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第七十五話 「知らない記憶」

放課後。


天女学院。


雪音は一人で廊下を歩いていた。


学園祭が終わってから、学院はすっかり元の日常に戻っている。


友人たちの笑い声。


部活動へ向かう生徒たち。


窓の外から聞こえる運動部の声。


そのどれもが。


以前なら、ただの雑音だった。


今は違う。


「……。」


雪音は足を止める。


窓の外を見る。


自分がこの学院に来てから。


まだ、それほど長くはない。


それでも。


ここで過ごした時間が、少しずつ自分の中に残っている。


「雪音。」


後ろから声がする。


振り返ると、輝夜が立っていた。


「帰る?」


「ああ。」


二人で並んで歩き始める。


「最近、少し楽しそうだね。」


「そうか?」


「うん。」


輝夜は笑う。


「前よりも。」


雪音は少し考えた。


「……そうかもしれない。」


「何かあった?」


「別に。」


「嘘。」


「……。」


雪音は苦笑する。


「お前には敵わないな。」


そんな会話をしながら。


二人は校門へ向かっていった。


――――


その頃。


学院から離れた場所。


一人の女性が、静かに車の中から外を見ていた。


白い髪。


整った顔立ち。


透き通るような肌。


年齢を感じさせない美しさを持った女性。


一ノ瀬珠音。


雪音の母親だった。


珠音の手には。


一枚の写真がある。


幼い雪音が写った写真。


「……雪音。」


珠音は写真を見つめる。


長い間。


会っていなかった。


いや。


会おうと思えば、会えた。


それでも。


会うことができなかった。


自分が母親として、息子の前に立つ資格があるのか。


そればかりを考えていた。


「……。」


珠音は写真を胸元へ戻す。


雪影が死んだ。


その知らせを聞いた時。


胸の奥にあった何かが。


崩れた気がした。


これまで。


いつか雪音に謝らなければならないと思っていた。


けれど。


その「いつか」を。


自分はずっと先延ばしにしていた。


「もう……逃げちゃいけないわね。」


珠音は小さく呟く。


「雪音に会わないと。」


――――


翌日。


天女学院。


「雪音。」


「ん?」


輝夜が声を掛ける。


「昨日の帰り、誰かと会ってた?」


「いや。」


「そう?」


「何で?」


「ううん。」


輝夜は首を振る。


「なんとなく。」


雪音は首を傾げる。


「変なの。」


二人が教室へ入っていく。


その頃。


学院の外。


珠音は校門から少し離れた場所に立っていた。


中へ入ることはできない。


まだ。


心の準備ができていなかった。


校門の向こう。


生徒たちが歩いている。


その中に。


白い髪の少年が見えた。


「……。」


珠音の目が止まる。


雪音だった。


少し遠い。


それでも。


すぐに分かった。


「……大きくなったわね。」


珠音は静かに笑う。


けれど。


その目には涙が浮かんでいた。


「ごめんなさい。」


誰にも聞こえない声。


「本当に……ごめんなさい。」


珠音はその場から動けなかった。


まだ。


雪音の前に立つ勇気がない。


だから今日は。


ただ。


遠くから息子の姿を見るだけだった。


そして。


雪音が学院の中へ消えていく。


珠音はその背中を見つめ続ける。


「次は……。」


小さく息を吸う。


「ちゃんと、あなたの前に立つから。」


夕暮れの中。


珠音はゆっくりと歩き出した。


母と息子。


長い間離れていた二人の時間が。


ようやく。


動き始めようとしていた。

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