【第四部 解説】 四 四国
■ 聞くという形
長宗我部元親は、四年前から織田と結んでいました。土佐から阿波、讃岐へ広げてきた。取ったところは切り取り次第でよい、と信長が言ったからです。
取次は光秀が務めてきました。四年分の書状を全部見ています。元親は約束を守る男でした。伊予に手をつけるなと言えばつけず、阿波の三好の残りには手加減した。
四月、信長が方針を変えます。
土佐と阿波南半のみ安堵する。他は返上せよ。従わねば、討つ。
光秀は評定の場で諫めます。土佐守は一度も約を違えていない。阿波を取れと申したのはこちらである。返上せよと言えば、あれは兵を挙げる。
信長は全部認めます。知っている。そうだ。そうだろうな。
なぜか、と問われて、三好の縁を深くする、三男に阿波をやることにした、と答えます。
説明になっていません。三好の縁が要るなら、四年前にそうしておけばよかった。四年かけて元親を育てて、育ったところで返上させる。理屈が合いません。
この章が扱うのは、諫言が機能しているかどうか、という問題です。
光秀はさらに踏み込みます。
「殿のなさりようは、近ごろ、あちこちで火を残しておられるように見えまする」
上杉は魚津まで押しながら越後を突かない。毛利も備中で止まっている。四国は今のままで済むものを、わざわざ乱す。
一つ一つには理由があるでしょう。ですが、並べますと。
「並べますと、どう見える」
「残しておられるように、見えまする」
信長は笑いました。
「よく見ている」
「お前はよく見ている。それでよい」
それだけでした。信長は次の議題に移ります。
その夜、二人だけで話す場面が続きます。
武士という階層は、戦を前提に成立していました。戦がなくなれば、その階層の生計が消えます。十万を超える侍と、その妻子を入れれば三十万。
それだけの人数の生計を一度に失わせれば、社会が崩れる。
現実的な判断です。実際、後の時代にこの問題は形を変えて表面化します。
言い当てたのは光秀でした。信長は認めただけです。
ここで光秀は対案を出しました。
戦を絶やせば武士は食えない。ですが、戦でなくとも働き口はある。安土でなさったことを、天下でおやりになればよい。川を直し、道を通し、湊を作る。人手が要り、束ねる者が要る。武士は人を束ねることだけは知っている。
戦を絶やすのではない。戦の代わりに、別の大普請をなさるのです。銭は同じように動き、武士は同じように食え、国は焼けません。
信長は最後まで聞きました。そして、こう言います。
「それは、武士の仕事ではない」
「川を直すのは、百姓の仕事だ。道を通すのは、人足の仕事だ。束ねる者なら、代官でよい。侍は要らぬ」
「侍は、戦をする者だ。戦をせぬ侍を、何と呼ぶ」
この反論は、光秀の案の弱点を正確に突いています。
武士を土木事業の管理者に転換する。仕事は与えられます。ですが、その仕事をする人間を、何と呼ぶのか。武士という身分は、戦をすることで定義されていました。戦をしない武士は、定義上、武士ではありません。
信長の言い分は、こうです。
「俺は、侍に飯を食わせると言っている。お前は、侍に鍬を持たせろと言っている。同じではない」
「お前は、飢えさせぬために、侍を侍でなくそうとしている。俺は、侍のまま食わせようとしている。どちらが情けが深い」
光秀は答えられませんでした。
言うべきことは喉まで来ていました。人は飯だけで生きるのではない。侍を侍のまま殺し合わせ続けるのと、鍬を持たせて生かすのと、どちらが人として立つか。
その先が、言えませんでした。言えば、なぜそう思うのかを言わねばならない。なぜそう思うのかを言えば、何を読んだかを言わねばならない。
ここまでが議論の中身です。
この章の本題は、その後の廊下にあります。
光秀は自分の手を見ます。震えていません。叱られたのではなく、褒められたからです。あの人は最後まで聞き、こちらの言い分を認めた上で、違うと言った。そして、これからも言えと言った。
なのに、何も変わらない。
四国のことは明日には触れが出る。上杉も毛利もそのままです。
三度目でした。妙覚寺で一度、甲斐で一度、そして今日。
三度とも、聞かれました。三度とも、答えました。そして三度とも、自分が言った通りにはなりませんでした。
妙覚寺のときだけは、決定が動いています。ただし、動いた先は光秀の進言と別の方向でした。乗らぬ者に力を注ぐな、と言ったのに対して、六角の残党を山に残せ、という指示が出ています。
聞いた側が何かを受け取ったことは確かです。受け取ったものが、言った内容だったかどうかは別です。
この人は、自分の言うことを聞いている。聞いた上で、動かない。
ならば、なぜ聞くのだ。
そして光秀は、一つのことに思い当たります。
言わせているのだ。
この人は、諫める者を一人置いておくと決めている。それが自分だ。自分が何を言うかは、どうでもよい。言う者がいる、という形が要るのだ。
ドラッカーは、意思決定には反対意見が必要だと書きました。
理由は、全員が賛成している決定は、検討されていない決定だからです。異論が出ないのは、優れた案だからではなく、誰も真剣に考えていないからだ、と彼は考えました。
だから、意識的に反対意見を求める。異論を言う人間を確保する。
ここまでは、信長がやっていることと同じに見えます。
「そういうことを言うのは、お前しかおらん。他の者は、承知いたしましたとしか言わぬ。丹羽も、滝川も、猿もだ。お前だけが、違うと言う。それでよい。これからも言え。それがお前の役目だと心得よ」
役目、という言葉が使われています。
反対意見を役目にすると、何が起きるか。
反対意見の目的は、決定を変え得ることにあります。変わり得るから、決定する側は真剣に検討します。検討した結果、変えないこともありますが、その場合も理由が生じます。
役目として反対意見が出されている場合、決定は最初から変わりません。反対されることが手続きに含まれているからです。手続きを踏んだという事実だけが残り、内容は影響しません。
これは、形式化した反対意見です。
現代の組織でも起きます。会議で必ず異論を言う役の人がいて、その人が発言し、記録に残り、原案通り決まる。異論があったという事実は、決定の正当性を高めるために使われます。
異論が機能しているかどうかを見分ける方法は、一つだけあります。
過去に、それによって決定が変わったことがあるか。
光秀は三度数えました。三度とも、変わっていません。
十二年前、妙覚寺で言われた言葉が、ここで回収されます。
お前は、好きなようにこれからも申せ。ゆるす。
あのとき自分は、届いたと思った。
届いたのではない。役目を与えられたのだ。
■ 史実では
織田と長宗我部の関係悪化、いわゆる四国国分令は一五八二年のことです。土佐と阿波南半のみを安堵し、他は返上せよという内容だったとされます。
明智光秀が長宗我部との取次を務めていたことは事実です。光秀の重臣・斎藤利三の縁者が長宗我部元親の正室であったことも確認されています。
方針転換の理由については、三好康長との関係強化、信長三男・信孝の四国方面軍編成などが挙げられます。信孝を総大将とする四国渡海軍が編成され、本能寺の変の直前に大坂に集結していたことは事実です。
この四国政策の変更が本能寺の変の動機だったとする説は、近年有力になっています。石谷家文書の発見により、光秀と長宗我部の交渉の詳細が明らかになったことが背景にあります。
ただし、本作はこの説を直接の動機としては採っていません。四国は、光秀が問題の全体像に気づく契機として置かれています。
評定での諫言、夜の対話は、いずれも創作です。
信長が光秀に諫言の役割を与えていた、という設定も本作のものです。信長が家臣の意見をどう扱っていたかは、記録が乏しく分かりません。
反対意見は、意思決定の質を上げるために必要です。ただし、それが機能しているかどうかは、意見が出ているかどうかでは測れません。測る方法は一つで、その意見によって決定が変わったことがあるかどうかです。




