表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/26

白い結び目

白い縄は、新しいものほど役に立たない。


漂白したばかりの麻は光を弾き、遠目にはよく見える。だが水を吸うと締まり、平たい結び目が解けなくなる。救援の印に使うなら、雨に濡れ、乾き、何度か荷を縛った縄がよかった。


マレクは倉の梁から古い一巻きを下ろした。毛羽を掌で撫で、腐りがないことを確かめてから、荷車の横木へ一重の平結びを作る。


「輪を二つにしろ」


門の検査役が言った。


「二つは商いだ。救援は一つだった」


「戦前はな。今は停戦の向こうへ入る。救援と言えば、何を運び出しても許される印にはできん」


検査役の指には新しい包帯が巻かれていた。今朝、東から戻った隊列で、先頭の馬を引いていた手だ。


マレクは結び目を作り直さず、縄の端を渡した。


「引いてみろ」


男が引く。結び目は潰れず、指を差し込めばほどける余地を残した。


「荷を奪いに行く者は、帰りにほどける結びを選ばない。向こうで検める者も知っている」


「昔の話が通じる保証は」


「ない。だからイェルが乗る」


荷台の端に座っていたイェルが、傷んだ踵へ布を巻きながら顔を上げた。


「私が住民の案内人になる。鐘割れ棚から、各人が行き先を選べる場所まで同行する。荷には武器を載せない」


検査役は木札へ書きかけて、筆を止めた。


「各人、というのは何人だ」


「四日前に百四十八」


「王国兵は」


「人数を分けて数えていない」


「旧魔王軍は」


「同じだ」


検査役は筆を置いた。


「なら、なおさら受け入れ地が要る。停戦初日に、素性も分からん百四十八人を西門前へ置けば、救援隊より先に軍が出る」


「門内へ入れろとは言っていない」


「門外なら誰の責任にもならない、とでも?」


マレクは答えられなかった。


百四十八人を連れ戻すと決めたとき、頭にあったのは西門の内側だけだった。屋根があり、水があり、敵の術が届かない。そのどれも、ここへ来たくない者の行き先にはならない。


「日が落ちるまで待って」


声を挟んだのはエルナだった。


妻は両手に木札を抱え、荷捌き場を横切ってきた。袖に小麦粉がつき、髪へ藁屑が絡んでいる。


「西門外の旧放牧地を、一晩の受け入れ場所にします。井戸は二つ。片方は飲み水、片方は洗い物だけ。王国内へ入る人は、南倉へ二十六人、染物組合の作業場へ十八人まで」


「残り百人余りは」


「一晩で行き先を聞く。そのための場所です。東へ戻る人には、イェルが向こうの受け入れを確かめる。動かせない人が多ければ、放牧地へ天幕を足す」


「食事は」


「百六十食を二日分。七軒から、麦一袋、鍋一つ、薪二束まで決めて借ります」


「病人が出たら」


「古い洗濯場を隔てます。治療はセナが引き継ぐ。町医者には今、使いを出しています」


検査役は木札を受け取った。


「善意の口約束では通せない」


「組合の貸付印があります」


エルナが一番下の札を裏返す。赤い封蝋を見て、検査役の眉が寄った。


「こんな日に、よく組合が押したな」


「押すだけの物を置きました」


それ以上は言わなかった。


検査役が詰所へ戻ると、マレクはエルナを倉の陰へ呼んだ。


「何を置いた」


「冬の仕入れ」


エルナは残った札を一枚渡した。小麦、豆、薪、油。雪の季節に店を開けるため、春から少しずつ押さえてきた品の名が並んでいる。


その下に、もう一つあった。


家屋一棟。


マレクは札から目を上げた。


「家まで要らない」


「あの日、三台目を要らないと思った?」


「帰ってこなければ、取り上げられる」


「帰ってきても、返せなければ同じよ」


エルナは札を奪い返さなかった。


「百四十八人を運んで、門の外へ置くつもりだったでしょう」


「まず生きて着けば」


「着いた翌朝も、生きているの」


倉の外で、トーマが木槌を落とした。謝る声と、拾う音がする。


マレクは冬の品書きを畳めなかった。家屋一棟の四文字の上で、親指が止まっていた。


「怖くないのか」


ようやく出たのは、それだけだった。


「怖いわ」


エルナは即答した。


「数えている間は、泣かなくて済むだけ」


マレクの手から札を取り、二つに折った。


「だから行って。明日の麦と寝床は、私が切らさない」


夜半の一つ前の鐘が鳴るころ、三人は門の詰所へ呼ばれた。


西門守備隊長のバルクは、腰の剣を机へ外していた。停戦発効後、どこからが武装越境になるのか、軍の側にもまだ答えがない。


「白結びの荷車三台。救援者は御者兼隊商主マレク、治療師セナ、車大工トーマ、案内人イェル。四人とも境界から先では武器を持たない。目的は、勇者サラの収容」


バルクが読み上げると、イェルの椅子が床を擦った。


「その目的なら、私は案内しない」


「では、何のためにここまで来た」


「鐘割れ棚には百四十八人いる。サラ一人を連れ出せば、歩けない二十六人を誰が運ぶ。あの人は自分の怪我より、そちらを先に書いた」


「王国が旧魔王領の民まで引き受ける約束はない」


「引き受けろとは言っていない。行き先を選べる場所まで運ぶ」


隊長はマレクを見た。


娘だけなら、一台で足りる。道が狭ければ馬を外し、背負ってでも帰れる。残り二台を空にすれば速く動ける。


けれどサラ一人のために空けた一台目を見れば、娘がそこへ乗らないことだけは分かった。


「目的を変える」


マレクは言った。


「鐘割れ棚にいる全員へ、移動の手段を届ける。王国内へ入れるとは約束しない。東へ戻る道も塞がない。最初の受け入れ地は西門外の放牧地だ」


「責任者は」


「道中は俺。到着後はエルナ・ローデン。医療判断はセナ。道はイェルが決める」


イェルが横目でこちらを見た。


バルクは窓の外の三台へ目をやった。武装隊を出せば停戦を壊しかねない。何もしなければ、生き残った者を地割れへ置く。


「許可ではない」


隊長は言った。


「軍は護衛も救援も出せない。明日、夜明けに門を一度だけ開ける。四人、馬三頭、荷車三台。境界で停戦代表の検査を受けろ。戻ったとき、白結びが見えても、門前で全員を確認する」


「それでいい」


「戻らなければ、こちらから捜しには行けない」


「分かっている」


バルクは目的欄の「勇者サラ」を横線で消した。


鐘割れ棚生存者、と書き直す。


許可証は渡されなかった。隊長が自分で外へ出て、三つの結び目を一つずつ引いた。


詰所を出ると、西門の夜番が交代していた。


「六時間です」


荷車の下から、トーマの声がした。


「何がだ」


「出発まで。歩けない人が二十六人なら、三台とも段を低くしないと交代のたびに人手を取られます。黒縄車の横木も替えたい」


マレクは上着を脱いだ。


「先に段を落とす。横木はそのあとだ」


「積む物は?」


倉には、持っていきたい物が山になっていた。


三台に入る物は、その半分もなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ