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本能寺の決算書 ――もしも、織田信長がドラッカーを読んでいたら  作者: 島村 巡
第二部

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【第二部 解説】 一 関

■ 誰のためにあるのか


 上洛の翌月、信長は関所を廃しました。尾張、美濃、近江のすべてです。近江だけで六十を超えました。


 村井貞勝が食い下がります。取れるものを、取らぬのでございますか。


 この問いは、当時としては当然でした。関銭は確実な収入です。荷が通るだけで入ってくる。人を使わず、設備も要らず、手間もかかりません。


 信長の答えは、計算でした。


 岐阜から京まで、荷は七日。その間に関が四十。一つで銭を取られるから、四十で四十回。取られた分は荷の値に乗ります。京で塩を買う者は、塩の値と一緒に、四十回分の関銭を払っている。


 そして、その銭で関の持ち主は何をしているか。


「何もせん。座っているだけだ。座っている者に、天下が銭を払っている」


 ドラッカーは、事業の目的について一つの定義を置きました。


 顧客の創造です。


 利益は目的ではなく、条件です。事業が続くための費用であって、それ自体が目指すものではない。目指すのは、まだ満たされていない需要を満たすこと、つまり顧客を作ることです。


 この定義の実務的な効き目は、判断の基準が変わることにあります。


 関銭は、確かに収入です。ですが、誰かのために何かをした対価ではありません。通行を妨げる権利を持っている、というだけの収入です。この種の収入は、増やせば増やすほど、荷の動きを止めます。


 信長は関を潰しました。収入は減ります。


 代わりに、荷が動きます。動く荷には、別の税がかかる。市が立てば、そこで銭が回る。回る量が増えれば、全体として取れる額は増えます。


「荷が動けば、銭は動く。動く銭のほうが、座っている銭より多い」


 もう一つ、この章には撰銭令が出てきます。


 当時、銭には良し悪しがありました。商人は良い銭だけを受け取り、悪い銭を断ります。断られた者は別の店へ行き、そこでも断られる。銭を持っているのに物が買えない状態が起きます。


 信長は、銭を選ぶことを禁じました。その代わり、良い銭と悪い銭の交換比率を定めました。この銭は二枚で一枚分、この銭は五枚で一枚分、というように。


 これは規制ではなく、基準の提供です。


 人々が困っていたのは、悪い銭があることではありません。悪い銭がどれだけの価値なのか、誰も決めていないことでした。決まっていないから、その場その場で揉める。揉めるから、顔を知らない相手とは取引できない。


 基準が決まれば、揉め事が減ります。減れば、遠くの者とも商いができます。


 米での売買を禁じたのも、同じ理屈です。


「米は腐る」

「米で払う者は、銭を使わぬ。銭を使わぬ者が増えれば、銭が動かん」

「それに、米は目方で値が変わる。日照りの年と、豊作の年で、同じ米が違う値になる。それでは、去年の商いと今年の商いが比べられん」


 最後の一行が重要です。


 物差しが年ごとに変わると、比較ができません。比較ができなければ、去年より良くなったのか悪くなったのかが分からない。分からなければ、何を続けて何をやめるかも決められません。


 測れないものは、管理できません。


 この章で、光秀が触れの写しを読みながら考えているのが、目的の層です。


『事を為す者は、まず問わねばならぬ。おのれの為すことは、誰のためにあるのか。それを問わずに始める者は、必ず途中で道を失う。』


 商人が動けば、物が動く。物が動けば、遠くの村まで塩が届く。塩が届けば、その村は飢えない。


 誰のためにやっているのかと考えれば、そこに行き着く。


 光秀はそう読みました。関の撤廃も、銭の基準も、商人のための政策ではない。商人が動くことで、最終的に誰が助かるか。そこまで見て初めて、この一連の政策が一つに繋がります。


 顧客は誰か、という問いは、直接の取引相手を指しているのではありません。事業が最終的に誰の役に立っているのか、という問いです。


 答えを間違えると、直接の相手を喜ばせることが目的になります。そして、その先にいる人が見えなくなります。


■ 史実では


 信長の関所撤廃は事実です。上洛の直後、一五六八年から尾張・美濃・近江で実施されました。伊勢でも一五六九年の北畠攻略後に行われています。


 関所の多くは寺社や公家の権益でした。比叡山をはじめとする勢力が朝廷に訴え、綸旨が出されたことも記録に残ります。信長がそれに従わなかったことも事実です。


 撰銭令は一五六九年二月に出されました。良銭と悪銭の交換比率を定め、金銀の使用を認め、米による売買を禁じた内容です。文面はおおむね伝わっています。


 ただし、この撰銭令が実際にどの程度機能したかは疑問視されています。市場の慣行に対して命令で介入する試みは、この時代しばしば失敗しました。信長の令も、短期間で実効性を失ったとする見方があります。


 村井貞勝が信長に質問した場面は創作です。村井は京都所司代として長く信長に仕えた実務官僚ですが、二人の会話の記録はありません。


 信長がこれらの政策を何のために行ったかも、記録されていません。財政上の必要、畿内支配の安定、寺社勢力の弱体化。いずれも動機として挙げられており、どれが主だったかは分かりません。


 村まで塩が届く、という光秀の読みは、本作が作ったものです。


 ただ、関を潰し、銭の基準を定め、米での売買を禁じる。この三つが同じ方向を向いていることは、政策の内容そのものから読み取れます。荷を動かし、取引の手間を減らし、比較できる物差しを作る。誰のためかは書かれていませんが、何をしようとしていたかは、残った触れの文面に出ています。

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