第15話 黒い仮面
張り込みを始めて三日目の夜も、古い荷捌き場は静まり返っていた。
市街の西に建つ倉庫群は日が落ちると人気を失い、大通りから届く馬車の音さえ小さく聞こえる。古びた塀の向こうでは二棟の倉庫が暗闇に包まれ、静寂に保たれている。
リオンは向かいの空き家の二階、割れた窓から荷捌き場を監視していた。
初日は何もなし。
二日目も、夜明けまで荷車一台現れなかった。
交代で見張りを置いている昼間も変化はない。シビルが調べている土地の所有者についても、今のところ使える情報は出ていなかった。
「今日も外れかなあ」
窓の下にしゃがんだシビルが呟く。
「まだ夜中にもなってねえだろ」
「分かってるけどさ。見張りって本当に暇なんだよ。知ってた?」
「いま痛感してるよ」
「じゃあなんか面白い話してよ」
「ボスに振る話題じゃねえな。お前は本当に俺の部下か?」
「もちろん! わたしはリオンのファミリーだよ」
「相変わらず質問に対する答えがズレてる野郎だ」
リオンが睨むと、シビルは知らん顔をして窓の外を覗き込む。
同じ部屋にはブラッドもいる。そのほかに連れてきたのは、組織の中でも腕が立ち、余計なことを喋らない男が二人。いずれも少し離れた位置から荷捌き場の別方向を見張らせていた。
合わせて五人。何が出てくるか分からない場所を確認する人数として、多すぎるとは思っていない。
ただ、三日間なにも起きないとなれば、相手がすでにこの場所を捨てている可能性も考える必要があった。
「リオン、聞こえる?」
シビルが耳に手を当てながらそう言う。
遠くから馬の蹄が聞こえていた。
ゆっくりではない。目的地が決まっている走り方。
ほどなくして通りの先から、一台の大型荷馬車が姿を現した。
幌付き。
以前、老婆が消えた夜に見られたボロいものとは違う。車体は大きく、馬もよく手入れされている。街中で見れば、どこかの商会が使う輸送車としか思わないだろう。
荷馬車は荷捌き場の門前で止まった。
御者台から一人。荷台から四人。全部で五人の男が降りる。
「あれ、レックスのところかな?」
「違う」
少なくともリオンには見覚えがなかった。
全員が暗い色の服を着ているが、統一された装備ではない。剣を腰に下げている者もいれば、短刀だけの者もいる。組織章もなければ、レックスの部下たちに多かった派手な服装でもない。
一人が門の錠を開け、荷馬車が敷地内に入っていく。
「動く?」
「まだだ。様子を見る」
荷馬車が倉庫の前に停まり、男たちが動き始めた。倉庫の扉を開け、内部から木箱を運び出している。続いて出てきた男の手には、束ねられた紙があった。
それを敷地の中央に置かれた鉄製の桶へ放り込み、火をつける。
「……片付けてる?」
「その可能性が高そうだな」
何かを運び込んでいるのではない。
木箱は荷馬車に積み、紙は燃やす。さらに別の男が倉庫から古い縄や木製の食器のようなものを抱えてきて、まとめて荷台に放り込んだ。
「ここを捨てる気ですかね」
ブラッドが低く言う。
「多分な」
リオンは奥歯を噛んだ。
こちらが動いていることを察したのか、それとも別の理由かは分からない。ただ、このタイミングで拠点を片付け始めた以上、何らかの危険を感じている可能性は高かった。
老婆を攫った人間を追ってここまで来た。その数日後に、ちょうどこの場所を片付け始める。偶然で済ませるには出来すぎている。
「もう少し見る」
そう言った直後だった。
荷捌き場の奥。二棟の倉庫の間から、人影が現れた。
足首近くまで届く黒いコート。両手には黒い手袋。そして顔には、肌をほとんど覆い隠す黒い仮面。
リドルが話していた人物。
レックスに潰された組織の人間たちが夜中に荷車に乗せられた時、現場には一人だけ、何も運ばず立っていただけの黒ずくめの男。
「あれ、たぶんリドルが話してたやつだよね?」
シビルも気づいた。
「聞いた通りの格好してますね」
ブラッドが言う。
黒ずくめは作業を手伝わない。ただ炎の近くに立ち、男たちが倉庫を片付けていく様子を見ている。
立ち姿に無駄がなかった。腕を組むわけでも、壁にもたれかかっているわけでもない。そこに立っているだけなのに、周囲の男達とは明らかに違って見える。
「シビル、外の二人にも合図を出せ。逃げ道を押さえる」
「りょーかい」
シビルが小さな鏡を取り出した。月明かりを使い、決めてあった短い合図を送る。
返答が二度。二人とも配置についている。
「さて、なにが出て来るかな」
窓の外を確認した後、三人は階段を下りた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
荷捌き場の門は開いたままだった。
リオンとブラッドが中に入った時、一番近くにいた男が真っ先に気付く。
「誰だ!」
声が響く。中の男たちが一斉に振り向いた。
「夜中にこんなところで何やってんだ?」
「お前こそこんなところで何をしている。さっさと出て行け」
言われるが、リオンは歩みを止めない。
「引っ越しか? 手伝ってやるよ」
「止まれ!」
男の一人が剣を抜く。
別の男も腰に手を伸ばした。
「そうカッカするなって。なぁ?」
リオンの視線は黒ずくめの男へ向けられる。
「それとも、見られちゃまずいもんでもあるのか?」
返事はない。ただ、身動きを取らずに仮面の奥からこちらを見ている。
どんな顔をしているのか分からない。だがその視線だけが、妙に肌に張り付いた。
リオンの背後から、別の足音がした。
配置していた部下二人が入ってくる。
シビルだけは門の外、すぐに身を隠せる位置に残してある。
「何も言わずに出て行け。さもなければ……」
男達が剣をちらつかせて威嚇をするが、リオンは意に介さず答える
「お前ら、レックス・ボクサーから人間を受け取ってるな?」
男たちの誰も答えない。表情にも大きな変化はなかった。
ただ、黒ずくめだけが首を動かした。
それが肯定なのか、単にリオンを見ただけなのかは分からない。
「答える気はないようだな」
リオンが足を止める。
「だったら、無理にでも喋ってもらうぞ」
次の瞬間、剣を抜いていた男が踏み込んできた。
リオンは刃を寸前で躱し、懐へ入る。
拳を腹に叩き込み、男が折れたところへ膝を入れると一人が倒れた。
ブラッドの方でも、別の男が宙を舞った。巨体に掴まれ、放り投げられた男が地面に叩きつけられ、鈍い音が鳴る。
「なんだこいつら!」
相手は弱くない。少なくとも町のごろつきよりは訓練されている。
だがリオンたちの敵ではなかった。
続けてブラッドが一人を締め上げ、リオンの部下二人がもう一人を囲んで倒す。
ものの十数秒。それだけで形勢はほぼ決まった。
残りは黒ずくめと、その後ろに立つ男だけ。
「お前はやらねえのか」
リオンの声掛けに、仮面の奥から返事はない。
「運べ」
低い声だった。仮面越しで籠もっており、年齢すら読み取りづらい。
黒ずくめが言うと、後ろの男が一瞬だけ迷い、それからすぐ動いた。倒れている仲間の首元を掴むと、引きずりながら荷馬車の方へ走り出す。
「逃がすか!」
リオンの部下二人がすぐさま走る。
「行くな!」
それをリオンが止めるより、黒ずくめの動きは早かった。
黒ずくめが一歩踏み込んだ。
その瞬間、二人の間にあった距離が消える。
部下が咄嗟に剣を振るったが、黒ずくめは刃をかわして手首を掴み、勢いを殺さずそのまま肩から地面に叩きつける。
鈍い息が漏れ、部下が力なく地に伏せる。
「てめぇ!」
二人目が横から斬りかかった。
黒ずくめは振り向きもしない。身体を沈めて剣を避け、腹に拳を打ち込んだ。
「がっ!」
身体が浮き、そのまま拳が顎を打ち抜く。
二人目が崩れ落ちる。
「おいおい」
ブラッドの声が低くなる。
リオンも目を細めた。
「只者じゃねえってわけか」
リオンが佇む男を睨みつける――その脇を、一つの影が抜けた。
「わたしが荷馬車を追うよ!」
門の外で状況を見ていたシビルだ。
荷馬車に仲間を乗せ始めた男を見て、一気に駆け出そうとする。
リオンは反射的に腕を伸ばし、その肩を掴んだ。
「行くな」
「でも荷馬車が!」
「近付けねえよ」
黒ずくめはただこちらを見ている。
逃げも攻めもしない。
荷馬車とリオンたちの間に、ただ立っている。
その佇まいを見れば、何をしようとしているかは明白だ。
自分一人で殿を務めるつもりでいる。
「あいつをどうにかしねえと、荷馬車には届かねえ」
シビルも黒ずくめを見る。
さっきまでの勢いが止まった。
「……わかった」
「下がってろ」
リオンが前に出る。
「ブラッド」
「はい」
「やるぞ」
ブラッドが拳を鳴らした。
荷馬車の方では、残った男が仲間を次々と荷台に引き上げている。
時間を稼がれている。
なら、目の前の男を倒すしかない。
「手加減しねえぞ」
リオンが剣を抜いた。
鞘から滑り出した刃が、炎の光を反射する。
「一人で俺たち止められると思ってんのか?」
黒ずくめは答えない。両手を僅かに上げて、構える。
武器はない。
「素手かよ」
リオンが踏み込み、浅く横に薙ぎ払う。
黒ずくめが退く――そこへブラッドが回り込む。巨腕が横から迫ると、黒ずくめは身を沈め、それを躱した。がら空きになった脇腹に短い拳を返される。
「ぐっ」
拳は浅かった。それでも、ブラッドの巨体がわずかに揺れる。
リオンがすかさず剣を振ると、黒ずくめは距離を詰めて来た。
「っ!」
振り下ろされる前に懐に入られ、迫る肘をリオンは左腕で受けた。
骨まで響く。
逆に柄頭を顔面へ叩き込もうと放つが、黒ずくめが身体を反らして躱す。
「ブラッド!」
背後から巨腕。
今度は避け切れない、黒ずくめが腕を交差して受ける。
衝撃で地面を滑る。
「畳みかけるぞ!」
リオンが踏み込み、剣先が喉元へ伸びる。
黒ずくめは無理やり身体を捻ってかわした。
だが、リオンは止めない。
一撃目は誘い。
相手が避ける方向はわかっていた。
踏み込んだ足を軸に身体を回し、剣を切り返す。
黒ずくめは回避した勢いで体勢を崩している。
――行ける。
リオンは躊躇しなかった。
刃を横から走らせる。まともに入れば、脇腹を深く切って動きを止められる。
その瞬間――黒ずくめの右手が動いた。
金属音が鳴り響く。
「なっ!」
腹部を切り裂くつもりで振り切った刃が弾かれた。
右拳で剣を受け止めた――わけではない。
黒い手袋の上に、鋼鉄製の拳具がはめられている。四本の指を覆う厚い金属。その外側から、短い刃が斜めに突き出していた。
「くそっ!」
身を引こうとするが、間に合わない。
左拳が腹に突き刺さる。
「がっ!」
視界が跳ね、身体が折れる。
そのまま黒ずくめの脚が上がり、蹴りが胸に入る。
リオンの身体が後ろに吹き飛んだ。
背中から地面に叩きつけられるが、すぐさま立ち上がり黒ずくめを見据える。
「リオン!」
「来るな!」
痛みを押して叫ぶ。
胸が軋む。肋骨が折れた感触はない。だが、まともに息が吸えない。
強い。それも、単純に腕力があるという話ではなかった。
こちらの踏み込みを見る。攻撃を受ける場所を選ぶ。そして反撃までが一つに繋がっている。
「おおおっ!」
黒ずくめがブラッドの拳を避ける。
ブラッドはそのまま腕を伸ばし、逃がすまいと肩を掴みにいった。
黒ずくめは避けるどころか、自分から懐へ入り、肘を胸に叩き込む。
「ぐっ! ……だが、捕まえたぞ」
巨腕が黒ずくめの肩を掴む。
初めて、黒ずくめの身体が止まった。
「ボス!」
「ああ!」
腹の痛みを食いしばり、剣を構える。
だが黒ずくめは、ブラッドに掴まれたまま片足を相手の足の内側に入れた。
身体を捻る。
「なっ」
ブラッドの巨体が崩れた。
完全に投げたわけではない、重心を外しただけ。
だが、それで十分だった。
黒ずくめは拘束を抜け、ブラッドの膝裏に蹴りを入れる。
片膝をついたところへ拳、寸前でブラッドが腕で受けた。
「ぐっ……!」
「ブラッド!」
リオンが斬り込むが、黒ずくめは後退してそれを避ける。
後退した男は、拳具を握り直して構え直した。
剣を受けられると分かった以上、安易に深く踏み込めない。
逆に相手は、それを理解している。
「気に食わねえな……」
リオンは呼吸を整える。
荷馬車の音が遠ざかり、門を出た辺りだろう。
ここで黒ずくめを倒して追えば、まだ間に合うかもしれない。
だが、こいつを簡単に倒せるとは、もう思っていなかった。
仮面の奥。目元すら暗くて見えない。それなのに、視線だけは分かる。
こちらを見ている。
怒っているわけでも、焦っているわけでもない。仮面の奥で何を考えているのかはまるで読めなかったが、向けられる視線だけが妙に冷たかった。
リオンは剣を握り直す。
もう一度仕掛けようとした、その時、遠くで警笛が鳴った。
「今の音はどこだ!」
「こっちだ! 倉庫の方だ!」
囲まれた塀の向こうから声、夜間巡回をしている騎士だ。
舌打ちをするリオンに、黒ずくめも声の方向へ顔を向ける。
荷馬車はもういない。仲間も全員撤収した。
恐らく黒ずくめの目的は果たされている。
「逃げんのか?」
リオンが剣を構え直す。
黒ずくめは何も言わなかった。
仮面の奥から、一度だけリオンを見る。
その瞬間、ぞくりと背中を冷たいものが這った。
殺気とは少し違う。今すぐ斬りかかってくる気配でもない。
ただ、この戦いを続けた場合、どちらかが完全に動けなくなるまで、戦いを続けることになる。
そんな確信だけがあった。
黒ずくめが地面を蹴る。
「っ!」
速い。
倉庫の壁際まで一気に走り、積まれていた木箱を踏み台にする。低い屋根に飛び上がると、そのまま反対側へ姿を消した。
「追う?」
シビルが前に出る。
「やめとけ」
「でも」
「もういい」
追ったところを待ち伏せされていたら勝てる相手ではない。
それほどの手合いだった。
「おい、無事か」
ブラッドが倒れた二人のもとへ駆け寄っている。
「生きてるか?」
「な、なんとか……」
一人は肩を押さえながら起き上がった。
もう一人は意識が朦朧としている。
「走れるか」
「ええ。俺は行けます」
近づいてくる騎士の足音。
「誰かいるぞ!」
「中を確認しろ!」
「まずいね」
シビルが門を見る。
「ブラッド、寝てる奴を担げ。もう一人は俺が」
「ボス、大丈夫です。走れますよ」
「無理すんな。捕まる方が面倒だ」
「……面目ない」
リオンは男の腕を自分の肩に回した。
「シビル、先に道見ろ」
「了解」
五人は荷捌き場の裏へ回った。
正面から騎士が入ってくる声が聞こえる。
「火があるぞ!」
「誰かいたはずだ! 探せ!」
壁の低い場所からシビルが先に抜ける。
ブラッドが一人を抱えるようにして塀を越えた。
最後にリオンが負傷者と共に外に出る。
胸が痛んだ。
「っ……」
「ボス。大丈夫ですか?」
「騒ぐな。行くぞ」
狭い裏路地に入り、五人はその場を離れた。
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十分ほど歩いてから、人気のない廃屋で足を止めた。
部下二人の命に別状はない。一人は肩を強く打っている。もう一人は腹と顎。
ブラッドも腕と脇腹を痛めていた。
そしてリオンも、腹に受けた拳のせいで呼吸をするたび鈍い痛みが走っている。
「……気に食わねえ」
リオンが壁に背を預けながら呟く。
「強かったですね」
「ああ」
そこだけは認めるしかない。
「あれはレックスでも、レックスの部下でもねえ」
リオンは黒ずくめを思い出す。
長い黒衣。仮面。拳だけでこちらの二人を一瞬で倒した。剣を持つリオンと、ブラッドを相手にしても崩れない。そして、あの異形の拳具。
「くだらねえ武器、隠し持ちやがって」
「拳に鉄のやつ付けてたよね。刃も付いてたし。なにあれ?」
「知らねえな。初めて見た武器だ」
少なくとも騎士団にいた頃、あんな武器を使う人間を見た覚えはない。武器としては短く、剣に比べれば間合いも狭い。
だが、あの男にとっては問題ではないらしく、むしろ剣の内側に入るための武器に見えた。
「リドルが見た黒ずくめと同じだと思う?」
「ほぼ間違いねえだろうな」
「じゃあ、あいつがレックスの捕虜を運ばせてた奴ってこと?」
「たぶんな」
「取り巻きも、レックスの部下っぽくなかったですよね」
「俺が知ってるレックスの連中とは違った。……でも、荷捌き場を片付けに来た」
「わたしたちがここまで来たの、バレてたってこと?」
「俺たちがあの場所を見つけたことまで知ってたかは分からねえ。ただ、向こうも危ねえと思って切ったんだろ」
理由はいくつか考えられる。
レックスの縄張りを嗅ぎ回り、本人に捕虜のことを聞いた。老婆が消え、本格的に動き始めたことを悟られた。どこから何が漏れたかは分からない。だが、敵も動いた。
「これであの場所はもう使わないかな?」
「多分な」
「また振り出し?」
「いや、一つ分かった」
ブラッドがリオンを見る。
「あの黒ずくめは、レックスの下じゃねえ」
「断言できますか?」
「少なくとも、俺はそう思う」
捕虜の移送現場で、レックスの部下が判断を仰いでいた。
今日も、レックスの組織じゃない者達に指示を出していた。
「レックスの向こうにいる奴だ」
リオンは腹を押さえながら立ち上がった。
「それも、ただの運び屋じゃねえ」
あの強さ、あの判断。仲間が倒された直後に撤収を決め、自分だけ残って追撃を止めた。騎士が来れば迷いなく消え、最後まで焦った様子はなかった。
「……面倒なのが出てきやがったな」
リオンは小さく吐き捨てた。
仮面の奥から向けられた視線が、まだ頭に残っていた。




