四十分
黒縄車の天幕は、雨を防ぐ前に、五人を車から出す布へ変わった。
返し尾根の切れ目を越えても、白峡の本谷はまだ先にある。二台の車を入れれば引き返せない入口の黒岩で、トーマは列を止めてもらった。
トーマは縫い目を選んで小刀を入れた。大きな一枚を無理に裂かず、もともとの五幅をセナが端からほどく。雨返しの厚い部分を残し、二本の長い帯を縫い付けた。
黒縄車の患者は、まだ荷台にいる。
「ナシュ。身体の下へ布を通す。右、左の順で少し浮かせる。嫌なら止める」
セナが言う。ナシュは左脚を曲げようとし、途中でやめた。
「止めなくていい。先に右」
敷布の下へ巻いた天幕を細く差し入れる。二人が肩と腰を支え、反対側でトーマが引いた。布の端が傷へ触れていないか、セナがナシュの声を待つ。
一人目。二人目は背を浮かせると息が乱れた。布を半分まで戻し、丸めた外套を胸の前へ抱かせてからやり直す。
五人目の下へ通し終えた時、天幕は屋根でなくなっていた。
トーマが五枚の帯を荷台の梁へ仮止めする。
「車が使える間は、このまま。降ろす時は、帯の両側へ一人ずつ」
「持つのは十人」
ドムが後ろへ声を掛ける前に、昨夜の予備十七人から十人が出た。二人一組で帯の輪へ腕を通し、患者を指一本ぶんだけ荷台から浮かせる。高さが揃わない組を、セナが入れ替えた。
「私たちの車は、まだ走る」
ナシュが言った。
トーマは右車輪の白い印を見た。
「走るうちに、降りる練習をします」
黒縄車の空樽は荷台の後ろへ横倒しにした。油差し、小槌、木の楔、革継ぎ、錐だけを共同工具箱から出し、食料が減ったバロの荷鞍へ炭線を越えずに収める。
長い鉄梃、車体を持ち上げる鉄台、大槌、予備の輪金は黒縄車へ残した。
「壊れたら要る」
マレクが鉄台へ触れる。
「全部持てば、バロが先に壊れます」
トーマは小槌を一度持ち上げた。
「これで直らない壊れ方なら、車を置きます」
父の指が鉄台から離れた。
午前七時前、列がまた動いた。
サラは三列目へ戻らず、後方の伝言板を見た。黒縄樽は空。赤縄二樽、桶六、革袋四。白峡通過百五十。負傷追加なし。
空いた欄が二つある。
「最後尾の脈を見てくる」
サラが板を取ろうとすると、キリの左手が先に持ち上げた。右肩は吊られている。
「最後尾は、ヴェスと巡回が見ています」
「東返し枝の印は」
イェルが、三つの黒石を青札へ写していた。
「私が戻る。トーマも一緒」
「患者の交換は」
セナは返事をせず、黒縄車の五枚目を指した。
試し上げを終えた二人が下がり、次の二人が布の輪へ入る。サラが聞く前から、交代は始まっていた。
ドムの列縄が、前の黒岩で動く。
オナの水札には、次の配水場所が書かれている。
後方にはヴェスと巡回、次区間にはイェルとトーマがいる。キリの声が前後をつなぎ、ドムの列縄とオナの水が動いていた。サラの名を待っている欄は一つもない。
右の肋が浅い呼吸にも擦れた。セイの肩を借りれば、後ろへ行ける。すでに見られているものを、もう一度見るために。
黒岩のくぼみに、医療用の毛布が一枚敷かれていた。列が通る間だけ使う休止所だった。
サラは脈針を伝言板へ掛けた。
「四十分、眠ります」
セナが顔を上げる。
「何時まで」
「七時四十分。最後尾がここを出る前に起きる。起きても呼吸が戻らなければ、次の四十分はセナが決めて」
「今の四十分は」
「私が決めた」
セナは毛布を二つ折りにし、右の肋が下にならない高さへ置いた。
フィアと母親が、休止所の前を通る。
ドムは二人を前の支え歩行へ入れようとしていた。フィアが母の手を引き、後ろの短い列縄へ移った。
「あっちは速い」
「熱があるのはお前だ」
「お母さんの足が遅い」
母親が何か言う前に、フィアは後ろの縄を握った。
ドムは二人の名札を同じ結び目へ移した。サラの方は見なかった。
サラは横になった。地面の冷たさが毛布を抜けてくる。眠れないと思った。
足音を数え始め、二十七までで一度途切れた。次に目を開けた時、黒岩へ差す光の向きが変わっていた。
「あと二分」
セナの声がしても、サラは起き上がらなかった。
二分の間に、担架が一組通った。前の担ぎ手は出発時と違う。黒縄車の患者を試し上げした十人は、車の前後に決めた待機位置へ戻っている。
七時四十分。左手を突いて座ると、伝言板には何も残っていなかった。
白峡の異議札はイェルの袋へ収まり、返事待ちだった三件には別の筆で時刻が入っている。水札の丸は減り、交代を終えた担ぎ手の紐は裏返っていた。
列は、サラが眠った場所を中心に止まってはいなかった。
「息」
セナが言う。
サラは深く吸おうとせず、四つに分けて吸った。痛みはある。眠る前より、胸の奥まで空気が入る。
「歩けます」
「誰と」
「セイと。三列目へ追いつかない。ここから入れる列へ入る」
セナは伴歩札へ時刻を書いた。
サラが立つと、黒縄車の五人が荷台を叩いた。全員の音が返る。
クロは空樽の匂いを嗅ぎ、鼻を鳴らした。御者が綱を短くしなかったので、自分から列へ戻る。
午前八時を過ぎても、脈針の震えと舌の鉄味は消えていない。
次に来たのは、風ではなかった。
黒岩の上へ、白い粉がまっすぐ落ちた。
サラは左の掌で受けた。石粉は熱を持たず、濡れてもいない。空を見上げても、崖から落ちた跡がない。
「三番目」
イェルが言った。
キリが復唱する。
「脈針。鉄味。石粉。まだ金属音なし」
その四つを同じ順で、前と後ろへ運ぶ。
ヴェスは返し尾根の方角を見た。白い切れ目の上だけ、青い光が朝の色に混じっている。
「膜を張った場所から来てる」
「分かってる」
サラは言った。
ヴェスは責めも慰めもせず、石切り鉄を鞘ごと抜いた。黒岩へ当て、響きを聞く。
「まだ渡れる。黒瀬井まで、黒を外すな」
九時前、列は長い白地の手前で止まった。
中央に黒岩が三つある。赤縄車まで入れれば、次の群を待たせられる。傷んだ黒縄車は入口の黒岩で、トーマが右輪を見ていた。
サラは後ろの列にいる。マレクは先頭へ行かず、トーマのそばで運ばれる五人の名を読み直した。
ヴェスが白地へ一歩入り、石切り鉄を黒い割れ目へ差す。
石粉が、今度は地面から浮いた。
九時十分。
動いていない黒縄車の右輪が、ひとりでに一度鳴った。




