白い結び目
白い縄は、新しいものほど役に立たない。
漂白したばかりの麻は光を弾き、遠目にはよく見える。だが水を吸うと締まり、平たい結び目が解けなくなる。救援の印に使うなら、雨に濡れ、乾き、何度か荷を縛った縄がよかった。
マレクは倉の梁から古い一巻きを下ろした。毛羽を掌で撫で、腐りがないことを確かめてから、荷車の横木へ一重の平結びを作る。
「輪を二つにしろ」
門の検査役が言った。
「二つは商いだ。救援は一つだった」
「戦前はな。今は停戦の向こうへ入る。救援と言えば、何を運び出しても許される印にはできん」
検査役の指には新しい包帯が巻かれていた。今朝、東から戻った隊列で、先頭の馬を引いていた手だ。
マレクは結び目を作り直さず、縄の端を渡した。
「引いてみろ」
男が引く。結び目は潰れず、指を差し込めばほどける余地を残した。
「荷を奪いに行く者は、帰りにほどける結びを選ばない。向こうで検める者も知っている」
「昔の話が通じる保証は」
「ない。だからイェルが乗る」
荷台の端に座っていたイェルが、傷んだ踵へ布を巻きながら顔を上げた。
「私が住民の案内人になる。鐘割れ棚から、各人が行き先を選べる場所まで同行する。荷には武器を載せない」
検査役は木札へ書きかけて、筆を止めた。
「各人、というのは何人だ」
「四日前に百四十八」
「王国兵は」
「人数を分けて数えていない」
「旧魔王軍は」
「同じだ」
検査役は筆を置いた。
「なら、なおさら受け入れ地が要る。停戦初日に、素性も分からん百四十八人を西門前へ置けば、救援隊より先に軍が出る」
「門内へ入れろとは言っていない」
「門外なら誰の責任にもならない、とでも?」
マレクは答えられなかった。
百四十八人を連れ戻すと決めたとき、頭にあったのは西門の内側だけだった。屋根があり、水があり、敵の術が届かない。そのどれも、ここへ来たくない者の行き先にはならない。
「日が落ちるまで待って」
声を挟んだのはエルナだった。
妻は両手に木札を抱え、荷捌き場を横切ってきた。袖に小麦粉がつき、髪へ藁屑が絡んでいる。
「西門外の旧放牧地を、一晩の受け入れ場所にします。井戸は二つ。片方は飲み水、片方は洗い物だけ。王国内へ入る人は、南倉へ二十六人、染物組合の作業場へ十八人まで」
「残り百人余りは」
「一晩で行き先を聞く。そのための場所です。東へ戻る人には、イェルが向こうの受け入れを確かめる。動かせない人が多ければ、放牧地へ天幕を足す」
「食事は」
「百六十食を二日分。七軒から、麦一袋、鍋一つ、薪二束まで決めて借ります」
「病人が出たら」
「古い洗濯場を隔てます。治療はセナが引き継ぐ。町医者には今、使いを出しています」
検査役は木札を受け取った。
「善意の口約束では通せない」
「組合の貸付印があります」
エルナが一番下の札を裏返す。赤い封蝋を見て、検査役の眉が寄った。
「こんな日に、よく組合が押したな」
「押すだけの物を置きました」
それ以上は言わなかった。
検査役が詰所へ戻ると、マレクはエルナを倉の陰へ呼んだ。
「何を置いた」
「冬の仕入れ」
エルナは残った札を一枚渡した。小麦、豆、薪、油。雪の季節に店を開けるため、春から少しずつ押さえてきた品の名が並んでいる。
その下に、もう一つあった。
家屋一棟。
マレクは札から目を上げた。
「家まで要らない」
「あの日、三台目を要らないと思った?」
「帰ってこなければ、取り上げられる」
「帰ってきても、返せなければ同じよ」
エルナは札を奪い返さなかった。
「百四十八人を運んで、門の外へ置くつもりだったでしょう」
「まず生きて着けば」
「着いた翌朝も、生きているの」
倉の外で、トーマが木槌を落とした。謝る声と、拾う音がする。
マレクは冬の品書きを畳めなかった。家屋一棟の四文字の上で、親指が止まっていた。
「怖くないのか」
ようやく出たのは、それだけだった。
「怖いわ」
エルナは即答した。
「数えている間は、泣かなくて済むだけ」
マレクの手から札を取り、二つに折った。
「だから行って。明日の麦と寝床は、私が切らさない」
夜半の一つ前の鐘が鳴るころ、三人は門の詰所へ呼ばれた。
西門守備隊長のバルクは、腰の剣を机へ外していた。停戦発効後、どこからが武装越境になるのか、軍の側にもまだ答えがない。
「白結びの荷車三台。救援者は御者兼隊商主マレク、治療師セナ、車大工トーマ、案内人イェル。四人とも境界から先では武器を持たない。目的は、勇者サラの収容」
バルクが読み上げると、イェルの椅子が床を擦った。
「その目的なら、私は案内しない」
「では、何のためにここまで来た」
「鐘割れ棚には百四十八人いる。サラ一人を連れ出せば、歩けない二十六人を誰が運ぶ。あの人は自分の怪我より、そちらを先に書いた」
「王国が旧魔王領の民まで引き受ける約束はない」
「引き受けろとは言っていない。行き先を選べる場所まで運ぶ」
隊長はマレクを見た。
娘だけなら、一台で足りる。道が狭ければ馬を外し、背負ってでも帰れる。残り二台を空にすれば速く動ける。
けれどサラ一人のために空けた一台目を見れば、娘がそこへ乗らないことだけは分かった。
「目的を変える」
マレクは言った。
「鐘割れ棚にいる全員へ、移動の手段を届ける。王国内へ入れるとは約束しない。東へ戻る道も塞がない。最初の受け入れ地は西門外の放牧地だ」
「責任者は」
「道中は俺。到着後はエルナ・ローデン。医療判断はセナ。道はイェルが決める」
イェルが横目でこちらを見た。
バルクは窓の外の三台へ目をやった。武装隊を出せば停戦を壊しかねない。何もしなければ、生き残った者を地割れへ置く。
「許可ではない」
隊長は言った。
「軍は護衛も救援も出せない。明日、夜明けに門を一度だけ開ける。四人、馬三頭、荷車三台。境界で停戦代表の検査を受けろ。戻ったとき、白結びが見えても、門前で全員を確認する」
「それでいい」
「戻らなければ、こちらから捜しには行けない」
「分かっている」
バルクは目的欄の「勇者サラ」を横線で消した。
鐘割れ棚生存者、と書き直す。
許可証は渡されなかった。隊長が自分で外へ出て、三つの結び目を一つずつ引いた。
詰所を出ると、西門の夜番が交代していた。
「六時間です」
荷車の下から、トーマの声がした。
「何がだ」
「出発まで。歩けない人が二十六人なら、三台とも段を低くしないと交代のたびに人手を取られます。黒縄車の横木も替えたい」
マレクは上着を脱いだ。
「先に段を落とす。横木はそのあとだ」
「積む物は?」
倉には、持っていきたい物が山になっていた。
三台に入る物は、その半分もなかった。




