【第二部 本編】 五 槇島
一五七三年二月 京・二条
義昭が兵を集めているという話は、正月から出ていた。
最初は近江の今堅田と石山に人を入れた。次に、二条の御所の堀を深くした。堀を深くする理由を、誰も聞かなかった。聞かなくても分かった。
光秀は、そのころ坂本にいた。
義昭からの書状が来た。上洛して御所を守れ、という内容である。
同じ日に、岐阜からも書状が来た。近江の様子を報せよ、という内容である。
光秀は二通を並べて、しばらく見ていた。
*
二月の末、光秀は京へ入った。
二条の御所で、義昭に会った。
義昭は上機嫌だった。この人は追い詰められているときほど上機嫌になる。諸国から返事が来ているのだという。武田が動く。朝倉が動く。浅井が動く。本願寺が動く。毛利も、上杉も。
「日向守。天下が動く」
「はっ」
「わしが一言、書を出しただけで、天下が動くのだ」
光秀は頭を下げた。
この人は、それを不思議だと思っていない。将軍だからだ、と思っている。実際、その通りだった。だから諸国の大名は返事を寄越した。
将軍という名には、まだそれだけの力がある。
「上様」
「うむ」
「織田と、和議はなりませぬか」
義昭の顔から笑いが消えた。
「なぜ、そのようなことを言う」
「織田の力は、上様がお思いよりも大きゅうございます」
「知っておる」
「なれば」
「日向守」
義昭は膝を寄せた。
「あの男は、わしを立てぬ」
「立てておられます。上洛も、将軍宣下も」
「形だけだ」
義昭は声を落とした。
「あの男は、わしに何も相談せぬ。関を潰すのも、銭の値を定めるのも、わしに一言もない。後から触れが回ってくるだけだ。あれは将軍のすることだ。わしのすることだ」
光秀は黙っていた。
「日向守。武家の棟梁には、棟梁の作法がある」
「はい」
「大名が争えば、わしが仲を取り持つ。取り持てば、双方が恩に着る。恩に着れば、次も従う。そうやって、二百年やってきた。それが将軍というものだ」
「はい」
「あの男は、それをせぬ。仲を取り持たぬ。恩も売らぬ。ただ、関を潰す。道を広げる。銭の値を定める」
義昭は首を振った。
「あんなもので、人が動くか」
光秀は顔を上げた。
「上様」
「何だ」
「動いておりまする」
義昭は光秀を見た。
「何と申した」
「京の市が、去年の倍になりました。淀の船着きは、荷が置ききれませぬ。堺の者が、伊勢まで店を出し始めております」
「それが何だ」
「動いておりまする」
義昭は笑った。
「日向守。それは商人の話だ」
「はい」
「わしがしておるのは、天下の話だ」
光秀は、何と言えばよいか分からなかった。
言葉が、噛み合わない。
この人にとって、天下とは大名のことである。大名を従えるのが天下を取ることであり、そのための道具が将軍という名である。それは間違っていない。二百年、そうやって回ってきた。
だが、あの人にとっての天下は、そうではない。
「上様。仕組みで人が動くとしたら、いかがなさいます」
「何だと」
「仲を取り持たずとも、恩を売らずとも、人が勝手に動く形があるとしたら」
義昭は、しばらく光秀を見ていた。
それから、言った。
「そのようなものがあるなら、将軍職は何のためにある」
光秀は答えなかった。
答えられなかった。
この問いには、答えがない。あるとすれば、要らなくなる、という答えだけである。それは言えなかった。
「日向守」
「はい」
「わしは、お前を買っておる」
「恐れ入ります」
「明智十兵衛といえば、越前でも京でも通る名だ。それは、わしが十年、お前を使ってきたからだ」
「はい」
「忘れるな」
「・・・はっ」
光秀は下がった。
*
三月、義昭は挙兵した。
信長は和議を申し入れた。人質を出すとまで言った。義昭は断った。
四月、信長は上京に火をかけた。京の北半分が焼けた。それでも義昭は動かなかった。朝廷が仲に入り、いったん和議になった。
七月、義昭はまた兵を挙げた。
今度は二条を出て、宇治の槇島城に入った。
武田信玄が死んでいた。四月のことである。
義昭はそれを知らなかった。知っていた者も、教えなかった。
信長は七万で槇島を囲んだ。
二日で終わった。
義昭は降り、追放された。命は取られなかった。河内へ送られ、そこから紀伊へ、やがて備後へ移った。
備後で、義昭はなおも書状を出し続けた。
諸国の大名は、それに返事を書き続けた。
将軍という名は、その後も十五年、残った。
*
槇島の後、光秀は坂本にいた。
義昭からの書状が届いた。備後へ来いという。まだ将軍である。まだ、明智十兵衛は将軍の家臣である。
光秀は返事を書かなかった。
書かないまま、月が変わった。
その頃、岐阜から使いが来た。
近江の高島に城を築け、という命だった。図面まで添えてある。信長の字ではない。誰かに書かせたものだ。
光秀はそれを読んで、坂本の縁に出た。
湖が見える。
義昭に十年仕えた。追われて諸国を回っていた頃から仕えた。越前で朝倉に頭を下げて、上洛の話をつけたのも自分である。あの人がいなければ、自分は今も浪人だった。
恩がある。
だが、と光秀は思った。
あの人には、書のことを言っても分からない。
言っても分からないというより、言う気にならない。あの人は将軍という形の中でしか物を見ない。形の外に何かがあるとは思っていない。
もう一方の人は、違う。
あの人は、形を作る側にいる。関を潰し、銭の値を定め、道を広げる。誰のためにやっているのかを、あの人は知っている。
自分が誰にも言えずにきたことを、あの人は初めから知っている。
そういう相手は、天下に一人しかいない。
光秀は縁から立ち上がった。
義昭への返事は、結局、書かなかった。
書かないことが、返事だった。
*
その年の暮れ、浅井と朝倉が滅んだ。
小谷城で浅井久政と長政が死んだ。市と三人の娘は、信長が引き取った。
一乗谷は焼けた。三日燃えた。朝倉義景は山中で自刃した。
正月の祝いの席で、信長は三つの首を出した。
義景と、久政と、長政である。漆をかけ、金箔を置いてあった。諸将に見せて、酒を飲んだ。
その席に、光秀もいた。
信長は上機嫌だった。
光秀は、長政の首を見ていた。
二十九で死んだ男である。乗りたかった男だ。乗りたかったが、家が許さなかった。
あの人は、この男のことを覚えているだろうか。
覚えているに決まっている、と光秀は思った。




