答21:それは否定できないところが怖いですね
永禄11(1568)年7月下旬、美濃国不破郡 不破関
「おぉ、見えてきたでぇ!あれが三関のひとつ、不破の関やな!
・・・せやけどなんや、期待したほど立派やないなぁ。
そらぁその辺の関所よりはデカいけどな、おととい通った愛発の関と比べたら大人と子供ぐらい違うやん!」
足利義昭(元服して改名)がなんとも締まらない感想をぼやきました。
「左馬頭様、こっちが通常です。古代三関はすでに廃止されているのですよ。
なお鈴鹿の関に至ってはもう形も残っていないそうです。
愛発疋田の地は人の往来が激しくなり過ぎており、整理・休憩の必要性からあの規模になっただけですよ」
琵琶湖と日本海をつなぐ最短ルート上にある敦賀~疋田~塩津浜の地は産業革命でも起きたのかと勘違いするほどにヒト・モノ・カネが蠢く資本主義の魔境と化しました。
ただ単なる交易路であれば、富も通り抜けて行くだけで大したものは残りません。
そこで工場制手工業の概念を導入して効率的な量産体制を整えたのですが、まぁこれが元凶です。
え?伝統的な座はどうしたんだ?潰したのか?ですって?
いやいや、彼らは生き残りをかけて自主的に改革に勤しんだ結果、見事に企業体へと進化を遂げたんです。
川舟屋なんか当家と密接につながった結果凄いことになってますよ。
いうなれば半官半民の巨大総合商社ですねあれは。ゆりかごから墓場までってやつです。
大量の製品とそれを運ぶ運送業者が揃った結果、天下の需要を喰い尽くさん勢いで発展していきました。
結果、敦賀に行けば食えるとばかりに大量の人員が押し寄せてきたのです。
そういうわけで越前の、敦賀の玄関口たる愛発の関の混乱たるや、想像を絶するものになりました。
何のあてもなく押し寄せてくるものですから、伝手の確認、職の手配、住居の登録と軍役希望の聴取などやることが多岐にわたります。
現地の土豪である疋田氏は早々に根を上げて、管理権の返上を申し出てきました。
今は私の僧籍時代の子飼い達が戦場のごとく走り回っています。その内誰かが疋田氏に婿入りしてあの辺一帯を管理することになるでしょう。
「せやなぁ、あんな喧噪、京の祭りでも早々無いで。
あれが毎日やろ?しかも着の身着のまま食うや食わずの貧乏人ばっかしや。
オマエも苦労しとるんやなぁ。あそこで振る舞ってた飯、オマエのオゴリなんやろ?」
なるほど、将軍になられる方のような殿上人には下々の事情などよくご存じないようで。
餓鬼道に堕ちた群衆に貪られているようにしか映っていないのですか。
「あー、わかっていただけますかー。
たいへんなんですよー。ほんとうにー」
――むしろ貪っているのは我々体制側なんですけどねぇ。
愛発での飯と寝場所、おまけに医療の提供は、ようするに『しっかり体を癒しなさい。君たちは貴重な労働力なんだ』という世紀末ハ〇ト様もニッコリな労働者の品質管理手法なんですよ。
そこで若干の余裕を取り戻した民衆は、敦賀の現状を説明され、自らの事情と照らし合わせて働く場所を決めます。自らの意思で。
もっとも、あそこで敦賀の現状を説明しているのは各所から派遣された勧誘者という名の公式人さらいですからねぇ。
現代日本の自衛隊勧誘ばりの誘いを受けて流される者がほとんどです。
まぁ待遇が悪いわけでもなし、嘘を吹き込まれたわけでもなし。
今までの暮らしとは様変わりしますので不満など持ちようはずもなく、嬉々として敦賀の歯車になって頂けるという寸法です。
「ホンマ大丈夫か?嫌なこと思い出させてもうて悪いことしたなぁ。
義景の息子のこともあるし、越前ってなんぞ憑かれとるんか?お祓いしたほうがええんちゃう?」
真剣に心配していただいているだけに滑稽ですね。
「考えておきますよ。しかし今は左馬頭様を織田殿のもとへお届けするのが先ですから」
「そやった!これでワイも遂に上洛や!!見とれよ三好ぃ!」
さっきまでの心配顔から一転、晴れやかな笑顔になりました。
「けど、信長やからなぁ・・・イマイチ安心できへん・・・」
と思ったらまた心配顔に。百面相ですか?
「大丈夫ですよ。私が言ったとおりの展開になったでしょう?
織田殿は本来、『まず勝ちて、後に戦う』手合いです。
その彼が満を持して左馬頭様をお呼びになったのですから、大船に乗った気持ちでいればいいのです」
「せやけどなぁ、信長って天然うっかりで笑いをとる所があるやろ?
この大一番でうっかりオモロいやらかしやりそうで怖いんやわぁ」
う゛っ・・・たしかに、それは否定できないところが怖いですね。しかし・・・
「いや大丈夫です。既に一回やらかしてますから。同じ落ちで笑いを取ることは無いでしょう」
「勇んで上洛しようとしたら、いきなり斎藤にシバかれたんやっけ?ならもう大丈夫か」
天丼はしないとか、いまいち理屈になっていませんが、まあ納得して頂けたのでよしとしましょう。
さて、魔王に対面する前に私の手札を隠すとしましょうか。
「狛次郎、周囲の状況は?」
「斥候は軍勢を見ていない!六角は腰抜けだな!一度騎兵で翻弄しただけで退散したきり戻ってこない!
強者の気配はあの関の向こう側にしかいないぞ!」
それは良かった。まぁ今の六角が浅井領の佐和山城を迂回してこちらに一度ちょっかいをかけてきただけでも大したものですけど。
「よし。では赤座騎兵隊は後方警戒中の浅井備前殿と交代しなさい。
警戒線を引き継いだついでに、間者を通さぬよう山狩りを行っておいてくださいね」
「承知した!聞こえたな赤座隊!征くぞ!!」
いうが早いか、鮮やかに馬首を返し走り去っていく狛次郎。
「お~、若いのにえらい手練れやなぁ。ワイの御供衆に欲しいわ」
「ご冗談を。木端藤原の赤座家では家格が全く足りてませんよ。
それに礼儀も怪しいですね。仮にも雇い主である私が下馬していても、気にもせず馬上から話しかけるような男です」
まぁ、当家でそれを問題視することなどあり得ないのですが、伝統と格式の将軍家でそんなことしたら、ねぇ。
「ほー、オモロいなぁ。馬から降りたら死ぬんかアイツ?」
「もしかしたらそうかもしれませんねぇ。ただ礼儀知らずなのは違いないです。
上洛戦では伝令などで御前に出ることもあるかもしれません。
仮に相手が左馬頭様であっても態度は変えないでしょう。
まぁ、戦場では礼儀とか言っていられませんからご容赦ください」
あの物言いで私に対して敬意をもっているのがちゃんと伝わってくるのが不思議なところですが。
「さよか。でもまぁワイが直接相手することはないやろ。オマエがおるんやし」
「?、上洛戦に私は同道できませんよ?」
情報収集を兼ねた陣借りとして赤座隊と騎馬志能便衆をつけるのが精一杯でしょう。
それ以上は織田殿が認めるとは思えません。
「は?なんでやねん!」
危ないですねぇ、急に手綱を引かないでくださいよ。
近くを歩いている私達が踏まれでもしたらどうするんですか。
「そりゃ織田殿が仕切る上洛だからですよ。織田殿からしたら同盟相手でもない小勢のくせに自身の統制下に入れられないなど、邪魔でしかありません」
純粋な騎馬隊のような特殊技能を保持して、かつ統制下に組み込める規模・家格でもなければ外から参加は難しいのですよ。
「いやいや、オマエが信長の下に付けばええ話やないんか」
そういう訳にはいかないんですよ。柵からしても、私の歴史改変からしてもね。
「無理ですね。斯波を早々に下し、長く越前守護を務めた朝倉家が、斯波の守護代の、そのまた家臣程度の織田殿の下風に立つ事は出来ません」
「えー?お前そういうの気にする柄やったっけ?」
気にするんですよ。そういう事にしておいてください。
「朝倉家の面子を背負っておりますからねぇ。私の個人的な志向など些事ですよ、この場合」
義昭は馬上で腕を組みながら唸りだしました。
「う~ん、そういうもんか~オマエおったらだいぶ心強かったんやけどな~」
「ご冗談を。以前から武芸も戦もからっきしだと言っているではありませんか。そんなのが何の役に立つんです?」
馬廻り衆や明智党がいるならともかく、今連れてきているのは型稽古で促成栽培した足軽長槍兵ですよ?
「いやいや、ワイの目はごまかされへんでぇ!周り見てみぃ!整然と一定の速度で並んで行進するって並大抵の練度や無いで!」
「あぁ、これですか?こいつらは儀礼用です。行進以外は最低限の訓練しかさせていませんから、実際の戦には使えませんよ」
だから急に手綱引かないで下さいよ。危ないなぁ。
「待たんかい!コレはりぼてなんか!?それで一乗谷からここまで来たんか?」
「そうですよ。実際に戦うのは浅井備前殿や遠藤喜右衛門殿がおられますし。
実際六角のちょっかいを難なく撃退したでしょう」
私の周りに詰めるだけの部隊なんぞはりぼてで何の問題が?
「し、知らん方がよかったわ~、怖・・・ま、まぁ美濃はすぐそこや!信長との合流を急ぐんや!」
「それがいいでしょうね。浅井備前殿と合流し次第、不破の関を抜けるとしましょう」
はりぼて(弱いとは言ってない)
最低限の訓練(宗滴流)
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・・・メンタル作者名どおりなんでお手柔らかだと嬉しいです。
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