【第一部 本編】 二 尾張
一五五八年 尾張・清洲
弟を殺した翌年、信長は岩倉を攻めた。
岩倉織田は、同じ織田である。尾張は二つに割れていて、清洲がこちらで、岩倉が向こうだった。もとは一つの家老の家が、四代前に分かれた。
浮野で当たった。勝った。翌年、岩倉城を囲んで、二か月で落とした。
最後は水の手を切った。開いた門から出てきた者を、信長は斬らなかった。行けと言った。城には火をかけた。
それで尾張が一つになった。
家督を継いでから、九年かかっている。
*
九年である。
その九年に、信長が戦った相手を数えると、こうなる。
弟。叔父。従兄。家老。同族。
全部、身内だった。
今川と当たったことは一度もない。三河へ出たこともない。斎藤とは何度か小競り合いをしたが、道三が死んでからは互いに動かなかった。
九年、内側で潰し合っていた。
その間に、東で今川義元が駿河と遠江を固め、三河を取った。今川の版図は三国になった。
西では斎藤が美濃を押さえ直した。
信長が九年かけて取ったのは、尾張一国である。
それも、もとから織田の国だった。
*
岩倉が落ちた夜、信長は書を開いた。
このころは、読む場所が決まってきていた。前から順に読むのではない。困ったときに、思い当たる場所を開く。
その晩に開いたのは、こういうところだった。
『実りは、外にある。内にあるのは費えだけである。人が争い、席を取り合い、互いを疑う。それらはすべて内にあり、一文の実りも生まぬ。にもかかわらず、人はそこに最も多くの時を使う。』
信長はその一行を読んで、しばらく動かなかった。
九年だった。
九年、費えだけを積んでいた。
勝った。勝ったが、何も増えていない。尾張は九年前と同じ広さである。人は減った。田は荒れた。銭は使い切った。
その間に、今川は三国になった。
信長は書を閉じた。
閉じてから、地図を出した。
尾張の地図である。東の端に、鳴海と大高がある。どちらも今川に取られていた。
鳴海が離れたのは、父が死んだ年である。
城主は山口左馬助といった。父の代からの者で、二十年、織田に仕えていた。それが今川に付いた。戦はなかった。ある朝、旗が変わっていただけである。
その報せが来たとき、信長は清洲にいなかった。叔父と揉めていた。
手が回らなかった。
翌年、大高が同じように離れた。沓掛も離れた。
三つとも、攻められて落ちたのではない。誰も攻めていない。城主が向こうへ歩いていっただけである。
信長はそのたびに、後にすると言った。
後にしているうちに、九年が経った。
地図の上を、指で東へ辿った。
鳴海から大高まで、二里ほどしかない。その間に、今川の砦が三つ立っている。丸根、鷲津、そのあいだにもう一つ。どれも去年から今年にかけて建ったものだ。
砦というのは、攻めるために建てるものではない。そこを離さぬために建てる。三つ並べたということは、今川はあの一帯を、もう自分の地だと思っている。
建てているとき、こちらは岩倉を囲んでいた。
二か月、城の外に座っていた。同じ二か月で、向こうは砦を三つ建てた。
国境は、こちらが見ていない間に動く。
見ていなければ、動いたことにも気づかない。
報せは来ていた。
鳴海のときも、大高のときも、沓掛のときも、誰かが言いに来ている。信長は聞いた。聞いて、後にすると言った。
聞いていなかったのではない。聞いて、そちらを見なかったのだ。
信長は地図から目を上げた。
時が足りない。
九年、間違ったことに使った。
信長はその晩、家老を全部叩き起こした。
林も柴田も、寝間着で出てきた。
「東だ」
誰も意味が分からなかった。
「明日から、東を見る」信長は言った。「岩倉のことは終わりだ。もう二度と、身内の話はせぬ」
林が何か言おうとした。
「言うな」
信長は地図を指した。
「鳴海。大高。取り返す。それから先のことを考える」
次回は解説です。
この章で使われた原則と、どこまでが史実かを書いています。
物語だけ読みたい方は、飛ばして次の本編へどうぞ。




