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本能寺の決算書 ――もしも、織田信長がドラッカーを読んでいたら  作者: 島村 巡
第二部

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【第二部 解説】 三 妙覚寺

■ 機会に注ぐ


 浅井の裏切りの後、信長は三日誰とも口をききませんでした。四日目に光秀が報告に来て、そこで問われます。


 なぜ、備前守は裏切った。


 光秀は「利」と答え、否定され、「義」と答え直します。浅井は三代、朝倉に助けられている。備前守がどう考えていようと、家が許さない。


 信長が言います。乗りたい者が、乗れんのだ。何をどうすればいい。


 ここで光秀が持ち出すのが、資源配分の原則です。


 力は、直すべきところではなく、伸びるところに注げ。問題を潰しても何も生まれない。機会に注げば、そこから返ってくる。


 ドラッカーが繰り返し書いた中で、これは最も実行されにくい原則です。


 理由は単純で、問題は目立つからです。うまくいっていない部門、揉めている取引先、成果の出ない事業。これらは放っておくと悪化するので、緊急に見えます。緊急なものには、優秀な人が投入されます。


 一方、うまくいっているものは放置されます。放っておいても回っているからです。


 その結果、組織は最も優秀な資源を、最も見込みの薄いところに集中させることになります。問題を解決しても、得られるのはゼロに戻ることだけです。マイナスがゼロになる。それ以上にはなりません。


 伸びているところに同じ資源を注げば、そこから増えます。


 光秀の進言は、この原則に忠実でした。


「備前守殿に費やされた五年は、たしかに大きゅうございます。妹君を嫁がせ、人質も取らず、望みは全部きかれた。それでも駄目だった。ならば、それは初めから実らぬ畑にございました」


「乗った者の力を伸ばされるほうが、はるかに実りがございましょう。三河の徳川殿は、殿が何もなさらずとも五年、破っておりませぬ。堺も、津島も、乗った者は乗っております。乗らぬ者に五年かけるより、乗った者に五年かけたほうが、国は大きくなりまする」


 正しい進言です。書に書いてある通りで、光秀はそれを分かって言っています。


 信長は長い沈黙の後、こう言いました。


「そうか。乗る乗らぬを、問わずに済むようにすればよいのだ」


 光秀は、その通りだと受け取りました。乗った者に力を注げば、乗らぬ者は自然と外れていく。外れた者を追わなくてよくなる。追う手間が要らなくなる。そういう意味だと理解しました。


「口説くから、断られる」

「断る隙をやるから、断られる」

「隙がなければよい」


 この三行を、光秀は同じ意味で聞いています。


 ここで起きているのは、同じ言葉を二人が別々に理解する、という事態です。


 光秀が読んだのは、資源配分の話でした。乗らない相手に時間を使うのをやめる、という意味です。


 信長が考えたのは、別のことでした。断る隙を与えなければ、断られることもない。相手に選択の余地を残さない形を作れば、乗る乗らないという問いそのものが消えます。


 直後に信長が出す指示が、その証拠です。


「六角の残党を、山に残しておけ」

「掃くな。半分残せ」


 光秀には意味が分かりませんでした。討ち残せば後で手間が増えます。書にも、そのようなことは書かれていません。


 この場面で確認しておくべきことが、二つあります。


 一つは、原則は解釈を必要とするということです。


「機会に注げ」という原則は、何が機会かを教えてくれません。何を捨て、何に注ぐかは、原則を読んだ人間が決めます。同じ原則を読んだ二人が、別の結論に至ることは普通に起きます。


 もう一つは、伝わったかどうかを確認する手段がなかったことです。


 光秀は「御意」と答え、信長は「お前は、好きなようにこれからも申せ。ゆるす」と応じました。会話は成立しています。両者とも、通じたと思っています。


 ドラッカーは、コミュニケーションは受け手が決める、と書きました。発信した内容ではなく、受け取られた内容が、実際に伝わった内容です。そして受け手は、自分の経験と関心の枠の中でしか受け取れません。


 光秀は書を読んでいます。だから、書の言葉として受け取りました。


 信長も書を読んでいます。ですが、二人が読んだ書は、同じではありませんでした。


■ 史実では


 この章の出来事は、ほぼ全体が創作です。


 金ヶ崎の後、信長が京の妙覚寺に入ったこと自体は記録にあります。信長は上洛のたびに妙覚寺を宿所として使っており、後の本能寺の変の際も、嫡男・信忠は妙覚寺にいました。


 ただし、信長がそこで三日口をきかなかった、光秀と資源配分について議論した、という記録はありません。


 この時期の光秀の立場は複雑でした。足利義昭の家臣であり、同時に信長からも所領を受けています。両属の状態が数年続き、朝廷や公家との取次を担っていたことは事実です。


 六角承禎の残党が近江で長く抵抗を続けたことも事実です。ただし、信長が意図的に残したという記録はありません。掃討しきれなかったと見るのが自然です。


 浅井への五年、という数え方も本作の設定です。織田と浅井の同盟成立時期には諸説あり、市の輿入れの年も確定していません。


 資源配分について信長が何か原則を持っていたかどうかも、分かりません。


 ただ、機会に注ぎ、問題に注がない。この原則自体は、成果を測れる場所ならどこでも使えます。問題を潰して得られるのはゼロまでで、それ以上にはならない。伸びているところに注げば、そこから増える。どちらに注ぐかを決めるのは、原則ではなく、注ぐ人間です。

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