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問:兄が自害したので家督を引き継いだ瞬間に歴オタだった前世の記憶がよみがえり、詰んでる事を理解してしまった私、朝倉景恒の心境を答えよ  作者: 麺樽豆腐
第一部 歴史改変への道

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15/24

答15:勉強になりますね、先達の言葉は

永禄8(1565)年11月中旬、近江国浅井郡 小谷城京極丸


「しからば、覚慶様よりの御沙汰を申し渡す。謀反人、熊谷兵庫討伐に伴い闕所(けっしょ)となりし塩津浜には、若狭熊谷氏の縁者、熊谷十郎をもって()てるものとする。

 兵庫の一族は(ことごと)く打ち倒したとのことであるが、京極のもとで生き残った娘が一人いると聞く。その娘と熊谷十郎を(めあわ)せて塩津浜に(ほう)ずべし。

 以上である、覚慶様の上洛戦に参陣できるよう、各々方は北近江の安寧に尽力するように」


「「「「ははー、畏まりまして御座います」」」」


 御内書を携え一色藤長様が退出すると、あたりの緊張が若干緩んだのが見て取れます。


「熊谷十郎殿、でしたな。拙者は浅井備前守長政と申す者でござる。我らは隣人となる故、今後も良き交わりをしていきましょうぞ」


 浅井殿が堂々たる巨躯が醸し出す威圧感をなるべく打ち消そうとしてなのか、にこやかな笑顔で新たな塩津浜領主となった熊谷殿に話しかけています。


「ありがとうございます浅井殿。こちらこそ宜しくお頼み申します。未熟故に塩津浜には混乱もありましょうが、浅井殿に御迷惑を掛けぬよう努めまする」


 それを如才ない笑顔で受け答える熊谷殿。こちらは慣れないのか緊張が隠しきれていませんね。


「十郎殿、兵庫の忘れ形見たる娘は、わが室が目をかけていた側仕えじゃ。大切にしておくれ」


「もちろんで御座います京極様。けして粗略には扱わぬと誓いまする」


「結構。仲良くするのじゃぞ・・・しかし覚慶様から儂らには何か貰えるんじゃろうか?大切に育てた侍女を取られ損なのは勘弁してもらいたいのじゃが・・・」


 戯けた調子で愚痴を言っていますが、結構際どいもの言いですね。そしてさり気なく私の反応を伺っているあたり力を失ったとはいえ流石は京極高吉、老獪な姿は警戒に値する御仁です。


「京極様、滅多なことを言うては・・・それを言えば朝倉殿の立場が無いでは御座いませんか。

 熊谷兵庫を討ち果たしたのも、その後の塩津浜を安寧に保っていたのも朝倉殿ではないですか。だと言うのに朝倉殿には一言もなく・・・骨折り損とはこの事です」


 あー、表面的にはその通りなんですが、浅井殿のお怒りは的外れなんですよねぇ。


「お怒り有難うございます浅井殿。しかし所詮私は越前守護のいち被官、幕府から見ればただの陪臣でしかありませんから。

 越前守護義景は多忙につきこの場に出てきてすらいないんですよ?何かお言葉を頂ける道理がありません。

 それに報酬というわけではありませんが、愛発関から塩津浜までの街道整備の許可を熊谷殿より頂いておりますから、私どもは十分満足しているのです」


 街道整備を受け入れるということは、その道を通って容易に軍勢がやってくると言うことと同義なのです。これをもって京極様あたりは熊谷十郎が私達の()()()である事を察知したでしょうね。

 後、この場に若狭武田の関係者が一切いない事も判断材料になったでしょうか。

 

 そうです、今度塩津浜の領主に任命された、熊谷十郎なる者は、確かに若狭熊谷氏の縁者ではありますが、先祖の内訌により若狭を追われ敦賀に逃げた者の末裔であり、敦賀の地を苗字として土着した一族の末裔なんですよね。今回の件があって熊谷に復姓しただけの。


 はい、熊谷十郎の旧名は鳩原十郎恒正、現在の名は熊谷十郎恒直と言いまして、私の名を偏諱した敦賀文官衆の一人なんですよねぇ。で、塩津浜に駐屯する軍勢の指揮官は馬廻り衆あがりの鳩原次郎法師恒清、熊谷十郎の実の兄です。

 ええ、どう考えても実態は私が支配している以外の何物でもありませんよ。


 和田様や一色様は幕府奉公衆の数を減らさないだけでなく、我ら敦賀勢の力が強く成りすぎないように手を打ちたかったのでしょうが、若狭熊谷氏が粟屋と仲が悪い事もあって我らに協力的でしたし、こういう結果に落ち着ける事が出来ました。


 あ、ちなみに鳩原が若狭熊谷氏の係累であることは間違いありませんよ。だいたい今から4・50年前でしょうか若狭の内紛に敗れた粟屋・熊谷の一族が敦賀に逃げ延びてくることがありましてね、敦賀郡南部、鳩原の地に住まいて捲土重来を期した人々がいたのです。

 ただまぁ負けて逃げ延びた者たちの思い通りに行くことなどそう多くないですから、諦めて土着を決意した者たちが鳩原を名乗って敦賀にいたわけですよ。


 彼らのうち長老衆はいまだに若狭の粟屋・熊谷との伝手を保っていますからね。熊谷十郎の身元保証は彼らがしてくれたというわけです。


 そんな熊谷十郎が朝倉勢に領主を討ち取られて混乱中の塩津浜に手勢を率いて乱入し我ら朝倉勢と和睦、協力体制を構築したうえで熊谷十郎名義で反抗的な者の粛清や治安維持、所領安堵を実施していました。

 実態はお察しの通り、熊谷十郎の手勢とは敦賀の援軍そのものであり、茶番以外の何物でもないのですが、結果的に塩津浜の侍や民衆、それに一色様のような幕府首脳にはお家騒動による当主交代とそう違いがないように映るわけですねぇ。


 もっとも熊谷十郎いやもとい、鳩原兄弟いわく『忠誠は敦賀にあります。なぜなら塩津浜で自由にできる金は敦賀からの俸給の5分の1程度ですから。むしろ助けてください。塩津浜はどんぶり勘定すぎてどのくらい赤字かも把握しきれてません』だそうですし、私の政略には影響なさそうです。


 あ、国吉城の粟屋某にも同じ手法を使うだろと考えたそこのあなた。鋭いですねぇ、ただし全く同じにはなりませんのでその時を楽しみにしておいてくださいね。


「まぁ儂らに悪い影響がなければ特になんとも思わんことにしようぞ・・・幕府がケチなのは今に始まったことではないしのぅ。

 熊谷殿、北近江に来た以上は儂と浅井の被官でもあるのじゃ、江北の秩序を乱さぬよう頼むぞ」


「はっはい!承知しました!!」


 えぇ、いい返事です。表向きはしっかり従っておきなさいね。裏の腹黒いところは私と京極様、浅井殿の御父上でしっかり調整しておきますから。まずはこの後の宴の席からですね。



 その夜に行われた宴席は幕臣の一色様、京極様、熊谷と私たち被官人は別室で行うこととなりました。


「さてそれでは改めまして浅井殿、織田との同盟締結およびご結婚おめでとうございます」


「ありがとうございます朝倉殿。これで後顧の憂いなく六角にあたれます」


「お言葉ありがたく、しかし織田なるものがどこまで信用(あた)うか・・・うつけに振り回されるのは御免(こうむ)りたいものだ」


 その場にて浅井備前守(長政)殿、浅井下野守(久政)殿に祝いの言葉をかけました所、両者の反応は大きく異なりました。

 部外者である私の前で首脳陣の意見が割れていることを堂々と暴露するとは・・・


「下野殿、織田上総介殿がうつけであったのは若いころの話だと伺っておりますよ?」


「人間の本性など早々変わるものでもなかろう朝倉殿よ。我らの縁者は取らずに己の妹なる者を押し付けてくるだけとかな、我らを家臣か何かと勘違いしておるのだろうよ」


 まぁたしかに尾張・知多半島の佐治殿とか、信長の妹を娶って、のちに家臣化した前例もありますしねぇ。


「父上・・・それは市に失礼でござる!それに義兄者(あにじゃ)は並み居る強敵を打倒してきた剛の者です。かならずや美濃斎藤を討ち果たしましょうぞ!!」


「そういう問題ではないのだがな・・・まぁ斎藤が六角と組んでいる以上ほかに道はないのだ、今は織田殿を信じるしかあるまいよ」


 浅井家の方針としては対六角で斎藤に邪魔されたくないから織田と同盟したというところですか。現状では合理的な判断だといえるでしょう。

 しかし、織田の勢いはすさまじいのです。史実(前世)では六角とにらみ合っている間に美濃どころか南近江も飲み込んでしまいました。仮にそうなった場合に浅井家(彼ら)はどういう方針をとるでしょうか?おとなしく織田の家臣になります?


「あなた方の目が南近江に向いているのを確認出来て朝倉としては喜ばしいですよ。まぁ困ったことがあれば相談してください。一乗谷だけでなく私たち敦賀からも協力させていただきますよ」


「ふん・・・塩津浜をかすめ取った盗人が猛々しいな。まぁあそこは元々我らの手が及ばぬ地よ、どうなろうと口出しする資格はないがな」


「父上、何を言っているのです?朝倉殿は折角骨折りした塩津浜をぽっと出の幕臣にかすめ取られた側ではありませんか」


 下野殿が深い、それは深いため息をこぼされました。気持ちは分かりますがね、備前殿はあまりにも表面的にものを見すぎています。まぁこれが若さってことなのでしょう。

 お前も似たような年齢だろうがって?・・・ふふふ、私の年齢はあなた方のご想像にお任せしますよ。ただ前世の分、精神が老成しているわけですからどうしても視点がおっさんや(じじい)になってしまいます。


「猿夜叉丸・・・お前も当主となったからにはもう少し深く物事を見なさい。この盗人(ぬすっと)殿が目の前で獲物を()(さら)われて悔しがっているように見えるか?

 こういう腹黒い盗人はな、己の感情を(おもて)に出したりはせぬ。故についてきた小姓など、周りの人物を観察するのだ。して朝倉勢にそのような間抜け面はいたかね?」


 たしかに居ませんねぇ。これは盲点でした、京極様が見抜いてきたのも案外この辺が原因かもしれません。私にとっても勉強になりますね、先達の言葉は。


「父上・・・(それがし)はそんなところ見てすらいないのですが・・・そうなのですか?朝倉殿」


「・・・それで答えてもらえると思うのか?断片的でも小さくてもいい、情報を集めて絵図面を組み立てるのだ。本人を問い詰めるのは最後の詰めの時のみぞ」


「いえ、お答えしましょう。今回は下野殿に免じて特別です。下野殿、御子息への教示は別の機会にお願いします」


 浅井家には実情を知っておいてもらったほうが良い面もありますからね。


「さて、物事には本音と建前が乖離(かいり)している場合など多々ありまして、今回も建前では熊谷の係累が幕府奉公衆と塩津浜の地頭職を継承したことにより単なる当主交代という扱いになり、朝倉の働きはなかったこととなりました。

 ただまぁ本音を言うとですね、熊谷十郎殿、彼は私の紐付きなんですよ。幼いころから面倒を見ていまして、いまは私の仕事を手伝ってくれています」


 もともとは僧籍にあった私がどこかで住職をする際に勝手方として雇用するために教育していたのですが、人生何が幸いするかわかりませんね。


「は?どういうことでござるか?」


「要するにですね、彼は私から俸禄を受け取り敦賀郡司家の行政の一端を担っているのです。()()()()。この事実を類推できる情報はいくつかありますよ。塩津城を再建せずに港近くの館に居住していたり、没落し閉塞していた家系が集められる規模を大きく超えた手勢を率いていたり、近習に縁者のはずの若狭衆がいなかったりね」


 列記すると・・・あんまり隠す気がないのがばれてしまいますねぇ。


「・・・つまりは、塩津浜は属領ということに?」


「なります。だから城を再建しないのですよ。最悪、敦賀に逃げておいて後から取り戻せばいいですから」


 呆然としている備前殿には悪いのですけど、下野殿は把握済みだったんですからもっと連絡を密にすべきでしたね。


「猿夜叉丸、浅井にとっては特に悪い話でもない。京極が熊谷兵庫に出していた所領安堵とそれに伴う軍役割り当ては、熊谷十郎殿が引き継ぐのであろう?我らには何の影響もないのだ。むしろ六角と戦うにあたり後ろ盾となってくれた朝倉がより近くに来た故に交流もしやすかろう」


「父上・・・しかしわれらをたばかるような!」


「騙すつもりならもう少し真面目に隠すわ馬鹿者。気が付かんお前が愚かなのだよ、軍役と上納以外興味を持たない幕臣どもと同じでどうする」


 たいていの人間は自分の損得にかかわる事象以外は興味がありませんからね。幕府としては塩津浜が名目上朝倉に渡り、奉公衆が減るのを防げればそれ以外はどうでもいいのでしょう。


「ま、騙された気になって悔しいのもわかるが、先のことを見据えよ。見方によっては我ら浅井が塩津浜を得る好機ぞ?」


 へんな煽りを入れないでほしいのですが・・・


「そ、そうですね父上。城もないような地など、一捻(ひとひね)りに踏みつぶして・・・」


「で、そのあと城のない地で敦賀からの軍勢をどうしのぐ?さらに六角に加え、後方の朝倉も敵に回すことになるな」


「ぐ・・・で、では調略しましょう!熊谷の独立を支援してこちら側につかせれば・・・」


「さっき城がない地と自分でも言っておったではないか。独立したとたん敦賀が攻めてきて先ほどとそう変わらない展開になるの」


 そうなるのが見えているというのがひとつの離反対策でもあるのですよ。鳩原兄弟は愚かではありませんから。


「ちなみに熊谷殿と兄の鳩原に『なんだったら独立します?』と聞いてみたことがあるんですけどね、敦賀としては交易路をしっかり整備しておいていただければそれで十分ですので」


「ほう?して返答は?まぁ見えているが」


「『勘弁してください。死んでしまいます』でした」


「で、あろうな。敦賀が攻めずとも、後ろ盾がない時点で周囲に潰されて終わりだ」


「それもあるんですが、彼らが問題視していたのは実入りの話です。熊谷殿は鳩原を名乗っていた頃から敦賀でも有数の文官でしてね、現状の塩津浜で財務状況を調査した所、【赤字なのは確定だがどんぶり勘定過ぎてどこまでひどいのか把握しきれない】そうです。賄賂と臨時徴収でなんとか回していたと推察されるそうですよ」


 とはいえ、国人衆であればこのような放漫財政は珍しくないのですが。


「領内の改革、整備を進めればマシになるそうですけど、そのうえで得られる自由に使える金が敦賀から支払われる俸給よりはるかに少ないのですって。

 敦賀も塩津浜も交易路の上にありますから、金があれば大抵のものは調達できるんですけど、それだけに実入りの差は大きいんですよね

 土地が持てても収益が5分の1になるのではねぇ・・・」


 かなり深い所までさらけ出しましたが、その甲斐あって下野殿にも驚きをお届けできたようです。


「そこまで違うのは予想もしておらなんだが・・・そういうことだ猿夜叉丸。先を見通したうえでこの件に関しては朝倉と仲良くするのが最善ということだ」


「はい・・・肝に銘じます・・・」


 なかなか真剣にへこんでおられますね。しかし外交・謀略の世界で安全に失敗できる場面など滅多にないのです。

 いい経験として糧にできることを祈りますよ。


 さて、では最後に織田殿への疑念を植え付けるとしましょうか。


「先を見据えながら方針を決めるのは大事です。今は対六角として最善手でしょうね、織田殿との同盟は。

 しかし、物事は余人の予想もできない方向に転ぶこともあります。仮に美濃斎藤にとどまらず()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の対応も考えておいて損は無いでしょう。

 私が愚考する最悪の状況です。そんな時に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()織田殿をどこまで信用できますか?」


 そう、お市様は魔王の実妹じゃなくて、従妹だったりするんですよ。調べてみてビックリしました。前世の記憶と所々違いがあるのですが、これもその類いなのでしょうか?


「え?どういう事ですか朝倉殿?」


「落ち着け猿夜叉丸。少し調べれば分かることだ。織田殿も隠しているつもりもあるまい。信長が妹として送ってきた以上、その様に扱うのが世の習いよ。

 ・・・しかし南近江を掻っ攫われる、か。織田の勢いから考えて無い事もないのが嫌らしいな、御忠告ありがたく受け取らせてもらおう」


 ええ、前世(史実)では実際に起きたことですからね。対織田戦略をしっかり練っておいてください。


お市の方との婚姻は永禄10(1567)年では?

→改変です。当作ではこの時期としました。

 永禄10年だと稲葉山陥落前後になってしまい織田・浅井双方とも同盟する意義が薄いと感じたので。


浅井朝倉同盟は?

→そんな物はない。朝倉にとって浅井は六角との緩衝地帯。同盟なんぞしたら大国六角と戦争になるじゃないですか。

 この当時朝倉の目は加賀と若狭に向いてるんですよ?


いや、朝倉に従属してたんだろ?

→史実では多分そうだったんでしょうね。一乗谷に浅井屋敷あったそうですし。

 久政の代では六角に(大分厳しめな)従属。長政の代で朝倉に鞍替えした(挟撃を避けるため。朝倉は近江に興味が薄い故に浅井の裁量を大きくできた)。

 で、美濃を獲った信長が上洛・近江進出を企図して浅井を調略した。結果、浅井は織田朝倉に両属。

 お市との婚姻の時期もこれなら説明つきますし。

 ・・・でもねぇ、これつまり浅井はただの国衆、国人程度でしか無いってことじゃないですか。

 それはちょっと・・・てことで、浅井をもうちょっと盛る事にしたんですよ。


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読んでいただきありがとうございます。


よろしければブックマーク・★評価・感想等お願いいたします。


・・・メンタル作者名どおりなんでお手柔らかだと嬉しいです。


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