守ると増える
夜明け食の湯気の向こうで、道が二本に分かれていた。白峡直道と、返し尾根。
まだ空が黒いうちから、ヴェスは二枚の石札を火の届かない場所へ置いていた。イェルの青い札が返し尾根に重なり、その下に、東へ帰ることを望む二十九人の白札が並ぶ。
サラが受け取った椀は、昨夜より水気の少ない麦粥だった。オナは灰封へ手を伸ばさず、通常食だけを百五十に分けている。
「灰色は」
「十五。まだ路上食」
オナは空になった束を裏返した。
「今ので百五十。残りは普通が七十五、灰が十五。食べ終わった人から、黒縄の樽へ」
黒縄車の百リットル樽は封を切ってある。粥と薬湯に十、人へ半リットルずつ計七十五、三頭の馬へ五ずつ。白峡へ入る前に使い切る。
オナはその順だけを告げ、誰かに水を譲るかとは聞かなかった。
サラが椀を返すと、マレクは二枚の道札の前にいた。手には地図も荷重縄もない。
「直道なら、どれだけ早い」
父が問う。イェルは指の幅で答えなかった。
「一・二キロ短い。西へ抜けるだけなら、たぶん早い。ただ、大反潮のあとで東返し枝へつながるかは見ていない」
「返し尾根なら」
「黒い石の並びが枝まで逆にたどれる」
ヴェスが、白札の端へ鑿の先を置いた。
「地面が割れても、黒い方を拾える。こいつらが東へ戻る道になる」
二十九枚には畑、井戸、墓、焼けた家、石切り鑿の印があり、何も描かず名だけを刻んだものもある。
「返し尾根で行く」
ヴェスが言った。
イェルが青札を拾う。道を選ぶ二人の胸には、昨夜渡された石の印がある。
マレクは直道の札をどけなかった。反対案として残し、その横へ黒鈴窪の札も置いた。
「残るなら、最短の波まで三時間半」
サラが言うと、ヴェスが首を横へ振った。
「それもあんたが消すな。残ると言う者がいれば、危険を聞いて自分で決める」
サラは頷いた。
返し尾根の白い切れ目は、一度に十九人しか置けない。
夜の冷えで上部の白石が浮き、人が通る振動で落ちるかもしれない。ヴェスは先頭を十九人ずつに分け、崩れかけた肩の前だけ歩幅を詰めずに渡す案を出した。
サラは脈針を白石へ当てた。
針先が布越しに指へ返る。大きな波ではない。だが、十九人が切れ目へ入る間に一度、石の肩が動く。
「最初の一群へ、防護膜を使えます」
周りの声が止まった。
「落ちる石は止められる。ただし、止めた力は消えません。地脈へ返って、近くの鉄へ寄る。あとで青火が早く、濃くなる可能性がある」
ドムが列縄を握った。
「使わなければ」
「ヴェスが静まる間を読む。十九人は一人ずつ渡れる。でも、途中で肩が落ちたら、切れ目の中に逃げる黒岩がない」
「直道へ変えれば」
イェルが答えた。
「東返し枝を残せるか分からない。二十九人が、その条件なら本隊へ入らないと言っている」
「ここへ残るなら」
「波が来る前に別の窪へ移せる保証はない」
キリが三つの案を十二班へ運んだ。返し尾根を膜なしで渡る。一群だけ膜を使う。直道へ替えるか、黒鈴窪へ残る。
サラが原因を作った術でさらに流れを動かすことへ四班、十九人を先に守る順へ三班が反対した。東へ戻らない者まで遠回りさせるのかという札も、道札と同じ袋へ残った。
ドムは最初の十九人を、所属で選ばなかった。白い切れ目で立ち止まれない者、歩幅を急に変えられない者を先にした。フィアと母、支え歩行の者、担架の前後を受け持つ者が入る。サラの名は、その十九枚から外された。
「膜を使えば、後ろの青火が増える」
ドムが十九人へ、もう一度言った。
フィアの母は娘へ顔を寄せた。代わりに答えず、待つ。
フィアは毛布の端を握ったまま、返し尾根の札を指した。
「お母さんと、こっち」
声は熱で掠れていた。
母親の指が、同じ札へ重なる。
十九人は名を呼ばれて返事をし、文字を書けない者は選んだ石へ触れた。
午前四時半。
ヴェスが返し尾根へ足を置いた。
最初の十九人が白い切れ目の手前で止まり、車と残りの列は三つの黒岩に分かれて待った。
サラは右腕を帯の中へ押し込んだ。左手だけで脈針を持ち、切れ目の両端へ細い線を引く。
「走らないで。前の人が止まっても、追いつかない」
ドムが名を一人ずつ呼んだ。フィアと母親。ベルクの橇を引く二人。麻布担架の前と後ろ。
十九人の足が白い石へ入る。十人目で、崖の肩が沈んだ。音より先に、小石が一つ、フィアの毛布へ落ちた。
サラは膜を閉じた。
透明な壁は見えない。ただ、落ちてきた白石が、人の頭の高さで横へ滑った。空中で砕けず、切れ目の外へ押し出され、谷へ消える。
右の肋が内側から引かれた。
息を吐いても戻らない。
「十五」
ドムの声。
「十六。ソナ、前を見ろ。十七」
膜の縁が白石へ食い込むたび、サラの固定帯が胸を締めた。右腕の奥で、濡れた糸を捻るような痛みが走る。
「十八。十九」
最後の踵が黒岩へ乗り、サラは膜を解いた。
止められていた石が、一度に落ちた。人のいない切れ目を白い粉が流れ、ヴェスの足元で止まる。
十九人に傷はない。
フィアの母が娘の頭を撫でかけ、途中で手を止める。フィアは自分で毛布を払い、母親の袖を掴んだ。
ヴェスは崖の肩へ耳を近づけた。
「次は一人ずつ。鳴ったら戻れ」
残る群は膜を使わなかった。黒石の合図に合わせ、人と担架が切れ目を越える。赤縄車はトーマが左輪を見て通し、傷んだ黒縄車は若い馬を急かさず最後の群の前へ入れた。
サラは列順へ口を出さず、セイの肩を借りて白い切れ目を渡った。
向こう側でマレクが待っていた。手を伸ばしかけ、サラの左にセイがいるのを見ると、下ろした。
「肋は」
「悪くした」
「戻れるか」
「戻らない。セナのところへ行く」
父は頷いた。大丈夫かとは言わなかった。
午前六時二十八分、最後尾が返し尾根の黒岩へ乗った。
オナは空になった黒縄樽の底を見せた。粥と薬湯に十、人に七十五、馬に十五。残る水は赤縄車の二樽に二百、六桶に百八、四革袋に四十八、計三百五十六リットル。患者が乗る短橇へ樽は移していない。
「空樽は、まだ車へ」
トーマが蓋を締める。
「白峡を抜けるまでは、外さない」
サラは脈針を取り出した。
膜を使う前より、震えが細かい。
指へ来たのが先だった。
そのあとで、舌の奥に鉄の味がした。




