↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本能寺の決算書 ――もしも、織田信長がドラッカーを読んでいたら  作者: 島村 巡
第四部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
38/45

【第四部 本編】 四 四国

一五八二年四月 近江・安土



 東が片づいて、残るのは西だけになった。


 その数日後、四国の話が動いた。


 長宗我部元親は、四年前から織田と結んでいる。土佐から阿波、讃岐へ広げてきた。取ったところは切り取り次第でよい、と信長が言ったからだ。


 その取次を、光秀が務めてきた。


 元親の正室は、光秀の重臣・斎藤利三の縁につながる。四年、書状のやりとりを全部見てきた。元親は約束を守る男だった。伊予に手をつけるなと言えばつけず、阿波の三好の残りには手加減した。


 四月、信長は方針を変えた。


 土佐と阿波南半のみ安堵する。他は返上せよ。従わねば、討つ。


 光秀はその文言を、評定の場で聞いた。



              *



 広間は静かだった。


 信長が言い、右筆が書き取り、それで終わりだった。


 誰も何も言わなかった。


 光秀は膝の上を見ていた。四年分の書状が頭の中を通っていった。元親が伊予から兵を引いたときのこと。三好の残党を許したときのこと。全部、こちらが言ったからやったことだ。


「殿」


 光秀が言った。


 諸将が、少し顔を上げた。


「何だ」


「四国の儀にございますが」


「うむ」


「土佐守は、これまで一度も約を違えておりませぬ」


「知っている」


「阿波を取れと申しましたのは、こちらにございます」


「そうだ」


「返上せよと申せば、あれは兵を挙げまする」


「そうだろうな」


 光秀は顔を上げた。


 信長は退屈そうな顔をしていなかった。むしろ、こちらを見ている。ちゃんと聞いている顔だった。


「殿は、それを承知で仰せになりますか」


「承知だ」


「なぜでございます」


「三好の縁を深くする」信長は言った。


「三男に阿波をやることにした」


 説明になっていない。


 光秀にはそう思えた。三好の縁が要るなら、四年前にそうしておけばよかった。四年かけて元親を育てて、育ったところで返上させる。理屈が合わない。


「日向守」


「はい」


「言いたいことがあるなら、言え」


 光秀は少し迷った。


「では、申し上げます」


「言え」


「殿のなさりようは、近ごろ、あちこちで火を残しておられるように見えまする」


 諸将が下を向いた。


 信長は動かなかった。


「続けろ」


「上杉は、魚津まで押しておりながら、越後を突いておられませぬ。毛利も同じにございます。備中で止まっております。四国は、今のままで済むものを、わざわざ乱される」


「うむ」


「一つ一つには、それぞれ理由がおありでしょう。ですが、並べますと」


 光秀はそこで言葉を切った。


 言ってよいのか、迷った。


「並べますと、どう見える」


「・・・残しておられるように、見えまする」


 信長は笑った。


「よく見ている」


 光秀は顔を上げた。


「殿」


「お前はよく見ている。それでよい」


 それだけだった。


 信長は次の議題に移った。家康の饗応の話になった。



              *



 その夜、光秀は信長に呼ばれた。


 二人だけだった。信長は縁に出て、湖を見ていた。灯りが下の町に散っている。


「昼のことだ」


「はい」


「並べるとどう見える、と言ったな」


「はい」


「言ってみろ。並べたら、何だ」


 光秀は座り直した。


 こういう機会は、めったにない。この人が自分から聞いてくることは、年に何度もない。


「殿は、戦を絶やさぬおつもりかと存じます」


 信長は振り返らなかった。


「そう見えるか」


「はい」


「なぜだと思う」


「武士が食えなくなりまするゆえ」


 信長が振り返った。


「分かっておるではないか」


 光秀は頭を下げた。


 通じた、と思った。


「殿。そこまでお考えでしたら、話が早うございます」


「言え」


「戦を絶やせば、たしかに武士は食えませぬ。ですが、戦でなくとも、武士に働き口はございます」


「どういうことだ」


「安土でございます」


 信長が黙った。


「殿が安土でなさったことを、天下でおやりになればよろしいのです。川を直し、道を通し、湊を作る。人手が要ります。それも、束ねる者が要ります。武士は、人を束ねることだけは知っております。あれらを、そちらへ移せばよろしい」


 光秀は続けた。


「戦を絶やすのではございませぬ。戦の代わりに、別の大普請をなさるのです。銭は同じように動きまする。武士は同じように食えまする。そして、国は焼けませぬ」


 言い終えて、光秀は信長を見た。


 信長は聞いていた。最後まで聞いた。


 そして、こう言った。


「それは、武士の仕事ではない」


 光秀は、一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「・・・」


「川を直すのは、百姓の仕事だ。道を通すのは、人足の仕事だ。束ねる者なら、代官でよい。侍は要らぬ」


「ですが」


「侍は、戦をする者だ」信長は言った。


「戦をせぬ侍を、何と呼ぶ」


 光秀は答えられなかった。


「呼び名がないであろう」


「殿・・・」


「俺は、侍に飯を食わせると言っている。お前は、侍に鍬を持たせろと言っている。同じではない」


「同じにございます」


「違う」


 信長は湖のほうへ向き直った。


「日向守。お前は優しい」


 光秀は膝の上で手を握った。


「お前は、飢えさせぬために、侍を侍でなくそうとしている。俺は、侍のまま食わせようとしている。どちらが情けが深い」


「・・・」


「答えられまい」


 光秀は答えられなかった。


 言うべきことが喉まで来ていた。人は飯だけで生きるのではない。侍を侍のまま殺し合わせ続けるのと、鍬を持たせて生かすのと、どちらが人として立つか。


 その先が、言えなかった。


 言えば、なぜそう思うのかを言わねばならない。なぜそう思うのかを言えば、何を読んだかを言わねばならない。


 ずっと、言わなかったことだった。


 光秀は頭を下げた。


「出過ぎたことを申しました」


「よい」


 信長は振り返って、光秀を見た。


「日向守」


「はい」


「そういうことを言うのは、お前しかおらん」


 信長の顔は、機嫌がよかった。


「他の者は、承知いたしましたとしか言わぬ。丹羽も、滝川も、猿もだ。お前だけが、違うと言う。それでよい。これからも言え。それがお前の役目だと心得よ」


「はっ」


「下がってよい」


 光秀は下がった。



              *



 廊下を歩きながら、光秀は自分の手を見た。


 震えてはいなかった。


 叱られたのではない。褒められたのだ。あの人は最後まで聞き、こちらの言い分を認めた上で、違うと言った。そして、これからも言えと言った。


 なのに、何も変わらない。


 四国のことは、明日には触れが出る。上杉も毛利もそのままだ。


 光秀は足を止めた。


 三度目だった。


 妙覚寺で一度、甲斐で一度、そして今日。三度とも、聞かれた。三度とも、答えた。三度とも、自分の言うた通りにはならなかった。


 妙覚寺のときは、変わった。変わったが、自分が言ったのとは違う方へ変わった。


 この人は、自分の言うことを聞いている。


 聞いた上で、動かない。


 ならば、なぜ聞くのだ。


 光秀はそこで、ひとつのことに思い当たった。


 言わせているのだ。


 この人は、諫める者を一人置いておくと決めておられる。それが自分だ。自分が何を言うかは、どうでもよい。言う者がいる、という形が要るのだ。


 ――お前は、好きなようにこれからも申せ。ゆるす。


 妙覚寺の縁で言われた言葉だった。


 あのとき自分は、届いたと思った。


 届いたのではない。役目を与えられたのだ。


 光秀は歩き出した。


 外に出ると、天主に灯が入っていた。夜通し消えぬ明かりである。油代がいくらかかるのか、以前この明かりを見て考えたことがあった。あのときは、笑った。


 今夜は、笑えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。