【第四部 本編】 二 馬揃え
一五八一年二月 京・内裏東
正月の末に、命が下りた。
二月に京で馬揃えをする。奉行は明智日向守。
馬揃えというのは、軍勢を並べて見せる催しである。珍しいものではない。だが、規模が違った。
畿内、近江、若狭、丹波、大和、河内。ありったけを集めよという。
場所は内裏の東である。正親町天皇が見る。公家が見る。京の者も見る。
光秀は坂本で命を受けて、その足で京へ入った。
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馬場を作るところから始めた。
内裏の東、南北八町の土地を平らにした。柵を巡らせ、桟敷を建て、天皇の御座所を作った。
二十日足らずである。
人足を千人使った。木は近江から船で運んだ。土は堀を掘った分を運んだ。
同時に、諸将に触れを出した。
人数、装束、馬の数。それぞれに割り当てた。光秀の分は自分で決めた。丹波衆と大和衆を合わせて、上下の色を揃えた。
諸将から問い合わせが来た。
装束は各自の好みでよいか。よい。ただし見苦しからぬこと。
馬は何頭連れるか。分に応じて。ただし痩せ馬を出すな。
鉄砲は持つか。持たぬ。
鉄砲を持たぬのか、と何人かが聞き返してきた。
光秀は、持たぬ、とだけ返した。
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二月二十八日、晴れた。
辰の刻に始まった。
先頭は丹羽長秀と摂津衆。次に蜂屋、次に明智。それから村井、京の町衆。
馬が入ってくる。一頭ずつではない。列になって入り、馬場を回り、出ていく。次の列が入る。
装束が派手だった。
金の唐錦、緋の羅紗、豹の皮。南蛮の帽子をかぶった者がいる。馬に虎の皮をかけた者がいる。
誰も甲冑を着ていない。
最後に信長が出た。
黒い馬に乗り、赤い羅紗の陣羽織を着ていた。頭に唐冠をかぶっている。供が二百ほど。
馬場を三周した。
桟敷から声が上がった。公家が身を乗り出した。町の者が塀の外まで詰めかけて、押し合いになった。
天皇は御簾の内から見ていた。後で、感に堪えぬという言葉が伝えられた。
昼過ぎに終わった。
何も起きなかった。戦ではないから、当たり前である。
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三月にもう一度やった。
天皇がもう一度見たいと言ったからだという。今度は一日で片づいた。
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全部終わってから、光秀は帳面をつけた。
奉行の仕事である。何にいくらかかったかを、書き出さねばならない。
馬場の普請。木材。人足の手当。桟敷。御座所。装束は諸将の自弁だが、明智の分は自分で出した。
書き出して、合計を見た。
小さな城が一つ建つ額だった。
光秀は帳面を閉じて、しばらく座っていた。
戦ではない。
人は死んでいない。土地も取っていない。米も入らない。
では、何のためにやったのか。
考えれば、分かる。
天皇が見た。公家が見た。京の者が見た。あれだけの軍勢が、一人の下に並ぶところを、みなが見た。
室町の将軍にはできなかったことである。将軍は、大名の上に立ってはいたが、大名を並べることはできなかった。並べようとすれば、誰かが来ない。
あの人は、全部来させた。
誰も欠けなかった。
それを見せた。
だから、意味はある。
光秀は帳面を開き直して、もう一度合計を見た。
意味はある。あるのだが、と思った。
これだけの銭を使って、見せただけだ。
安土は違った。あれは、銭を使ったが、その分だけ人が集まり、荷が動いた。使った銭が戻ってきた。道もそうだ。松を植えるのに銭を使ったが、道が通れば荷が動く。
馬揃えは、戻ってこない。
見せて、終わりである。
光秀は帳面を閉じた。
この人が、戻ってこない銭の使い方をするのを、初めて見たと思った。
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その年の秋、伊賀を攻めた。
二年前に一度、信雄が勝手に攻めて負けている。今度は五万で入った。半月で片づいた。
寺を焼き、村を焼いた。逃げた者を山狩りした。
伊賀は、荷の通り道ではない。市も立たない。銭も出ない。
取っても、何も入らない土地である。
その報せを聞いたとき、光秀は丹波にいた。
伊賀の隣は近江である。近江は光秀の膝元だ。伊賀の者が近江へ流れてくる。食えない者が流れてくれば、道が荒れる。
流れてきた者を、光秀は坂本と亀山で受けた。
人足として使った。城の普請がまだ残っている。
その処置を、信長は何も言わなかった。
褒めもせず、咎めもしなかった。




