第6話 かつての上官
エディ・ハルは、リオンがまだ一介の騎士だった頃の上官だ。
当時、リオンはエディが部隊長として率いる部隊に所属し、彼から命令を受け、剣を教わり、ときには何度も叱責されていた。
「部隊長とは、随分懐かしい呼び方をするな。リオン」
「……癖みてえなもんだ」
「なら直した方がいい。今の俺は副団長だ」
エディは自分の胸元を指先で軽く叩いた。
「お前が騎士団を離れている間に、俺も少しは出世した」
「そりゃ失礼しましたね、副団長殿」
「ふっ。可愛げがない奴だ」
「昔からだろ」
「自覚はあったんだな。相変わらずで安心したよ」
エディは小さく笑った。
「で、副団長様がこんな場所まで何の用だ」
「たまたま西区に出ていた。通報を受けた部下と合流しただけだ」
エディの視線が地面に横たえられた男へ移る。
「そいつか」
「見つけた時には生きてたが、ついさっき死んだ」
エディは男のそばにしゃがみ込み、布を捲った。
ヴェロニカが処置したあとが残っている。大きく開いた腹部の傷、裂けた縫合痕、それに石畳に広がった大量の血。それらを一通り見ても、エディの表情に大きな変化はなかった。
「そちらは医者か?」
「ええ。私が診た」
「名前は?」
「ヴェロニカ」
「姓は?」
「いま必要?」
「記録にはな」
「じゃあまた後で来て。まだ調べ終わってないから。そっちが先よ」
その答えに、エディの視線がヴェロニカへ向く。
「死因は?」
「大量出血。腹を一度開かれてるから。縫われて、それが逃げてる途中で開いたみたい」
「調べ終わってないというのは?」
「なんで腹が開かれて、縫われているのか。傷を開かないとわからないわ」
「なら十分だ」
エディは立ち上がると、背後にいる騎士たちへ視線を向けた。
「遺体を運べ」
「待ちなさい」
ヴェロニカがすぐに遮った。
「まだ調べ終わってないって言ったでしょう」
「続きは騎士団の医官が調べる」
「腹の中を確認したいの。傷だけじゃ何をされたか分からない」
「それをこっちでやると言ってる」
「信用できる医者なの?」
「スラムにいる闇医者よりは、よっぽど信用できると思うが?」
エディが淡々と言い切る。
「それに、原因を調べるのは貴様らのすることじゃない。我々のすることだ」
騎士たちが動き出そうとしたところで、今度はリオンが間に入った。
「少し待て」
「今度はなんだ」
「こいつは俺の縄張りで死んだ。せめてヴェロニカが調べ終わるまでは置いてけ」
「人が一人死んでいるのに、なにを悠長なこと言っている」
エディはリオンを真っ直ぐ見た。
「ここは王都だ、お前の縄張りではない。勝手な言い分で死体をお前たちの好きに扱わせるわけにはいかん。騎士団にいたことがあるお前にならわかるだろ?」
エディの口調は変わらない。淡々と、冷静に言葉を続ける。
「昔のよしみでお願いしていたとしても、聞いてやれん言い分だ」
「そんなつもりはねえよ」
「なら問題ないな」
エディの言っていることそのものは間違っていない。
リオンは騎士団を信用しているわけではない。それでも殺人事件の可能性がある遺体を正式に回収するという話に、スラム組織の頭であるリオンが抗えば、今度はこちらが面倒な立場になる。
ヴェロニカが納得していない顔で口を開く。
「少なくとも、縫合の状態くらいは記録しておいて。あれは適当に閉じた傷じゃないわ」
「医官には伝える」
「それと――」
「ヴェロニカ」
リオンが止め、小さく首を振った。
「もういい」
「……そう」
気に入らないのだろう。ヴェロニカは鞄を閉じ、一歩退く。
「運べ。丁寧にな」
改めてエディが命じる。騎士たちは遺体の下に布を通し、担架へ移そうとした。
その途中、男の腕が落ち、捲れた袖の下から上腕が露わになる。
腕には小さな刺青があった。二つの円を重ね、その中央を一本の線が貫いている。装飾として彫ったものにしては単純なものだ。
リオンはブラッドを引き寄せる。
「あの、刺青覚えとけ」
ブラッドが近づき、刺青をしばらく見つめる。
「知ってる印か?」
「いや。見たことはありません」
見ている間に、騎士たちが遺体を担架に載せ、路地の外に向かって運び始める。
その背中を見送りながら、リオンはエディに視線を戻した。
「ちゃんと調べろよ」
「リオンから仕事の心配される日が来るとはな」
「お前の心配してるわけじゃねえ」
リオンは担架に目を向ける。
「誰かに腹を開かれて、縫われて、それでもここまで逃げてきた。何があったかくらいは調べてやれ」
「……言われるまでもない。それが我々の責務だ」
言った後、エディはリオンを見た。
「それよりリオン、余計な真似はするなよ」
エディは路地に残る血の跡に視線を向ける。
「南から来たように見える」
「部下が調べてる途中だ」
「このまま辿れば他組織の縄張りに入るかもな。そこにお前らが直接乗り込めば、殺人事件が組織同士の抗争に繋がる可能性が高い」
エディが顎を上げる。
「南にいるのはレックス・ボクサーだったか?」
「よく知ってんな」
「ここのところ、あいつは暴れ過ぎている。嫌でも耳に入って来てな」
小さい組織を潰して回っている。
スラムの出来事とはいえ、騎士団にも届いているようだ。
「お前とレックスが全面衝突するとなれば、騎士団としても無視はできん」
「行かねえよ」
「ならいいが。昔のお前なら、そう言った五分後には剣を持って走っていた」
「何年前の話してんだ」
「人間はそう簡単に変わらん。だから釘を刺している」
「安心しろ。さっきのは俺のところにいた奴じゃねえ。そこまでする義理はねえさ」
「ならいいが。変な正義感を出すんじゃないぞ? 迷惑するのはいつも周りだ」
「はっ。お前も変わってないみたいだな、エディ」
リオンが返すと、エディは楽しそうに口元を歪めた。
「そうかもしれんな」
しばしの沈黙のあと、エディは改めてリオンを眺めた。
「しかし、不思議なものだ」
「何がだよ」
「昔はお前の方がもっと上へ行くと思っていた」
「いきなり昔話か?」
「俺の部隊にいた頃から腕は立った。その後は自分の部隊まで持った。順当に行けば、今頃は騎士団の中枢にいてもおかしくなかっただろうに」
「昔話をしに来たなら帰れ」
「久しい顔を見て嬉しくなってな。それに、褒めているんだが」
「過去形でな」
エディが口元だけで笑みを浮かべる。
「俺は進んだ。殿下も、セレストもそうだ」
そこで笑みが僅かに薄くなる。
「お前だけだ、立ち止まったのは」
ブラッドが一歩動こうとしたが、リオンはそれより先に片手を上げた。
「手を出すな」
「ですが」
「ブラッド」
名を呼ばれ、ブラッドは低く唸るようにエディを睨むだけで抑えた。
エディはその様子を興味深そうに眺める。
「いい部下だ。俺の知る元部下は、俺のためには怒らなかった。リオンといってな」
「部下といい関係を築けてるからな。あんたと違って」
「悲しいことを言う。人付き合いというのは難しいものだ」
「苦手だって自覚はあったのか?」
「残念ながらな」
昔と同じようなやり取りだった。
だが、立場はもう違う。
同じ騎士団で剣を振るっていた二人のうち、一人は副団長まで昇り、一人は騎士団を去ってスラムに根を下ろした。エディがそれを「進んだ」と「立ち止まった」に分けるのなら、確かにリオンは後者なのだろう。
もっとも、リオン自身には立ち止まったつもりなどないが。
「では行くか。久しぶりに顔を見られたのは、素直に嬉しかったぞ」
「気持ち悪いこと言うな。柄でもねえ」
「昔の部下に、そのくらい言ってもいいだろう?」
「もう部下じゃねえ」
「だから昔の、と付けたんだ。相変わらずわからん奴だな」
エディは振り返り、リオンの背後に広がるスラムの建物を見る。
「今のお前は、ここらのボスだったな」
「それがどうした」
「……お前にはここがお似合いだ。リオン・バレル」
それだけ残し、今度こそ騎士たちと共に路地を去っていった。
鎧の音が遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなる。
しばらくしてから、ブラッドが口を開いた。
「元上官、ですか」
「ああ。俺がまだ平の騎士だった頃のな」
「気に喰わない野郎ですね。絶対に仲良くなれない」
「昔からああいう奴なんだよ。気にするな」
ブラッドはエディたちが去った方向を見る。
「強いんですか?」
「ああ。少なくとも、俺があいつに勝てたことはなかった」
「ボスが?」
「俺だって最初から何でもできたわけじゃねえ」
「今なら?」
「知らねえよ。何年まともに剣合わせてねえと思ってんだ」
リオンが肩を竦めると、ブラッドはどこか興味深そうな顔をしていた。
「昔話は終わり?」
ヴェロニカが横から割り込んでくる。
「なら、あの人の話をしましょう」
「何だよ」
「腹の傷」
先ほどまで男が倒れていた場所には、大量の血だけが残っている。
ヴェロニカはその跡に視線を落としながら腕を組んだ。
「あれ、やっぱり普通の傷じゃないわ」
「腹を開いたってやつか」
「そう。誰かが何かをするために切って、終わったあとに縫ってる」
「何かってのは?」
「分からないって言ったでしょう」
「例えばだよ」
ヴェロニカは少し考える。
「病気の治療。怪我の処置。腹の中の検査。臓器に何か問題があった可能性もある。研究目的だって絶対にないとは言えない。もっと細かく挙げれば、いくらでも出てくるわ」
「臓器を取った可能性は?」
「もちろんある。何かを取ったのか、逆に何かを入れたのか。傷だけじゃそこまでは分からないけど」
「臓器売買ならスラムでも話は聞く」
「なら調べれば?」
「あり過ぎて特定できねえよ。せめて何の臓器か分からねえとな」
ヴェロニカは肩を竦め、リオンは血の跡に視線を落とした。
「……殺すつもりだったと思うか?」
その問いに、ヴェロニカはすぐには答えなかった。
やがて、静かに口を開く。
「少なくとも、腹を閉じた時点では死なせるつもりはなかったんじゃない?」
「殺すだけなら縫う必要はねえもんな」
殺すことだけが目的なら、わざわざ腹を縫い合わせる必要はない。何かをするために切開し、その処置が終わったから閉じた――そう考える方が自然だった。
何をされたのかは分からない。それ以上にリオンが気になったのは、そんな状態の男がどこから逃げてきたのかということだった。
そのとき、路地の入口から足音が近づいてきた。
現れたのは血痕を追わせていた二人。
「どうだった」
「血は南から続いてました。境界の向こうまで続いてたんで、言われた通りそこで戻りましたが」
「となると……」
その先にあるのは、レックス・ボクサーの縄張りだ。
ダンから聞いた話が頭の中に蘇る。
利益になりそうにもない土地を、わざわざ潰して奪ったレックス。
そして、壊滅した組織の構成員たち。数十が所属していたにも関わらず、ダン以外の目撃情報は出ていない。
そして今夜、腹を切り開かれ、一度縫われた男が南から逃げてきた。見覚えのない、だが、スラムの組織が使っていそうな刺青をした男が。
「レックスですかね」
「南から来たってだけだ。レックスが腹を切った証拠はねえ。それどころか、あいつらにそんな真似ができるとは思えねえ」
リオンはそう言いながら、先ほど見た刺青を頭の中に浮かべた。
「ブラッド。刺青の形、覚えてるな?」
「もちろんです」
「明日、ダンに見せる」
ブラッドの目が僅かに細くなる。
「あいつのところの印だったら?」
「その時考える。それでいいだろ」
まだ分からないことの方が多い。あの男は誰なのか。なぜ腹を開かれ、何をされ、そしてなぜ傷を閉じられたのか。本当にレックスが関わっているのかさえ分からない。今の段階で答えを決めつけるには、あまりにも材料が足りなかった。
ただ、自分の縄張りに何か妙なものが流れ込んできた。それだけは間違いない。
「……面倒なことになってきやがった」
リオンは血の残る石畳を見下ろしながら、低く呟いた。




