【第四部 本編】 五 老ノ坂
一五八二年五月十五日 近江・安土
家康が安土に着いたのは、五月十五日である。
武田の始末が終わって、駿河を貰った礼に来た。供は三十人ほど。穴山梅雪が付いていた。
饗応役は光秀である。
三日の献立を組んだ。京から料理人を呼び、堺と若狭から魚を取り寄せた。鮒、鯉、鮑、海月。三日目には唐の菓子まで用意した。
部屋の飾りも光秀が見た。掛物、花、香。家康は目の利く男である。安土の格を見せねばならない。
十五日の夜、初日の膳が出た。
家康は満足していた。信長も上機嫌だった。
十六日も同じだった。
十七日の昼過ぎ、光秀は呼ばれた。
*
信長は一人でいた。
「日向守」
「はっ」
「饗応は、堀久太郎に代われ」
光秀は動かなかった。
「・・・」
「お前は、中国へ出よ」
「中国」
「猿が高松を囲んでおる。毛利の本隊が出てくる。加勢しろ」
光秀は膝に手を置いた。
「いつでございますか」
「すぐだ」
「三日目の膳が、まだ」
「堀がやる」
信長はそれだけ言った。
「坂本へ戻って支度をしろ。丹波の衆を集めて、備中へ出よ。俺も後から出る」
「殿も」
「うむ。西を片づける」
光秀は頭を下げた。
「承知いたしました」
「行け」
光秀は下がった。
*
廊下を歩きながら、光秀は考えていた。
役を解かれたことは、どうでもよい。饗応など誰がやっても同じである。堀久太郎は気の利く男だ。三日目の膳は滞りなく出るだろう。
考えていたのは、なぜ今か、ということだった。
中国へ加勢を出すなら、丹波衆でなくてもよい。細川がいる。池田がいる。丹後も摂津も、備中に近い。
なぜ、自分か。
考えて、答えは出た。
自分が畿内にいるからだ。
畿内には、丹波、近江、丹後、大和がある。光秀はそのほとんどに手を持っている。取次も、朝廷との折衝も、寺社の始末も、この十年、全部やってきた。
その男を、遠国へ出す。
備中へ行けば、毛利と当たる。当たれば一年、二年。その間、畿内には自分がいない。
畿内から自分が抜ければ、どうなる。
光秀は足を止めた。
抜けたところに、火が残る。
四国が焼ける。長宗我部が兵を挙げる。誰かが抑えねばならないが、抑えきらない。上杉も同じだ。魚津は落ちるが、越後は残る。
残った火が、燻る。
燻り続ける。
自分がいると、消してしまう。
だから、遠くへ出すのだ。
光秀は、その考えを打ち消そうとした。
考えすぎだ。単に、備中に人数が要るだけかもしれない。あの人が自分を信じているから、一番大きな戦に出すのかもしれない。
だが、打ち消しきれなかった。
*
一五八二年五月 近江・坂本
坂本に戻って、支度を始めた。
兵を集める。兵糧を積む。丹波の亀山へ移し、そこから備中へ向かう。
支度をしながら、光秀は方々に書状を出した。
細川藤孝へ。筒井順慶へ。
中国出陣のことを書き、備中の様子を尋ね、それから、近ごろの殿のご様子をどう見るか、と書いた。
返事が来た。
細川からは、殿はご壮健、四国のことは残念であった、備中でお会いしましょう、とあった。
筒井からは、大和の普請のことが書いてあった。
どちらも、光秀が何を聞いているか分かっていなかった。
光秀は返事を火にくべた。
誰にも言えない。
言えば、まず信じない。殿が戦を残しておられる、と言ったところで、何を言っているのかと思われるだけだ。
証を出せと言われる。
証はある。四国がそうだ。上杉がそうだ。荒木も松永も林も佐久間もそうだ。並べれば見える。
だが、並べて見せたところで、たまたまでございましょう、と言われて終わる。
本当の証は、書だけである。
あの書を出して、これに書いてあることと、殿のなさっていることが違う、と言えば分かる。分かる者もいるかもしれない。
出せない。
――その書を持っていることを、誰にも言うな。誰にもだ。
いつかの、長良川の川原である。
あの人は、それだけを言った。理由は言わなかった。
理由を言わなかったから、破りようがない。
破ってよい理由がないからだ。
*
朝廷は、と光秀は考えた。
勧修寺の家に伝手がある。近衛にも近い。上奏する道はある。
だが、何を上奏する。
殿が戦を残しておられます、と。
朝廷は困る。困って、綸旨を出すかもしれない。出したところで、あの人は従わない。関のときも従わなかった。叡山のときも従わなかった。
あの人は、朝廷の外にいる。
将軍もいない。義昭は備後にいるが、あれはもう名だけである。
止められる者が、いない。
止められる場所も、ない。
光秀は坂本の縁に出た。
湖が黒い。夜だった。対岸に、安土の明かりが見える。夜通し消えぬ明かりである。
あと三年か、四年か。
甲斐で、あの人はそう言った。西が片づくまでの話である。
片づいた後は、何も変わらない。片づけきらぬ、と言った。
三年後、自分は備中にいる。
五年後も、備中か、九州か、どこか遠くにいる。
畿内には戻れない。
戻ったころには、この国は、そういう国になっている。
燻り続ける国に。
光秀は、そこまで考えて、初めてその先を考えた。
考えたくなかったことである。
だが、他に道がない。
説けない。訴えられない。待てない。
残っているのは、一つだけである。
*
一五八二年五月二十七日 丹波・愛宕山
二十六日、光秀は亀山に入った。
翌日、愛宕山へ登った。戦勝祈願である。珍しいことではない。西へ出るのだから、当たり前のことである。
威徳院に泊まり、二度、三度と籤を引いた。
二十八日、連歌の会を催した。
里村紹巴が来た。ほかに、威徳院の行祐と、光秀の家臣が数人。
百韻を巻いた。
発句は光秀である。
ときは今 あめが下しる 五月かな
紹巴が受けた。
水上まさる 庭の夏山
それから順に付けていった。夜まで続いた。
この発句は、後に問題にされる。
時は土岐である。光秀の家は土岐の流れを引く。あめが下しるは、天が下知る。土岐が天下を治める、と読める。
そう読んだ者がいた。秀吉である。
だが、その場にいた者は、誰もそう読まなかった。
五月である。梅雨だった。前の晩から雨が降っていて、山が濡れていた。庭の向こうに、水かさの増した流れが見えていた。
光秀は、それを詠んだだけである。
あるいは、それだけではなかったかもしれない。
光秀は、その日、何も言わなかった。
連歌が終わって、紹巴が帰った後、光秀は一人で外に出た。
雨は上がっていた。
山の上から、京が見える。
あの日も、雨上がりだった。長良川の川原で、石が濡れていた。
老人が耳元で、三つのことを言った。
一つは、言うな。
二つは、助けよ。
三つ目は・・・。
光秀は、その三つ目を思い出した。
思い出して、首を振った。
その時は、来ない。
あの人が自分に書を見せることなど、ない。これまで一度もなかった。あの人は誰にも見せない。妻にも見せなかったと聞いている。
ならば、三つ目は、意味のない言葉だった。
道三は、来ぬ時のことを言い遺したのだ。
光秀は山を下りた。
*
一五八二年六月一日 丹波・亀山
六月一日の夜、光秀は兵を出した。
一万三千。備中へ向かうという触れである。
夜の行軍は珍しくない。暑い季節は夜に動く。誰も怪しまなかった。
亀山を出て、東へ向かう。
備中へ行くなら、南へ下って摂津へ抜ける。東は、京である。
老ノ坂に着いたのは、丑の刻を過ぎたころだった。
ここで道が分かれる。南は摂津、東は京。
光秀は馬を止めた。
後ろで、一万三千が止まった。
斎藤利三が寄ってきた。
「殿」
光秀は答えなかった。
空を見ていた。曇っている。月は出ていない。
備中へ行けば、と光秀は思った。
行けば、この一万三千は毛利と当たる。何千か死ぬ。勝つか負けるかは分からないが、いずれ片はつく。片がついても、また次がある。
次があり、その次がある。
この者たちの子も、孫も、同じことをする。
そのように、この国は作られる。
自分が今、南へ下れば、そうなる。
光秀は手綱を握った。
自分は正しいことをするのではない、と思った。
主を討つ。理由は言えない。言えないから、誰にも分かってもらえない。細川も筒井も来ない。来ないことは、もう分かっている。
自分は逆賊になる。
なって、死ぬ。
それでも、この国が燻り続けるよりは、まだましだ。
まし、というだけである。
それ以上のことは、何も言えない。
「利三」
「はい」
「敵は、本能寺にあり」
斎藤利三は、しばらく光秀を見ていた。
それから、馬を返した。
列が動いた。
東へ動いた。
誰も理由を聞かなかった。
この章に解説はありません。
次回も本編が続きます。




