【第四部 解説】 三 甲斐
■ 目的が問われるとき
武田が滅び、東に敵がいなくなりました。安土に戻った信長が、光秀を残して縁に出ます。
甲斐を見てきた。よい国だ。田が広い。金も出る。信玄が二十年あれを持っていて、上洛できなかった。なぜだと思う。
道にございましょうか。
そうだ。甲斐から京まで荷が動かない。山ばかりだ。兵が出せても、続かない。
そして、こう言います。河尻に、道を作らせる。甲斐から駿河へ抜ける道だ。海に出せば、荷が動く。
光秀は少し驚きます。滅ぼしたばかりの国に道を作る。年貢を取るためではなく、荷を動かすためです。
ここまでは、これまでの政策と同じ形をしています。
光秀が確かめます。
「甲斐は、それで潤いましょう」
「潤う」
「潤えば、また兵が出せまする」
「出せる」
信長は何でもないように答えました。
この短いやりとりで、話の性質が変わります。
潤えば兵が出せる。兵が出せるなら、いずれ出す。それでよい、と信長は言います。
「兵が出るということは、兵が食えるということだ」
そして、こう言います。
「だから、戦は残す。終わらせぬ。終わらせぬために、片づけきらぬ」
理由は言いません。
この人は、これまでも説明しませんでした。清洲で人質を取らなかったときも、道に松を植えさせたときも、理由を言わずに命じています。当たり続けたので、誰も聞かなくなりました。
光秀は「分かりませぬ」と答えます。分かるはずがありません。結論だけを聞かされているからです。
それでも、見当はつきます。舟の上で、彼は自分でそこまで組み立てます。侍は田を耕さない。銭は主から出る。主の銭は戦から出る。
組み立てましたが、確かめていません。だから聞くことにします。
「殿。それは、いつまででございますか」
「いつまで、とは」
「戦を残されるのは、いつまでにございますか。十年でございますか。三十年でございますか」
信長の返答は、こうです。
「そういうことを、なぜ聞く」
「終わりを決めてから始める者があるか」
この問答が、この章の中心です。
ドラッカーは、目標には期限が必要だと書きました。期限のない目標は目標ではなく、願望です。
理由は、期限がなければ評価ができないからです。いつまでに何をどこまで、という形になっていなければ、達成したかどうかも、遅れているかどうかも判断できません。判断できなければ、修正もできません。
ですが、この場面で問われているのは、目標の期限ではありません。
信長がやっているのは、目標を達成することではなく、状態を維持することです。戦を残す、というのは、ある状態を続けるという話です。
状態の維持には、終わりがありません。終わりを設定した瞬間、それは状態ではなく目標になります。
だから信長の返答は、彼の立場からは正確です。終わりを決めてから始める者があるか。
問題は、その状態が何のための状態か、という点にあります。
武士が食えるようにするため、というのが信長の答えです。では、武士が食えるようになった後は。食えている状態を続けるため。では、いつまで。終わりはない。
目的が手段を正当化し、手段が目的になっています。
ドラッカーが事業の定義を最初の問いに置いたのは、これを防ぐためでした。
何のためにこの事業をやっているのか。それが決まっていれば、手段は手段のままです。目的が達成されたか、達成できなくなったかで、手段を変えられます。
目的が曖昧なまま手段だけが最適化されると、手段を続けること自体が目的になります。そして、その状態では誰も止められません。止める基準が、どこにもないからです。
舟の上で、光秀が考えるのがそこです。
あの人の言うことは、間違っていない。侍は田を耕さない。銭は主から出る。主の銭は戦から出る。戦をやめれば三十万が食えなくなる。全部その通りだ。
だから自分は、その先を考えた。
戦の代わりに、別の大普請をやればいい。安土でやったことを、天下でやればいい。川を直し、道を通し、湊を作る。人手が要る。束ねる者が要る。侍にはそれができる。
自分はそう考えた。あの人は、そう考えなかった。
同じところまで来ていて、なぜその先が違う。
光秀は、自分の読み違いかもしれないと考え直します。あの人がそこまで見ていないはずがない。考えた上で、できないと分かっているのかもしれない。
それなら、理由を聞けばいい。次に聞こう。
この章は、光秀が問いを保留したところで終わります。
■ 史実では
武田氏の滅亡は一五八二年三月。木曾義昌の離反から始まり、ひと月ほどで決着しました。勝頼が天目山で自害したのは三月十一日です。
信長が甲斐に入り、諏訪で論功行賞を行ったことも事実です。徳川家康に駿河、滝川一益に上野と信濃二郡、森長可に川中島、河尻秀隆に甲斐が与えられました。
恵林寺の焼き討ちも事実です。快川紹喜ら僧が焼死しました。
河尻秀隆に道路整備を命じたという記録は、確認できません。ただし、信長が各地で街道整備を行っていたことは事実で、甲斐でも同様の政策が行われた可能性はあります。
武士の人口については、当時の正確な統計がありません。十万、三十万という数字は、後世の推計を参考にした本作の設定です。
信長が戦を意図的に残そうとしていた、という説は史料的根拠がありません。本作が採った解釈です。
実際には、四国、中国、九州、関東と、征服の対象がまだ残っていました。信長が生きていれば順次進めた可能性が高く、意図的に残していたと見る必要はありません。
安土の縁での信長と光秀の会話も、全体が創作です。
ただし、戦国期の終結後、武士の処遇が現実の問題になったことは事実です。豊臣政権は朝鮮出兵という形で武力を外へ向け、徳川政権は武士を行政職へ転換させました。どちらも、戦がなくなった後の武士をどうするかという問題への対処でした。
目標には期限が要ります。期限がなければ、達成したかどうかを判断できません。ただし、目標ではなく状態を維持しようとしている場合、期限は設定できません。設定できない以上、いつやめるかも決められません。




