだことになります。信長が読んだのと、同じものを、同じ順序で読んだのです。
そして、方法は当たり続けました。
関を潰したのは正しい。銭の値を定めたのは正しい。道を広げ、市を開き、街道を付け替えたのも正しい。人を強みで使い、実らぬものを捨て、技に頼らぬ仕組みを作った。書いてある通りにやって、書いてある通りになりました。
この物語のいちばん恐ろしいところは、信長が間違えないことです。
方法は、目的を知らなくても機能します。
これは現代の組織でも同じです。目標を設定し、進捗を測り、資源を集中し、成果の出ない事業を畳む。この一式は、何のためにやっているのかを誰も答えられなくても、正常に回ります。回るどころか、うまく回ります。
目的を問う時間は、短期的には無駄です。問わないほうが速い。
では、何が起きるか。
信長が読んだ一行が、それを言っています。
『人は、糧のみにては生きられぬ。人はおのれの居場所を欲する。この世に自分の座があり、なすべきことがあると知ったとき、はじめて人は人として立つ。組織とは、それを与えるための器である。』
信長は、この一行を過去に一度読んでいます。稲生の夜、書を最初から読み直したときです。
意味が取れず、義父の癖だと思って飛ばしました。
あの箇所だ、と信長は思い出します。あれは、ここから来ていた。
そして、自分が何をしてきたかを見直します。
武士が数万いる。あれらに食い扶持は与えた。田も、扶持米も、戦場での手柄も。
役目は、一つしか与えなかった。
戦う者。
それしか与えず、それを永久に続けさせようとした。あれらは死ぬまで、殺す以外の座を持たないことになる。
これが、目的を知らないまま方法を極めた結果です。
人を食わせることはできました。組織を作り、動かし、成果を上げ続けました。ですが、そこにいる人が何者として扱われるかは、設計に入っていませんでした。
組織は、器です。器を作ることはできても、そこに何を入れるかを決めなければ、入れられるものは一つしかありません。今そこにあるものです。
武士がいたので、武士を入れ続けました。
もう一つ、信長が気づくことがあります。
誰も理由を聞かなかった。聞いても答えないと知っていたからだ。答える必要のない仕組みを、自分で作った。だから誰も、自分と同じものを見なかった。
見せなかったのだ。
これは、目的の共有についての話です。
岐阜で信長は自分の答えを決めました。人が食える形を天下に敷く。誰にも言いませんでした。言えば説明しなければならず、説明しても分からず、分からせるには書を見せるしかないからです。
説明しないほうが速い。実際、速かった。
その代わり、家臣たちは天下布武の四文字だけを与えられました。武で天下を取る、と読みました。
そして、信長自身も、自分の答えが正しいかどうかを誰にも検証されませんでした。
目的を共有することの効き目は、二方向あります。
一つは、部下が判断できるようになることです。基準を持てば、指示がなくても動けます。
もう一つは、その目的自体が検証されることです。共有された目的は、疑問を持たれます。それは違うのではないか、と言われる。言われたことで、目的が修正されます。
信長は、後者を失いました。
光秀は、この人には届いていると思っていました。安土で「城は、城のためにあるのではない」と聞いたとき、同じところに立っていると考えました。
そのとき信長は、設備は手段だという話をしていました。
二人は同じ言葉を共有し、それぞれが満足しました。確かめる手続きは、ありませんでした。
この章で、信長は最後の一枚まで読み終えて、顔を上げます。
目の前に一人だけ、立っています。同じ書を持つ男が。
同じ書を持っていた男は、十四年間、隣にいました。
■ 史実では
本能寺の変は一五八二年六月二日。明智光秀が信長を襲い、信長が死んだことは事実です。
信長は本能寺に少数の供回りで滞在していました。弓を取って戦い、その後自害したと『信長公記』は記します。遺体は見つかりませんでした。
変の動機については、四百年以上議論が続いています。怨恨説、野望説、朝廷関与説、四国説、黒幕説。決定的な証拠はどれにもありません。
信長と光秀が本能寺で対話した、という記録はありません。二人が最後に会話したかどうかも分かりません。
二冊の書は、当然ながら完全な創作です。
ドラッカーが生まれるのは一九〇九年。信長の死から三百二十七年後です。
この作品がやったのは、信長の政策を並べたときに見える一貫性に、後から名前をつけることでした。関の撤廃、撰銭令、街道整備、楽市、城下町の設計。これらは実際に行われ、実際に効果を上げました。それを何と呼ぶかは、後の時代の言葉です。
ただし、この作品が置いた仮定は一つだけです。
方法は、目的を知らなくても機能する。
これは仮定ではなく、観察できる事実です。手順は伝達可能で、目的は伝達されにくい。目的を確認する作業は時間がかかり、短期的な成果には結びつきません。
だから、多くの組織で、前の部分は写されないまま渡されます。




