【第三部 本編】 一 設楽原
一五七五年五月 三河・設楽原
武田勝頼が長篠城を囲んだのは、五月の初めである。
城には五百しかいない。武田は一万五千。落ちるのは時間の問題だった。
徳川から使いが来た。信長は動いた。三万を出した。
五月十八日、設楽原に着いた。
窪地である。南北に細長い。西側にゆるい斜面があり、その上に信長の本陣を置いた。
着いた日から、兵は掘り始めた。
柵を作る。三重に作る。杭を打ち、縄で結び、その前に堀を掘る。連吾川という小さな流れがあり、それを越えたところに並べる。
三日、それをやった。
武田は出てこなかった。
*
二十日の夜、信長は佐久間を呼んだ。
陣屋に灯りが二つ。図はなかった。
「玉と薬は」
「揃っております」
「いくつだ」
佐久間が数を言った。
信長はうなずいた。
「向こうは」
「――向こう、と申されますと」
「武田だ。武田の玉と薬は、いくつある」
佐久間は答えられなかった。
「知らぬか」
「は」
「知っておけ」
信長は湯を飲んだ。
「甲斐に硝石は出ぬ。信濃にも出ぬ。日ノ本のどこにも、まともには出ぬ」
「はい」
「どこから来る」
「南蛮から」
「どこへ着く」
「――堺に」
「堺は誰のものだ」
佐久間が顔を上げた。
「殿の」
「そうだ」
信長は湯呑みを置いた。
「三年前から、甲斐へ行く荷を止めている。堺で止めた。若狭でも止めた。伊勢でも止めた。鉛も止めた」
「三年」
「三年だ」
佐久間は何も言わなかった。
「あれらは鉄砲を持っている」信長は言った。
「数はこちらと変わらん。持っているだけだ」
「・・・」
「明日、勝頼は出てくる」
「なぜ、そう言い切れまするか」
「出てこねば、玉が腐る」
佐久間は、その言い方を後まで覚えていた。
*
二十一日の明け方から、雨が上がった。
武田は出てきた。
連吾川を渡り、柵に向かって上がってきた。上がってくるところを、柵の内側から撃った。
撃ち方について、後にいろいろなことが言われた。三列に並んで、順に撃ったのだという話が広まった。
実際には、そんなに整ってはいなかった。
柵の隙間から、思い思いに撃っていた。玉の大きさもまちまちだった。鉄砲そのものが、種子島から入ったもの、堺で作ったもの、根来で作ったものと混ざっている。
整っていたのは、玉と薬の量だけである。
撃っても、撃っても、無くならなかった。
武田は八度、寄せた。
八度とも、上がりきる前に崩れた。
昼を過ぎたころ、武田の後ろが動き始めた。引き始めたのだ。
信長はそれを見て、追えと言った。
*
夕方、原に出た。
死体が斜面に散っている。数えられない。武田の名のある者が、十人以上死んだ。山県、馬場、内藤、原、真田。信玄の代からの者ばかりである。
その間を、若い足軽が歩いていた。
拾い物をしている。信長がそれを見ていると、一人が顔を上げた。信長と目が合って、慌てて平伏した。
「面を上げよ」
「――は」
「どこの者だ」
「尾張、中村の在にございます」
「いくつになる」
「十九にございます」
「戦は」
「初めてにございます」
信長は男を見た。
手足が細い。田をやっていた手だ。
「鉄砲は」
「三月に教わりました」
「三月」
「はい。構えて、狙って、引くだけにございます。教えてくださった方が、そのように」
信長は少し黙っていた。
「誰を撃った」
「――分かりませぬ。前におった者を」
「馬に乗っていたか」
「乗っておりました」
男は少し考えて、付け加えた。
「立派な具足でございました」
信長は男から目を離した。
斜面の下のほうで、まだ荷が動いている。玉と薬を回収しているのだ。使い残しがかなりある。
「行ってよい」
「は」
男は走っていった。
信長は動かなかった。
三月教えた百姓が、三十年やってきた武士を殺した。それも、遠くから、顔も見ずに。
書に、こういうことが書いてあった。
『事を為すのに、人の技に頼るな。技は人につく。人は死に、人は去る。技に頼る組は、その人が去れば終わる。技を要さぬ形に作り替えよ。』
その通りにやった。
その通りになった。
信長はしばらく原を見ていた。
それから、陣へ戻った。
*
光秀は、その戦にはいなかった。
丹波にいた。信長から、丹波を切り取れと命じられている。八上、黒井、その他の城が言うことを聞かない。一つずつ落とすしかない。
長篠の報せは、六月に入ってから届いた。
武田が壊滅した。名のある者がほとんど死んだ。
光秀はそれを聞いて、しばらく信じなかった。
武田である。信玄の武田だ。あれと野で当たって、勝ったというのが分からない。
だが、報せの中に一つ、気になることが書いてあった。
武田の陣から、鉄砲がかなり出た。使われた形跡の少ないものが多かったという。
光秀は、その一行を二度読んだ。
持っていたのに、使わなかったのか。
使えなかったのか。
光秀はしばらく考えて、それから、思い当たった。
堺である。若狭である。伊勢である。
あの人は、三年前から、そこを押さえている。
光秀は書状を置いた。
置いてから、妙な気持ちになった。
あの人は、この戦に勝つと決めたのが、三年前だということになる。
三年前、武田はまだ信玄が生きていた。上洛すると言って、実際に西へ出てきていた。あのとき織田は追い詰められていた。誰もが武田を恐れていた。
その時期に、荷を止めていたのか。
書には、そのようなことは書いていない。
力を一点に集めよとは書いてある。時を惜しめとも書いてある。だが、三年前から相手の荷を止めておけ、とは書いていない。
あれは、あの人が自分で考えたことだ。
光秀はそう思って、少し嬉しくなった。
書があってもなくても、あの人はあの人だ。




