【第三部 解説】 二 道
■ 予期せぬ実り
道を三間半に広げよ、という命が出ました。馬が三頭並ぶ幅です。脇に一間ずつ、人が歩く分を取る。両側に松と柳を植える。橋を架ける。
村井貞勝が首をひねります。そこまで要りましょうか。
「要る」
それだけでした。村井は下がってから丹羽に聞きます。兵を早く動かすためか。そうであろう。ですが、松を植えよと仰せです。松。二人とも分からなかったので、そのままやりました。
二年で道が通り、何が起きたかが、この章の内容です。
人足に手当を出しました。米ではなく銭で出したので、村に銭が入りました。銭が入った村では、鍬を買い、鍋を買い、塩を買いました。
道が広くなると、荷車が通れます。それまで馬の背に振り分けていたものが、車で運べる。一度に運べる量が三倍になりました。
三倍になると、値が下がります。
美濃の山の村に、それまで年に二度しか塩が来ませんでした。来るときは高い。買えない者は、その年を塩なしで過ごしました。道が通ってから、月に一度来るようになり、値は半分になりました。
松は十年で育ちました。夏に日陰ができ、旅の者はその下で休み、冬は風よけになりました。
村井がそれに気づいたのは、道が通って四年ほど経ってからです。
ここまでは、意図した結果と、意図しなかった結果が混ざっています。
道を広げれば兵が早く動く。これは意図です。荷車が通れるようになり、塩の値が下がる。これは副産物かもしれませんし、意図だったかもしれません。松の日陰は、命じた本人以外、誰も理由を分かっていませんでした。
この章で光秀が読むのが、その扱い方についての原則です。
『思いがけず実ったものを見よ。狙って実ったものより、狙わずに実ったもののほうが、次を教える。人はたいてい、狙いどおりでないものを失敗と呼んで捨てる。捨てる前に、それが何であったかを問え。』
ドラッカーは、イノベーションの機会として最初に挙げるのが「予期せぬ成功」だと書きました。
これは直感に反します。新しいものは、探して見つけるものだと考えられています。市場調査をし、顧客の声を集め、企画を立てる。ですが、そうやって見つけたものより、既に起きている想定外の成功のほうが確実です。
なぜなら、それは既に起きているからです。
予測ではなく、事実です。誰かが実際に買っている、実際に使っている、実際に効果が出ている。仮説を検証する必要がありません。
問題は、予期せぬ成功が、たいてい無視されることにあります。
計画通りでないものは、報告書に載りません。載っても、計画外の項目として脇に置かれます。担当者にとって、それは自分の手柄ではなく、むしろ計画の精度が低かった証拠に見えます。
だから、報告されないか、報告されても読まれません。
光秀は丹波で、それを自分で経験します。
道を作ったのは兵のためでした。荷が通れば兵糧が続き、囲みを解かずに済む。そのために作りました。
実ったのは、市でした。
道が通った村は、翌年から様子が変わります。市が立ち、人が来る。人が来れば、その村は織田に付く。落とさなくても、付く。
狙っていなかった結果です。そして、狙っていた結果より大きい。
光秀はそこで安土のことを思い出します。
あれは、狙わずに実ったものを、狙って作り直したものだ。
関を潰したら物が動いた。物が動いたら人が動いた。人が動くなら、人が集まる場所を作ればいい。
この読み方が、予期せぬ成功の使い方です。
起きたことをそのまま繰り返すのではありません。なぜ起きたのかを分解し、そこから設計し直す。関の撤廃で分かったのは「妨げを外せば動く」ということでした。その原理を使って、動いた人が集まる場所を作ったのが安土です。
もう一つ、この章には楽市の条文が出てきます。
全部で十三か条。座に入らずとも商いができる。諸役をかけない。押し買い、押し売りを禁ずる。
その中に、一つだけ性質の違う条項があります。
徳政が出ても、この町の借りは消えない。
徳政令は借金を帳消しにする触れで、飢饉や戦の後に出ます。出れば貸した者が損をするので、貸す者は用心します。貸さないか、利を高く取るか、どちらかです。
安土ではそれがない。貸した銭は必ず返ってくる。だから安く貸せる。安く借りられるから、商人は仕入れを増やす。仕入れが増えれば、店が大きくなる。
これは商人を優遇する条項ではありません。将来の予測可能性を作る条項です。
人が長期の投資をするのは、先が読めるときだけです。読めなければ、手元に置いておくほうが安全になります。制度の安定は、それ自体が資源を動かします。
堺の今井宗久が言ったと伝えられます。
あの方は、商いをしたことがないはずだが。
■ 史実では
信長が街道の整備を行ったことは事実です。道幅を広げ、橋を架け、並木を植えたことが『信長公記』に記されています。一五七四年から尾張・美濃・近江で実施されました。
道幅については記録に幅がありますが、主要街道を大幅に拡張したこと自体は確かです。並木の植樹も記録されています。
安土の楽市楽座令は一五七七年六月。十三か条で、現在も条文が伝わっています。座の特権を否定し、諸役を免除し、徳政の適用外とする内容が含まれます。
街道の付け替えも事実です。中山道を安土経由に変更し、通行者が城下を通るようにしました。
岐阜商人への移住命令も記録があります。ただし、移った商人が実際に売上を倍にしたかどうかは分かりません。
今井宗久の発言は創作です。今井宗久は堺の豪商で、信長と早くから関係を持ちましたが、この言葉は残っていません。
塩の値が半分になった、月に一度来るようになった、という数字も、本作の設定です。街道整備によって物流が改善したことは推測できますが、具体的な数値は記録されていません。
松の日陰に村井が気づく場面も創作です。
信長がこれらを予期せぬ成功の再設計として行ったかどうかも、分かりません。関の撤廃から楽市へ、という流れは政策の順序として実際にありますが、それが意識的な学習だったのか、個別の判断が結果として繋がったのかは、史料から判断できません。
ただ、起きたことを分解して次に使う。この手順自体は、才能を必要としません。必要なのは、計画外の結果を捨てずに残しておくことだけです。




