第8話 いつもの場所
ロイの身元が判明してから二日が経った。
リオンはシビルに最低限の調査だけを命じていた。
レックスに潰された組織の構成員を、その後どこかで見た者はいないか。最近になって人をまとめて運んだという話や、闇医者、臓器売買に関する妙な噂が増えていないか。
ただし、レックスの縄張りには深入りせず、外から拾える話だけに留める。それが絶対の条件だった。
シビルは不満そうにしたものの、今回は珍しく指示に従った。
いくつかの酒場や闇商人、街道沿いの荷運び屋まで当たったらしいが、今のところ新しい情報はない。レックスが潰した組織の生き残りを見たという話もなく、人を運んでいるという噂についても、スラムでは珍しくもない程度のものしか出てこない。
「臓器売買の話は聞くけど、どれも昔からある話ばっかりだね。借金の代わりに売ったとか、死体から抜いたとか。今回と繋がりそうなのは今のところなし」
その日の朝も、シビルはそんな報告をするためにアジトに顔を出していた。
「わかった。引き続き頼む。ただ、無理に見つけようとすんなよ」
「んー……。南側から怪しい雰囲気あるんだけどな~」
手を頭の後ろに組み、ちらちらと様子を窺うシビルに、リオンは首を横に振った。
「ダメだ。今以上に範囲を広げんな」
「も~! いつまでこんなじれったいことしてるのさ! もっと踏み込もうよ! 掘り起こせば絶対になんか出て来るのに!」
「無理に危ない橋を渡る必要はねえ。いいな、シビル」
「わ~かったよ! 今の範囲で調べればいいんでしょ! リオンのビビり!」
そう言って窓から消えていったシビルを見送り、ブラッドが呆れたように息を吐いたのが数時間前のこと。
午後、リオンはブラッドと共に縄張りの南側を歩いていた。
リオンが暇になった時にする気分転換。自分の縄張りを自由気ままに歩き回る、散歩のようなものだ。すれ違う住民と世間話をすることもあれば、喧嘩している現場に居合わせ間に入ることもある。
そんなことを数年、続けているものだから、ここらの地理や住民はほとんど頭の中に入っていた。
角を曲がれば何の店があるか。どの時間になれば誰が酒場の前に座っているか。子供たちがどこで遊び、夕方になるとどの路地から煮炊きの匂いが流れてくるか。
だから、その場所に差しかかった時、リオンは自然と歩みを緩めた。
いつもなら肉の焼ける匂いがする。
古びた鉄板の上で串に刺した肉を焼きながら、通りを歩く人間に頼まれてもいない世間話を投げつける老婆。値段は安く、使っている肉も上等とは言えない。
それでも香辛料の使い方だけは妙に上手く、昼を過ぎれば近所の職人や子供が何人か店先に集まっている。
リオンも通りがかれば一言、二言、言葉を交わして串を一本買うのが日常になっていた。
だが、今日はその姿がなかった。
何も置かれていない屋台の骨組みだけが残っている。
「今日も休みですね」
隣でそう言うブラッドの言葉に、リオンの足が止まった。
「昨日もか?」
「昨日はここを通ってないですけど、一昨日も閉まってました」
「一昨日も?」
老婆が店を休むこと自体はおかしくない。年齢を考えれば体調を崩すこともあるし、雨が酷い日や仕入れができなかった日に店を開けなかったことも過去にはあった。
ただ、何日も続けて姿を見せないことは珍しいことだ。
リオンが騎士団を辞め、このスラムに来た時には、すでに老婆はここで串焼きを売っていた。それ以前からいたらしいので、正確に何年になるかはリオンも知らない。特別親しくしているわけではなかったし、毎日顔を合わせるわけでもない。
それでも、同じ場所で長く暮らしていれば、嫌でも相手のことは多少知る。
「最近、具合悪いって話あったか?」
「聞いてませんね。むしろ、この前は向こうの酒場の親父と取っ組み合いの喧嘩してました」
「元気じゃねえか」
「うちの若いのよりよっぽど元気で荒いですよ」
「なるほどな……」
リオンは店先を見つめた後。
「ちょっと聞いて回るか」
隣の雑貨屋へ入り、店番をしていた中年の女に声を掛ける。
「よぉ。元気してるか」
「あらリオンさん。あたしは元気だよ。どうしたの? うちに来るなんて珍しい」
「隣の婆さん、ここのところ店に立ってねえらしいじゃねえか」
「あぁ、そうだねえ。三日前には見かけたけど」
「なんか言ってたか?」
「いつも通りだったよ。肉がまた高くなったって文句言ってたくらいさ」
「次の日休むとか、どっか行くとか言ってなかったか?」
「聞いてないね。むしろ明日の分も仕込まなきゃって言ってたよ」
「……そうか。邪魔したな」
リオンはそれ以上聞かずに店を出た。
反対側の露店でも、少し先の酒場でも話は似たようなものだった。最後に見たのは三日前。夕方までは普通に商売をしており、体調が悪そうだったという証言もない。どこかへ出掛けるという話を聞いた者もいない。
ブラッドが残された出店の骨組みを見る。
「店畳んでどこかへ行ったんですかね?」
「あの婆さんが何も言わずにどっか行くかよ」
「そう、ですね。絶対に騒ぎます。なんならボスを呼びますよ」
「間違いねえ」
リオンは微かに目を細めてから口を開く。
「家行くぞ」
老婆の住居は店からそれほど離れていない。
大通りから二本入った路地に建つ、小さな平屋。以前、屋根から雨漏りした時にブラッドたちが修理したことがあり、二人とも場所は知っている。
「婆さん。いるか」
扉を叩きながら呼びかけるも、返事はない。
迷わず扉に手を掛けたが、鍵は掛かっているようだ。
「ブラッド、開けろ」
「いいんですか?」
無言で扉を見つめるリオンに、ブラッドが取っ手を掴み、力を込めて引いた。木製の扉はどこかの部品が割れた鈍い音を響かせて、勢いよく開く。
室内は静かだった。
家具は所定の場所に置かれ、棚には食器が並んでいる。寝台も整えられており、部屋の隅には何着かの衣服が掛かったままだ。
「何もなさそうですね」
「見りゃ分かる」
リオンは返しながら、部屋の中を一つずつ確認していった。
高価な物など元からほとんどない。ただ、小さな箱に入れられた硬貨は残っている。衣服も大半がそのまま。旅行用の鞄らしい物は壁際に置かれ、埃を被っていた。
「ブラッド。婆さんが遠出する時、なに持ってくと思う」
「服と金くらいは持っていくでしょうね」
「どっちも残ってる」
リオンは台所に移り、そこで足を止める。
本来ならそこには、串焼き屋で使う道具の一部が置かれているはずだった。リオン自身も以前、店を閉める老婆が鉄板や炭袋をここへ運び込んでいるのを見たことがある。
腰が痛いから手伝えと、無理やり連れてこられた時だ。
だが今は、何もない。
「ブラッド。焼き台、普段どこに置いてたか覚えてるか?」
質問の意味を察したのだろう、ブラッドの表情が引き締まる。
「こっちです」
部屋の奥にある物置へ向かう。扉を開けると、そこには空いた場所が広く残っていた。床には重い物を長く置いていた痕跡が残っている。
そこに、焼き台はない。
鉄串をまとめて入れていた木箱も、炭袋も、肉を運ぶために使っていた箱も見当たらなかった。
「店の道具、全然ないですね」
「かといって店に置きっぱなしにはなってなかった。あの婆さんは毎晩ここまで道具を持って帰ってるはずだ」
リオンは答えず、物置を見渡した。
しばらくして、もう一度家全体に視線を向ける。
服も金も残っている。遠出する準備をした形跡はない。それなのに、老婆本人と、毎晩持ち帰っていたはずの商売道具だけが見当たらない。
自分の意思で街を出たにしては、妙だった。
リオンの目から、先ほどまで残っていた僅かな迷いが消えた。
「……ブラッド。シビルを呼べ」
「今すぐですか?」
「急がせろ」
何かを察したブラッドは、それ以上聞かなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「なになに? 今度は何があったの? レックス? それとも昨日の――」
窓から入ってきたシビルの声が途中で止まった。
婆さんの家にはまだリオンが残っていた。ブラッドは外で近所の人間に余計な話を広げないよう伝え、シビルだけを連れてくるよう指示している。
普段なら勝手に部屋の中を歩き回る女が、今日は窓枠から降りたところで動きを止めた。
リオンの顔。
開け放たれた物置。
生活用品だけが残っている室内。
それらを一度見渡し、シビルの表情から軽さが消える。
「……いなくなったの?」
「まだわからねえ。だから呼んだ」
シビルが目を見開く。
彼女も当然、串焼きの婆さんを知っている。
「いつから?」
「最後に確認できたのは三日前の夕方。次の日も店を開けるつもりだったらしい。遠出するって話は誰も聞いてねえし、金も服も残ってる。ただ、婆さん本人と店道具だけがない」
シビルはもう余計な相槌を打たなかった。
物置に入り、床に残った痕を確認する。窓、裏口、台所、金の入った箱まで一通り見ると、最後に玄関前にしゃがみ込み、土の状態を指先で確かめた。
「昨日、雨降ってたし。これじゃあ外の足跡はほとんど使えないか」
独り言のように呟いたあと、立ち上がる。
その頃にはもう、いつもの落ち着きなく動き回るシビルはいなかった。
「最後に見た人から当たる。隣の店、肉屋、炭屋、常連。それから三日前の夜にこの通りを通った人。店道具を運ぶなら荷車を使った可能性が高いから、荷運び屋にも聞く。婆ちゃんが借金してなかったか、誰かと揉めてなかったかも確認する。それでいい?」
「お前に任せる。とにかく婆さんの事情を探れ」
「もしレックス関係の話に繋がったら?」
リオンはその問いに身動き一つとらない。
「繋がる話が出たら拾え。ただ、動く前に俺に報告しろ」
「わかった。すぐ動く」
返事は短かった。
シビルは来た時と同じ窓に向かい、途中で一度だけ振り返る。
「リオン」
「なんだ」
「見つけるよ」
軽い調子でも、慰めるような声でもなかった。
ただ仕事として、当然のことを言っただけだった。
「任せるぞ、シビル」
リオンが答えると、シビルは窓から姿を消した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
報告が集まり始めたのは夕方だった。
リオンはアジトの一室に簡単な地図を広げ、ブラッドと共にシビルを待っていた。昼間から何度か構成員が情報を持ち込んできたが、有力なものはない。老婆を最後に見たという証言も、三日前の夕方から先に進まなかった。
日が沈みかけた頃、扉が開いた。シビルは部屋に入るなり椅子に座ることもせず、持っていた紙束を地図の横に置く。
「変だよ」
「報告しろ」
「婆ちゃんが自分からいなくなる理由はほぼ見つからなかった。借金なし。最近揉めてた相手もなし。体調も悪くなかったし、遠くへ行く予定もない。肉屋には次の日の分を注文してるし、炭も買ってる」
「いつもと何も変わりなかったってことか」
「うん。肉屋のおじさんなんて、『明日はもう少し脂身少ないところ寄越せ』って文句言われたって」
「最後の目撃は?」
「三日前の夜、店を閉めてるところ見たって人がいる。その後の目撃情報はなかった」
シビルはそこまで報告し、少し黙った。
「それとね。……前に調べた人たちと、消え方が似てる」
ブラッドの表情が僅かに険しくなる。
「突然いなくなる。その直前まで普通に暮らしてる。逃げる準備も、誰かと揉めた形跡もない。周りから見ればある日いきなり姿がなくなっただけ。そこは同じ」
シビルが以前調べた失踪者たちも、似たような消え方をしていた。
ただし、決定的に違うところもある。
リオンは紙の上に並んだ簡単な人物情報を見ながら、それに気づいた。
「婆さんは目立ちすぎる」
シビルが顔を上げる。
「そう、それが他の人達と大きく違うの。今まで消えた人たちは、いなくなってもすぐ騒ぎにならないような人ばっかりだった」
一人暮らし。流れ者。犯罪者。家族との繋がりが薄い者。毎日顔を合わせる相手が少なく、数日姿を見せなくても誰も不自然に思わない人間。
ロイもそうだった。
組織そのものが潰れたのだから、消えても死んだと思われるだけだった。
だが、老婆は違う。
独り身という一点だけを見れば似ている。夫はとうの昔に死に、子供もいない。近い親族がいるという話も聞いたことがなく、本人もそれを気にしている様子はなかった。
しかし毎日のように同じ場所で商売をし、道を通る人に声を掛け、客も多い。いなくなれば、遅かれ早かれ誰かが気づく。
「もし同じ奴らが婆さんを消したなら、今までより目立つ相手を選んだことになる」
「今までより雑になってるのかも」
「あるいは、選べなくなってきてるかだ」
「数が必要になったとか?」
「可能性の話だがな」
リオンは結論を急がない。
「今あるのは、婆さんが消えたことと、消え方が他の奴らに似てるってだけだ。他にここらで消えた奴はいたか?」
「それも聞いて回ったけど、特にいなかった」
それを聞き、リオンは椅子に背を預け、しばらく地図を見つめた。
ギルが最初にここへ来た日のことを思い出す。
ギルが最初にここへ来た時、他所の縄張りで人が消えていると聞かされても、リオンは動かなかった。守れる範囲には限界があり、その考えは今でも変わっていない。
だが、状況は変わった。自分がここに来た頃から、同じ場所で肉を焼き続けていた老婆が何も言わずに姿を消したのだ。
「シビル」
地図を見ていた彼女が顔を上げる。
「前に集めた失踪者の情報、全部持ってこい。場所、時間、仕事、家族、最後に誰と会ったか。今度はレックスの縄張りだけで見るな。最初から洗い直せ」
「全部?」
「全部だ」
「わかった。すぐに用意する」
「それとブラッド。南の見回りを増やせ。知らねえ人間だけじゃなく、荷車も見ろ。夜に出入りする奴、何を積んでるか、どっちから来てどっちへ行ったか、出来る範囲で記録させろ。揉め事にならない程度でやれ」
「分かりました」
ブラッドは頷いたあと、少しだけ間を置いた。
「……本格的に調べるんですね」
「ああ」
返事は短かったが、それで十分だった。
昨日までの警戒とは違う。自分たちの縄張りで、人が一人消えた。それを知らないふりをするつもりはなかった。
リオンは地図の上に手を置き、最後にもう一つだけ指示を出した。
「それと、ギルに連絡取れ」
ブラッドとシビルが同時にリオンを見る。
以前、ギルから協力を求められた時、リオンははっきり断っている。
「事情が変わった」
机の上には、これまでリオンが他所の出来事として見ていた失踪者たちの記録がある。そこへ、今度は自分たちの縄張りに住む一人が加わった。
「分かった。連絡してくる」
シビルが紙束をまとめ、部屋を出ようとする。
その背中に、リオンが声を掛けた。
「シビル」
「なに?」
「婆さんは探し続けろ」
一瞬だけ、シビルの表情が柔らかくなった。
「もちろん。絶対に見つけてみせるよ」
今度こそ扉が閉じる。
リオンは遠ざかる足音を聞きながら、地図に視線を戻した。昨日までは、自分の縄張りに何かが近づいているだけだった。
だが、もう違う。
何者かは知らない。何のために人を消しているのかも分からない。それでも、少なくとも一人、こちら側から人が消えた。ならばもう、境界の向こうだけの話ではなかった。




