戻る道
夜明けの門で、栗毛のユラは前脚を上げたまま止まった。
門の外には、人の通った匂いがほとんどない。乾いた草と古い灰、それに雨の前のような金属臭が流れ込んでくる。
トーマが手綱を鳴らしかけたので、マレクは手を上げた。
「匂いを取らせろ」
ユラは鼻を伸ばし、門石を嗅いだ。自分から一歩を置くまで待つ。赤縄車の鉄輪が敷居を越え、青縄車、黒縄車が続いた。
西門は三台の後ろで閉じた。
停戦境は、町から半刻ほど東にある。戦前の料金所を挟み、王国の旗と旧魔王領の灰旗が、別々の柱から下がっていた。
柱のあいだに、七人の巡回兵が立っていた。
王国の革鎧が三人。灰色の外套が四人。先頭の女は左の角を半ばで失い、二色の紐を肩へ掛けている。
「停戦代表のアダルだ」
イェルが小声で言った。
アダルは挨拶より先に、赤縄車の白い結び目を解いた。
「古い救援印だな」
「通じるか」
「今朝までは、決まっていない」
彼女は白縄を掌へ載せ、車輪の鉄を見た。
「人間の荷車三台が、食料を積んで東へ入る。向こうから見れば補給部隊だ」
「武器はない」
マレクは両手を見せた。トーマとイェルも腰を空けている。セナの小刀だけは、鞘の封印紐をアダルへ見せた。
「開けるのは、本人が返事をしたあと」
セナが言う。
「返事ができなければ?」
「呼吸を通すためなら切る。傷の手当てだけなら待つ」
アダルは封印の印を記録板へ写した。
荷台も全て開けさせた。乾いた大樽。靴。足布。麦八袋。封をした豆四箱。接近路で使う食料は別の袋にあり、帰路用の封にはマレクとエルナ、二人の印が押してある。
「連れ出した者は、どこへ置く」
「西門外の放牧地だ。そこで行き先を聞く。王国内へ入る者は別に受け入れる」
「西へ行かない者は?」
「ここへ戻す」
「誰が?」
マレクはイェルを見なかった。
契約では、イェルが道を選ぶ。鐘割れ棚から全員を動かしたあとも、東へ戻る者へ道が要ることは分かっていた。だが、帰路にもイェルがいるものとして歩程を組んでいた。
イェルが記録板の前へ出た。
「私が戻る」
アダルの目が細くなる。
「西で暮らすつもりではなかったのか」
「一晩の受け入れまでは同行する。東へ帰る者がいれば、次の朝にこちらへ連れる」
「家は」
「鐘割れ棚より東に共同畑がある。妹の墓もある」
イェルは土地の名を一つ付け足した。マレクの古地図には載っていない、魔族の古い呼び名だった。
「そこまでの道を、救援の荷車で潰さないこと。西へ行く人数と同じように、東へ戻る名前も記録すること」
アダルはマレクへ言った。
「それが条件だ」
「戻る道を残せば、遅くなる」
「遅くなる」
アダルは頷いた。
「救援の名で人を西へ移し、帰れない形にしてから本人へ聞くことは認めない」
マレクは三台を振り返った。
サラを西へ連れ帰る。その考えだけなら、道は一本でよかった。百四十八人の行き先を聞くと決めた時点で、一本では足りない。
「記録へ入れろ」
アダルは木札の目的欄へ、鐘割れ棚生存者の移動支援、と書いた。受入地の下を二つに分け、西はエルナ、東はイェルの名を置く。
最後に、自分の名を監視責任者として記した。
「この三台だけ、灰口の関まで仮に使う。武器なし。捕虜なし。本人の行き先を記録する。違えたら、三台とも止める」
「明日も必要になる」
「明日の責任者が、今日の私と同じ判断をする保証はない」
アダルは残る六人へ出発を命じた。
武装した彼らは、救援隊と一団にならないよう三百歩先を行く。道の変化と、両軍の残留兵を確認するためだ。
「灰口の関までに会えば、止まれと言うまで近づくな」
アダルは短く言い、七人の先頭へ立った。
巡回が見えなくなってから、イェルが白い境界石を越えた。
半刻も進まないうちに、古地図の道と、地面の色が分かれた。
地図では、石積みの小屋を右に見て東へ進む。小屋は焼け落ち、その土台から白い粉が浮いている。イェルは道を外れ、南の草地に点在する黒岩を選んだ。
「荷車の道じゃない」
マレクが言う。
「昨日までは、人の道だった」
「今日は?」
イェルは杖で土を割り、下の石を見た。
「たぶん、三台通る」
断言しない声に、マレクは車間を広げた。先にイェルを歩かせ、黒岩へ一台ずつ車輪を置く。
イェルの外套で、脈針が震えた。
マレクの舌に金属の味が触れる。白い粉が風に逆らって上がり、最後にユラの轡が、触れていないのに鳴った。
鉄輪へ青い火が寄る。黒岩の縁で消えるまで、誰も手綱の金具へ触れなかった。
三台が渡り終わると、イェルは南へ進んだ。
マレクは御者台で古地図を開いた。午後に出る分かれ道には、北へ折れる荷車道が描かれている。南の草地を回るより半日短い。
欄外に、北枝、半日、と炭で書いた。
イェルの足は、地図にない南の黒岩だけを踏んでいた。




