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問:兄が自害したので家督を引き継いだ瞬間に歴オタだった前世の記憶がよみがえり、詰んでる事を理解してしまった私、朝倉景恒の心境を答えよ  作者: 麺樽豆腐
第一部 歴史改変への道

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13/20

答13:やっぱり芸人適正高いですねぇこの方

永禄8(1565)年7月下旬、近江国甲賀郡和田城


「この2ヶ月・・・いろいろあったが、無事覚慶様を三好の手からお救いの上、和田殿のもとで落ち着くことが出来た。これには朝倉殿、明智殿の協力が不可欠であった。誠に感謝いたす」


 そういって深々と頭を下げる眼前の御仁、細川左京大夫藤孝。幕府直臣の上、家格ではここ和田の地において覚慶を除き誰よりも高い細川京兆家を継いだ男が、越前守護の家臣とそのまた陪臣に躊躇なく頭を下げる、その点だけ見ても並の人物ではありません。


 え?細川晴元の息子が摂津に居るだろって?前世の記憶(史実)ではそうだったんですが、そんな方影も形もありませんでしてね、義輝公がゴリ押ししたこの方が今の京兆家当主なのですよ。


 正しくは(史実では)こうなのに!と騒いだ所で現実が変わるわけでもなし、今起きている事実に合わせて対応しないと無駄に疲れるだけで何の意味もありませんから。


「頭を上げてください細川様。我々は越前守護・朝倉義景の命にて動いたまでです。守護として将軍家に尽くすのは当然でございます」


「その建前が生きておるならば、拙者や一色殿は身一つで京より逃げ出してはおらぬ。朝倉殿と明智殿の手勢なくば、いまだに覚慶様は興福寺にて軟禁されたままであったろう」


 たしかに実働部隊の不足が著しく、私たちがいなかったらどうなっていたかわかりませんが、下々にまで細かく気を遣うのはこの御仁の性分なのでしょう。


「細川殿の言う通りですな。それに朝倉殿の透破(すっぱ)衆、志能便といいましたか。棟梁が女性(にょしょう)というのは意外でしたな。彼らの働きもまた大きなものであったと聞いていますぞ」


「評価ありがとうございます和田様。彼女の名は(ふじ)と申します。今後も顔を出すことになるでしょうからお見知りおきください。もっともその際に同じ顔をしているかは保証しかねますが」


 なお敦賀の志能便衆は7割ほど女性(じょせい)が占めている集団です。下働きに入りやすいですし、白拍子上がりの顔立ちのものも多く、男ではできない働きをする者もいます。

 わたしが女子供でも働けと公言している影響も大きいのでしょう。


「拙者も覚えておこう、優秀な透破は貴重ですからな。そうでしょう、和田殿」


「左様ですな細川殿。六角殿には甲賀三雲党、朝倉殿には志能便衆と使える透破がおりうらやましい限りでござる。

 幕府でも透破の確保を行いたいのだが・・・家格が、な」


 えらい人たちの(しがらみ)は難儀なものですねぇ。しかしこうしてのんびり話に興じる時間が持てたのも救出作戦が成功したからこそですし、細川・和田両者にコネを作れたことを喜びましょう。


 それにしても、ここまでいろいろありました・・・

 6月頭に敦賀を出て早々、深坂峠を越えた先にある塩津の領主、熊谷兵庫介殿より不審な一団扱いをされて舟での移動を拒否されたり、結果今浜まで移動することとなり京極殿と浅井殿にあいさつに回ったり、途中で寄った観音寺城で六角承禎入道殿と会談()()()()()()り、ようやく大和入りをして松永弾正と会談できたと思ったら覚慶の開放を拒否されたり。


 分散して活動している志能便たちを除いても百名あまり、軍勢を動かす際の苦しみを味わいましたよ。飯とか、飯とか、寝床とか。

 大和からここまでは、私たちの手勢に加え、和田の手勢や銭雇(ぜにやとい)の足軽もいることもあって、苦労がさらに倍!でしたからね。


 しかし時間はかかりましたが覚慶を無事にここ近江国甲賀の地、六角殿の勢力圏まで連れてくることが出来ました。

 ここまでくれば一安心と幕臣の方々にも弛緩した空気が流れているところでが・・・そんな空気を一変させるような足音が響いてきました。


「覚慶様がお成りになります!!」


 小姓の叫ぶような前触れとほぼ同時に湯帷子(ゆかたびら)姿のままの御坊が乱入してきました。


「頭下げんといてな、平伏とかいらんよ。こんなかっこうで失礼するでぇ。最近暑うてなぁ、それにやっと旅の垢とかその他()()()()落とせたもんでな」


 湯上りで機嫌がいいのか、人懐こい笑顔を浮かべています。


「藤孝、惟政、あとここにおらんけど藤長と義景も。えらい苦労かけたなぁ、兄上が()うなってからこっち、やっと緊張の糸を緩めることが出来た気がするわ」


「もったいなきお言葉にございます覚慶様。拙者どもの力が足りずに救出お待たせしたこと、お詫び申し上げます」


「藤孝!そんなこと気にせんでええ!終わり良ければ総て良しや!えぇ経験もさせてもろうたしな。

 肥桶の中に入れられて蓋された上にう◯こ詰められた門跡ってワイが初めてやなかろうか?二重蓋になってて実際にはう◯こ触ってへんけど、めっちゃクサかったわー。こんな奇想天外な脱出方法、誰が考え出したんや?素晴らしい智謀や、賞賛するわー」


 なんというか、怒っているのでしょうけど、そこはかとなくリアクション芸人がひどい目にあわされてキレている様な雰囲気ですねぇ。


「あぁ、お気に召していただいたようで何よりです、覚慶様」


「皮肉や!少しは都の言葉遊びを覚えんかい田舎もん!けどこういう言い回し(ツッコミ)もおもろいもんやな・・・お前が考え出したんか?ええと、名は?」


「越前守護・朝倉義景の被官、朝倉彦四郎景恒と申します。主義景の名代とはいえ無位無官の身でのお目汚し失礼いたします。

 さて、(くだん)の脱出方法ですが、私と敦賀志能便衆の代表を務める・・・」


 ここで、私の左の空いた場所を指し示し、そこに皆の視線が集まったところで、天井からひとりの女童が飛び降りてきます。


「志能便の(ふじ)と申します。以後お見知りおきを」


 微笑みながら一礼をとり、再び天井へと姿を消しました。


「え、透破の棟梁?以前見たときはもっと妙齢の・・・」


「志能便の見た目など全くあてにならないのですよ細川様。とはいえ今後皆様の前に姿を現す際は先の女童姿で固定するよう申し付けておきます。

 話を戻しまして、藤ら志能便衆が興福寺を探った情報をもとに私と藤にて練り上げた脱出計画でございました。

 松永弾正をはじめとした興福寺内の敵対勢力等の目を欺き、覚慶様のお命が安全であることを最優先したものでございます」


「そういわれると怒るに怒れんやんけ・・・まあええわ、さっきの女童の愛らしさに免じて許したる!まぁもっとも最初から怒ってへんけどな!!」


 ばつが悪そうに頭をかきながら言われましてもねぇ。と思っていたら、おもむろに居住まいをただした姿勢をとり、真剣な表情になりました。


「こんな格好で宣言するのもなんやけど、ワイは兄上の跡を継いで将軍になる!険しい道のりになるやろうけどワイは諦めへん!皆、ワイについてきてくれるか!?」


 そういいながら立ち上がり皆を見渡してきました。真面目になるとさすが足利将軍家の風格が出ていますね。


「はっ!もちろんでございます!」

「ははっ!お任せください覚慶様!」

「・・・この場での回答は出来かねますねぇ」


 皆が盛り上がっているところに水を差すようですが。

 私がそう答えると『ヽ(・ω・)/ズコー』という擬音が聞こえてきそうな勢いで転びました・・・やっぱり芸人適正高いですねぇこの方。


「なんでや!!ここは皆でワイを盛り上げるところやろ!!」


 ノリ悪いなぁみたいな顔してツッコミされてもねぇ。出来ないものは出来ないんですよ。


「理由は大きく分けてふたつあります。

 ひとつはあくまで私は越前守護の名代でしかありません。覚慶様の要請を受ける立場ではないのです。主・義景に今のお言葉をお伝えすることは致しますが、この場での返答は不可能です」


「あぁ、そりゃあ道理やな。じゃあ義景によろしく伝えといてくれるか?」


「それはもちろんお約束いたします。

 で、ふたつめは越前から畿内への大きな介入の難しさがあります」


 顔に大きくはてなマークが見えますねぇ。ワカり易いお方ですことで。


「どういうことや?」


「覚慶様が将軍になるために京を目指される。となれば三好排除のための上洛軍を率いられることになりますが、現状だと上洛軍に越前勢が参加するのは難しいのです。今のような小勢ならいざ知らず」


「なんや、越前は内輪もめでもやっとるんか?」


「まぁやってはいますが、問題はそこではなくちゃんとした軍勢を覚慶様がおわす南近江に届けるのが厳しいという話です」


 後々には景鏡討伐に利用させていただきますが。


「はぁ?越前なんて近江の隣国やろ?越後の上杉やら甲斐武田ならともかく、そんな近さでは説得力無いで」


「近いが故の問題も有るのです。具体的には通行路が固定されてしまうんですよ。そこをふさぐ様に立ちはだかるものがいたとしたら?」


 距離があれば迂回路もあるでしょうけど、近い場合はそこを通るしかない場所ってのがどうしても出来てしまいます。


「いうて北近江やろ?あそこは父上の代から庭のようなもんや。そんな不届き者がおるとは思えんけどな」


「私もそう思っていました。しかし、こちらをご覧ください」


 天井に向け合図すると、藤が再び降りてきて、複数の書物を覚慶に手渡しました。


「なんやこれ?・・・『義輝の天道に外れた行いをただした故、堺におわす義栄様の将軍宣下に協力されたし。詳細はこの手紙を持ち込んだものから説明いたす。三好義継』ぅ!?誰宛や?・・・高島越中?北近江やないか!」


「他にも朽木を除く高島七頭、京極・・・そして塩津の熊谷兵庫介宛の文書が確認されています」


 朽木と六角の分は見つけられなかったそうです。送られていないのか、破り捨てたか、隠されて見つからなかっただけか。


「ゆ、許せへんで!!コイツ等討伐せなあかん!!」


 大分興奮させてしまいましたが、この程度でキレられても困るんですよね。


「落ち着いてください。あくまでこれは三好から各幕臣宛に送られたものに過ぎません。三好に、堺公方についたと決まったわけではない・・・というかただ受け取っただけでしょう。

 かれらに自らの去就をこんな迅速に決断できるような才覚があるとも思えませんし」


「いや、きついこと言うなお前、つまりは北近江の幕臣どもは無能ぞろいと言いたいんか?」


「無能とは思っていませんが、この状況で拙速に旗色を鮮明にして周りを引っ張っていくほどの大名はいないでしょう?皆2・3村程度の領地しか持たないのですから、誰かの旗のもとにはせ参じる事しかできないのです。これは才覚ではなくて領地規模の問題ですよ」


 まぁ京極殿は建前上北近江の支配者なんですけどね。実態はお寒いばかりで。


「ほなワイが決起して、六角や越前朝倉、美濃斎藤と尾張織田あたりが集まれば、自然とすり寄ってくるっちゅうことか?」


「左様でございます。して話がずれたので元に戻しますが、私から見て北近江の幕臣たちの中で三好方につく可能性の高い御仁がおります」


 そんな鋭く睨まれましてもねぇ。


「根拠ある奴がおるっちゅうことか?誰や?」


「塩津浜の領主、熊谷兵庫介直昌殿です。まずいことに越前から近江に抜ける際必ず通過する必要があるのですよ。ここが三好方になってしまえば私たちは越前に閉じ込められて出てこれません」


 さぁ、ここで覚慶に疑いという名の毒を流し込みましょう。すべては敦賀の発展のために。


「他の奴等とは違う根拠があるっちゅうことでええんやな?聞かせてもらおか」


「はい、まずは熊谷殿は北近江有数の港町である塩津浜を領しており、商売船の出入りが盛んにおこなわれています。

 商売船はおもに堅田を根城としている水軍衆の手のものであり、彼らの大半は一向宗門徒です。そうです堺にほど近い石山本願寺の息がかかった者どもです」


「本願寺か・・・藤孝、お前の養父だった晴元は本願寺と仲良しやったなぁ」


「はっ!しかし拙者の代ではもはや伝手はなく・・・」


「落ち着いてください。まだ石山が三好につくとは限りません。なにより本願寺は先々代当主の三好元長を討ち滅ぼした勢力です。そう簡単にわだかまりが解けるとは思えません」


「それもそうやな、しかし景恒、お前塩津浜が怪しい言うたやろ。つまり怪しく思う別の根拠があるってことか」


「はい、どちらかというとこちらの根拠の方が強いのですが、堅田という地は比叡山のお膝元であり天台座主の影響下にあるんですよ。

 延暦寺と興福寺はお互いに強訴しあうような()()()ですから、将軍宣下が済んでいるのならともかく、覚慶様と堺公方が争っているのであれば興福寺に連なるものへの嫌がらせを行うことは十分にあり得ます」


「あーそれで熊谷の後ろに立って越前からの道に通せんぼしていやがらせしようってか」


「はい、実をいうと私どもが覚慶様救出のため若干の手勢を率いて塩津に入ろうとした際、『素性の定かでない野盗まがいを浜には入れさせん』と追い出されてしまいまして・・・一つ山を越えて浅井殿の領地へ回り道する羽目になりました。

 あの道は百名程度の小勢でしたから何とかなりましたが、上洛軍となるととても通行はできません」


「つまりあいつは、ワイ救出の邪魔をしとったんやな!ほならもう有罪やないか!!」


「はい、ただしあくまでも()()()()()()()()()であることにご留意ください。北近江勢の言い分も聞かなければ詮議になりません」


「気分を盛り上げといて落とすやっちゃなお前!!まぁでも言いたいことはわかるで。黙っときゃ自分有利になるものを馬鹿正直に話す善良な奴やなあ」


 私が善良?・・・ホントに芸人適正高いですねぇ。思わず吹き出すところでした。


「ありがとうございます。大樹となられる方には公平を旨としていただきたい一心でございます。ただ、お褒めいただいた矢先に心苦しいのですが、この先は為政者として汚い部分を見る提案をさせていただきます」


「こわっ・・・急に怖い顔になったでお前。ワイ脅かしても何も出ぇへんで」


 いえいえ貴方を脅かしたり煽ったりすれば色々出てくるんですよ?主に御内書が。


「覚慶様は、『一罰百戒』という言葉はご存知でしょうが、この言葉を有言実行するご覚悟はお有りでしょうか?それも()()()()()()()()()()()()()()相手に対して。そして同じく()()()()()()()()()()()()()相手を一旦は許す覚悟を。さらには似たような面々から一人、生贄を選ぶ覚悟をお持ちでしょうか?」


「・・・つまり何や、シロかクロかもわからん有象無象から一人選んで、クロやと()()()()()()()()っちゅうことかいな」


「はい、去就定かならぬ者共の拠り所である、『どうせ何もできまい』という侮りを潰すのです。そして残りは謀反などの明確な証拠がない限りは許すことで度量を見せることが出来ます。()()()()()()()()()()という恐怖を抑止力としたままに」


 まぁマキャベリ的に言ったらこれは残虐行為にあたりますから、本来は一回限りしか使えない奥の手なんですけど、もともと足利将軍家自体が君主論でいう自らの力に基づかない最低の君主なわけですから気にする必要もないでしょう。


 どのみち私からすれば他人事の話なんですから、うまいこと甘い汁が吸えるように誘導するのは当然ですよねぇ。

 あ、もちろん今語っていることに嘘偽りはありませんよ?一罰百戒が故事成語となる位には有効な手法なのは事実ですし。

 嘘偽りや裏切りだって残虐行為なんですし、いざという時まで温存するのが当たり前ですから。


「なるほどなぁ、無実かもしれへん相手をヤるのは心苦しい・・・ってそんな葛藤とっくに乗り越えとるわ!ワイを誰やと思うとる?()()()()!!全ての武士はワイらの役に立って()()()と考えるのが当然の一族や!その程度の泥は、かぶり慣れてなんとも思わへんわ!!」


 いい反応ですねぇ、この調子で来年あたりに塩津の頭をすげ替えてくれれば、私たちが入り込む余地が大きくできますから、うまく踊っていただきたいものです。

 さて、これから裏取りに動くであろう和田勢に()()()()情報を掴ませるか、厳しい駆け引きが待っていますね。


「はい、素晴らしいご覚悟です。では北近江を裏取りを行って頂きながら六角様と合流の暁には・・・」


「そんなまどろっこしいことせぇへんわ!熊谷はクロ!!舐められんように速攻で討伐せにゃならん!!」


 はぁ、とはいえない袖は振れないでしょう。手勢を集めるだけでもそれなりに時間かかりますし。


「し、しかし覚慶様!!我々にはそれができる手勢が・・・六角殿との合流を急ぎませんと」


「なにゆうとる藤孝!!手勢なら景恒が持っとるやないかい!!

 えぇか景恒!これから越前に帰るやろうけど、帰りがけに塩津に寄って熊谷の首、一族もろとも落としておいてな!!

 なに心配いらへん!義景にはワイからの命令やから、ええ感じにするよう御内書かいといたるから!!

 こうしちゃおれへんでぇ、祐筆はどこや!いくでぇ!!」


 え?あ・・・ちょっと!!・・・行ってしまった・・・

 これは困りましたね。私たちだけで塩津を攻めろと?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、これが足利ですか、正直甘く見ていましたよ。


「朝倉殿・・・なんというか・・・申し訳ない」


「細川様・・・せめて、上意討ちである旨、文書でいただけますでしょうか」


「無論だ、御内書に盛り込むようお伝えしよう」


「こちらでも六角殿・京極殿をはじめとした近江衆には話を通しておこう」


「助かります和田様。近江衆への連絡は熊谷討伐の直後になるようお願いできますか?不意をうつつもりですので」


「了解した、そのように手配しよう。では失礼いたす」


「お願いいたします和田様。・・・細川様、熊谷殿討伐の後、かの地の管理はどなたに?」


「京極殿と浅井殿の意向も確認する必要があるが、さしあたり貴殿が管理するよう上申するつもりだ。後任が貴殿ら越前勢と揉めるようでは意味がないのでな。拙者も覚慶様の元に向かうので、これで失礼する」


 ・・・はぁ、大分計算が狂いました。塩津浜は()()()手に入れるつもりでしたけど、少なくとも若狭国吉城の後にするつもりだったんですがねぇ。


「十兵衛、藤。熊谷殿の居城・塩津城の縄張りは把握できていますね?城の焼き落とし及び井戸への毒撒きと塩津浜を訪れている馬借の動員を許可します。払暁に奇襲で片を付けますよ」


「「はっ」」


 熊谷討伐そのものは何とかなるでしょうが・・・明智衆を若狭の戦いに投入するのは厳しくなりましたね。段取りを考え直さないと・・・


「殿」


「なんです?十兵衛」


「塩津浜の管理、いかがいたします?」


 捕らぬ狸のなんとやらな話ですか?まあいいですけど。


「そうですねぇ、敦賀街中と同様に文官衆を介した直接統治で行きましょう。京極・浅井などへ説明する表向きは文官衆のひとりに熊谷殿の娘を娶らせて名跡を継がせる方向で考えています。候補は、鳩原か小河(おごう)、長谷あたりですかねぇ。あぁ、あなたの従弟(いとこ)御もいいですね。見どころがありますし」


「かしこまりました。では扶持で働く同僚が増えるよう全力を尽くします」


「あなたの加増が先ですけどね?期待していますよ」


 こうして、帰り道にされた無茶ぶりは無事達成できたのですが、敦賀帰還が2週間ほど遅れた上に塩津浜の鎮撫のため手勢を張り付けなければならず、四・五騎の供だけのほぼ単身で帰る羽目になってしまいました。



読んでいただきありがとうございます。


よろしければブックマーク・★評価・感想等お願いいたします。


・・・メンタル作者名どおりなんでお手柔らかだと嬉しいです。

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