表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/26

四十分

黒縄車の天幕は、雨を防ぐ前に、五人を車から出す布へ変わった。


返し尾根の切れ目を越えても、白峡の本谷はまだ先にある。二台の車を入れれば引き返せない入口の黒岩で、トーマは列を止めてもらった。


トーマは縫い目を選んで小刀を入れた。大きな一枚を無理に裂かず、もともとの五幅をセナが端からほどく。雨返しの厚い部分を残し、二本の長い帯を縫い付けた。


黒縄車の患者は、まだ荷台にいる。


「ナシュ。身体の下へ布を通す。右、左の順で少し浮かせる。嫌なら止める」


セナが言う。ナシュは左脚を曲げようとし、途中でやめた。


「止めなくていい。先に右」


敷布の下へ巻いた天幕を細く差し入れる。二人が肩と腰を支え、反対側でトーマが引いた。布の端が傷へ触れていないか、セナがナシュの声を待つ。


一人目。二人目は背を浮かせると息が乱れた。布を半分まで戻し、丸めた外套を胸の前へ抱かせてからやり直す。


五人目の下へ通し終えた時、天幕は屋根でなくなっていた。


トーマが五枚の帯を荷台の梁へ仮止めする。


「車が使える間は、このまま。降ろす時は、帯の両側へ一人ずつ」


「持つのは十人」


ドムが後ろへ声を掛ける前に、昨夜の予備十七人から十人が出た。二人一組で帯の輪へ腕を通し、患者を指一本ぶんだけ荷台から浮かせる。高さが揃わない組を、セナが入れ替えた。


「私たちの車は、まだ走る」


ナシュが言った。


トーマは右車輪の白い印を見た。


「走るうちに、降りる練習をします」


黒縄車の空樽は荷台の後ろへ横倒しにした。油差し、小槌、木の楔、革継ぎ、錐だけを共同工具箱から出し、食料が減ったバロの荷鞍へ炭線を越えずに収める。


長い鉄梃、車体を持ち上げる鉄台、大槌、予備の輪金は黒縄車へ残した。


「壊れたら要る」


マレクが鉄台へ触れる。


「全部持てば、バロが先に壊れます」


トーマは小槌を一度持ち上げた。


「これで直らない壊れ方なら、車を置きます」


父の指が鉄台から離れた。


午前七時前、列がまた動いた。


サラは三列目へ戻らず、後方の伝言板を見た。黒縄樽は空。赤縄二樽、桶六、革袋四。白峡通過百五十。負傷追加なし。


空いた欄が二つある。


「最後尾の脈を見てくる」


サラが板を取ろうとすると、キリの左手が先に持ち上げた。右肩は吊られている。


「最後尾は、ヴェスと巡回が見ています」


「東返し枝の印は」


イェルが、三つの黒石を青札へ写していた。


「私が戻る。トーマも一緒」


「患者の交換は」


セナは返事をせず、黒縄車の五枚目を指した。


試し上げを終えた二人が下がり、次の二人が布の輪へ入る。サラが聞く前から、交代は始まっていた。


ドムの列縄が、前の黒岩で動く。


オナの水札には、次の配水場所が書かれている。


後方にはヴェスと巡回、次区間にはイェルとトーマがいる。キリの声が前後をつなぎ、ドムの列縄とオナの水が動いていた。サラの名を待っている欄は一つもない。


右の肋が浅い呼吸にも擦れた。セイの肩を借りれば、後ろへ行ける。すでに見られているものを、もう一度見るために。


黒岩のくぼみに、医療用の毛布が一枚敷かれていた。列が通る間だけ使う休止所だった。


サラは脈針を伝言板へ掛けた。


「四十分、眠ります」


セナが顔を上げる。


「何時まで」


「七時四十分。最後尾がここを出る前に起きる。起きても呼吸が戻らなければ、次の四十分はセナが決めて」


「今の四十分は」


「私が決めた」


セナは毛布を二つ折りにし、右の肋が下にならない高さへ置いた。


フィアと母親が、休止所の前を通る。


ドムは二人を前の支え歩行へ入れようとしていた。フィアが母の手を引き、後ろの短い列縄へ移った。


「あっちは速い」


「熱があるのはお前だ」


「お母さんの足が遅い」


母親が何か言う前に、フィアは後ろの縄を握った。


ドムは二人の名札を同じ結び目へ移した。サラの方は見なかった。


サラは横になった。地面の冷たさが毛布を抜けてくる。眠れないと思った。


足音を数え始め、二十七までで一度途切れた。次に目を開けた時、黒岩へ差す光の向きが変わっていた。


「あと二分」


セナの声がしても、サラは起き上がらなかった。


二分の間に、担架が一組通った。前の担ぎ手は出発時と違う。黒縄車の患者を試し上げした十人は、車の前後に決めた待機位置へ戻っている。


七時四十分。左手を突いて座ると、伝言板には何も残っていなかった。


白峡の異議札はイェルの袋へ収まり、返事待ちだった三件には別の筆で時刻が入っている。水札の丸は減り、交代を終えた担ぎ手の紐は裏返っていた。


列は、サラが眠った場所を中心に止まってはいなかった。


「息」


セナが言う。


サラは深く吸おうとせず、四つに分けて吸った。痛みはある。眠る前より、胸の奥まで空気が入る。


「歩けます」


「誰と」


「セイと。三列目へ追いつかない。ここから入れる列へ入る」


セナは伴歩札へ時刻を書いた。


サラが立つと、黒縄車の五人が荷台を叩いた。全員の音が返る。


クロは空樽の匂いを嗅ぎ、鼻を鳴らした。御者が綱を短くしなかったので、自分から列へ戻る。


午前八時を過ぎても、脈針の震えと舌の鉄味は消えていない。


次に来たのは、風ではなかった。


黒岩の上へ、白い粉がまっすぐ落ちた。


サラは左の掌で受けた。石粉は熱を持たず、濡れてもいない。空を見上げても、崖から落ちた跡がない。


「三番目」


イェルが言った。


キリが復唱する。


「脈針。鉄味。石粉。まだ金属音なし」


その四つを同じ順で、前と後ろへ運ぶ。


ヴェスは返し尾根の方角を見た。白い切れ目の上だけ、青い光が朝の色に混じっている。


「膜を張った場所から来てる」


「分かってる」


サラは言った。


ヴェスは責めも慰めもせず、石切り鉄を鞘ごと抜いた。黒岩へ当て、響きを聞く。


「まだ渡れる。黒瀬井まで、黒を外すな」


九時前、列は長い白地の手前で止まった。


中央に黒岩が三つある。赤縄車まで入れれば、次の群を待たせられる。傷んだ黒縄車は入口の黒岩で、トーマが右輪を見ていた。


サラは後ろの列にいる。マレクは先頭へ行かず、トーマのそばで運ばれる五人の名を読み直した。


ヴェスが白地へ一歩入り、石切り鉄を黒い割れ目へ差す。


石粉が、今度は地面から浮いた。


九時十分。


動いていない黒縄車の右輪が、ひとりでに一度鳴った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ