第13話 残された記録
「四十三人か」
執務机の上に広げられた紙束を見ながら、ギルはそう呟いた。
第三王子に与えられた王城内の執務室には、朝から大量の資料が運び込まれている。王都の施療院、簡易宿泊所、日雇い仕事の斡旋所、騎士団に持ち込まれた相談記録。
そのほかにも、スラムに近い地区で食料配給を受けていた者の名簿や、身元不明者の埋葬記録まで集められていた。普段なら整然としている大机も、今日は半分以上が紙で覆われている。
ギルの向かいでは、セレストが記録を種類ごとに分けながら、一枚ずつ内容を確認していた。
「現時点で、失踪した可能性が高いと確認できた人数ね」
「前リオンに見せた時は、二十人を少し越えたくらいだったよね」
「ええ」
セレストは手元の紙から目を離さず頷いた。
「ただ、今回新たに二十人が失踪したというわけではない。調査範囲を広げた結果、過去の失踪が判明した者も含まれているわ」
「なら、調査を続ければもっと多くなるかも知れないってわけか」
「その可能性は高いと思う」
「いったいいつから、何人の人が……」
ギルは椅子に背を預け、目の前の資料を眺めた。
最初は騎士団に届け出があった失踪者だけを追っていた。
だが、それではあまりに数が少なかった。
そもそもスラムで暮らしている者の多くは、誰かがいなくなったからといって騎士団に届けを出したりはしない。家族がいなければ、消えたことすら誰にも気づかれない。日雇い仕事に数日姿を見せなくなり、そのまま別の街へ行ったのだろうと処理される者もいる。
だから、記録の見方を変えた。
失踪届を探すのではなく、それまで定期的に何らかの記録に名前を残していた人間が、ある日を境に突然消えていないかを調べさせた。
結果として見つかったのが四十三人だった。
「困った場所だね」
ギルは小さく息を吐く。
スラムで暮らす者の管理を強めるべきだという意見は、これまで王宮内でも何度も出ている。しかし、管理を強めれば別の問題が生まれる。身元を記録されたくない者が地下へ潜り、住民と行政との距離はさらに開く。
だからこそ、リオンのような人間が必要になる場面もある。
正規の制度には入ってこない人間を、正規の制度の外から把握している。
そのことを認めたがらない者も王宮には多かったが、ギルにとってはどうでもいい話だった。
「四十三人の傾向は?」
「以前と大きくは変わってないわ」
セレストが一つの資料をギルに渡す。
「身寄りがない者、あるいは家族との交流がほとんどない者が大半。定住していない者や、犯罪歴のある者も含まれているわ。職業、年齢、性別について明確な共通点はないわね」
「つまり、新しい手掛かりはなし、と」
「そういうことね」
消しても、すぐには騒ぎにならない人間。それについては、すでに以前の調査で分かっている。これだけ似た条件の人間が重なっている以上、誰かが意図的に対象を選んでいる可能性は高い。
問題は、その先だった。
ギルは資料の中から一枚の地図を取り出した。
王都レグナリアの西側を中心に、失踪者が最後に確認された場所に小さな印が付けられている。
最初の頃は散らばっていた。
ところが、時期が最近に進むにつれて、南西側に印が増えている。
そして、その少し後から別の動きが始まっていた。
「レックス・ボクサー」
ギルが名前を口にする。
「最近、随分派手にやってるみたいだね」
「ここしばらくで小規模な組織を複数潰してるわ、目的はわからないけど。スラム組織のボスの考えを手掛かりなしで読むのは、私達じゃ厳しいわね」
セレストが別の地図を重ねる。
レックスの旧来の縄張りと、新たに奪った区域が分けられている。
それを見ながら、ギルは指先を机に軽く当てた。
「順番が逆なんだよね。人が消え始めて、暫くしたら、レックスが暴れ始めた」
これは重要だった。レックスの勢力拡大と失踪事件の時期が完全に一致しているなら、話は簡単になる。
レックスが何らかの目的で人を攫っている。そう考えればいい。
しかし、実際には失踪事件の方が先に始まっている。
「最初からレックスが全部やっていたとは考えにくい」
「そうね」
「でも、無関係とも言い切れない」
ギルは地図上の新しい縄張りに視線を向ける。
レックスが勢力を広げ始めた後も、人間は消え続けている。
むしろ最近になって、失踪の確認数は増えている。
「途中から何かが変わったのかもしれないね」
「何か、とは?」
「そこまでは分からないよ」
ギルは苦笑した。
「分かってたら、こんなに紙を広げてない」
「それはそうね」
「ただ、最初の失踪と最近の失踪を、全部同じ方法で起きた事件だと思わない方がいいかもしれない」
相手が一人なのか複数なのか。目的そのものが途中で変わったのか、それとも同じ目的のために手段だけを変えたのか。今ある情報では、どれも可能性に過ぎない。
だが一つだけ、これまでとは明らかに異なる存在が出てきた。
「ロイ・セイガー、か」
「ダンという男の所属していた組織の構成員ね」
「リオンから聞いた話が正しければ、レックスの組織に捕まってた可能性が高い。それなのに、しばらく経ってからリオンの縄張りまで逃げてきた」
「そして腹部に、縫合された傷があった」
「不自然なんだけどなぁ」
本人から話を聞けなかったのは痛い。
だが死体には、何かが残っているかもしれない。
「結局、今一番調べる価値があるのはロイなんだよね」
「本人が亡くなっている以上、残された情報は限られてるけど」
「だから、残ってるものは全部見ないと」
ギルは机の端に置いてあった上着を手に取った。
「そろそろ行こうか。副団長を待たせるのも悪いしね」
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王都騎士団本部は、王城からそう離れていない。
灰色の石を積み上げて造られた建物には、朝から多くの騎士が出入りしていた。訓練場からは剣を打ち合わせる音が聞こえ、敷地の奥では馬の鳴き声と、兵士たちの号令が重なっている。
ギルにとっては見慣れた場所だ。
王子として育ちながら、騎士団に身を置いていた時期も長い。
昔はこの建物の中を走り回り、訓練に遅れては上官に怒鳴られたこともある。今では入口を通るだけで騎士たちが足を止め、道を開けるようになってしまった。
「こういうの、いまだに慣れないなあ」
敬礼する若い騎士に軽く手を上げながらギルが言う。
「それは慣れていただかないと困ります」
隣を歩くセレストは淡々としている。
「外に出ると口調が変わる。セレストにも未だに慣れないんだよね」
「それも、慣れていただかないと困ります。昔とは立場が違うんですから」
「困ったもんだね」
そんな話をしながら二階へ上がる。
副団長エディ・ハルの執務室は、廊下の奥にあった。
扉の前に立っていた騎士に名を告げる必要すらなく、すぐに中へ通される。
「お待たせしました、ギル殿下」
執務机から立ち上がったエディが頭を下げた。
「セレストも、久し振りだな」
「お久しぶりです、エディ副団長」
セレストも形式通りに一礼する。
「そんなに堅くならなくていいよ。今日は僕が頼んで時間取ってもらったんだから」
「そういうわけにはいきません。昔とは立場が違いますから」
「それ、さっきセレストにも言われたよ」
「だったら我々の言い分が合ってるということですね」
「そうですよ、殿下」
「二人にそう言われたら、何も言い返せないね」
エディは苦笑しながら、来客用の椅子を示した。
以前リオンの前に現れた時とは違い、今日は騎士団の制服をきちんと着込んでいる。副団長を示す装飾も胸元に付けられ、机の上には何冊もの報告書が積まれていた。
三人が腰を下ろす。
「例の遺体の件ですね」
「うん。調べてくれた?」
「ええ。西側から回収した男性の遺体について、検分は終わっています」
エディは机の上から一冊の薄い報告書を取り出した。
「王立医療院の専門家に検分させた報告書の写しとなります。死因については、失血と見て間違いないそうですね」
「腹の傷から?」
「はい。腹部には刃物によって切開された痕がありました。ただし、それ自体は死亡する直前につけられたものではありません」
ギルの目が僅かに細くなる。
「やっぱり、一度縫われてた?」
「そのようです」
エディは報告書を確認しながら続ける。
「傷口には縫合痕がありました。かなり荒い処置だったようですが、一度閉じられています。ただ、その後に傷が開いたと。逃走中に無理をしたのか、どこかで強く身体を動かしたのかまでは分かりませんが、そこから出血が続いたのでしょう」
「腹を開いた理由は?」
「分からないそうです」
「中は?」
ギルが訊くと、エディは目を細めて報告書の内容を確認する。
「死因に直接繋がるような大きな臓器損傷は確認されなかった、とあります」
「それだけ?」
「それ以上のことは書かれていません」
ギルは椅子に背を預けた。
報告としては薄い。
ヴェロニカから聞いていた内容と大きく変わらない。
腹を意図的に開いた。一度縫った。そして、再び傷が開いた。
「担当した人間は、何のために腹を開いたと思ってる?」
「そこについても判断はできない、と」
エディが首を振る。
「そっか……。なんで閉じたのかな?」
ギルは自分の腹部に手を当てる。
「腹を開いた。そのあと、わざわざ傷を閉じた。少なくとも、その時点ではロイには生きていてもらう必要があった」
「治療目的なら当然だと思いますが」
「うん。だから治療だった可能性は残る。でも、何かをしたあとで生かしておきたかった場合でも同じだよね」
エディは少しだけ考えるように報告書を見る。
「それは確かに。ただ、報告書からは処置の目的までは判断できませんね」
「結局、何をされたのかが分からないとどうしようもないか」
「申し訳ありません」
「エディが謝ることじゃないよ。むしろ、わざわざ専門家まで呼んでもらって助かった。ありがとね」
「殿下から頼まれた以上、適当に済ませるわけにもいきませんから」
エディは報告書を閉じる。
「それに、西側で人が消えている件はこちらにも話は入っています。今回の遺体が関係しているのなら、騎士団としても無関係とは言えません」
「もし何か分かったら教えてくれる?」
「もちろんです。こちらで新しい情報が入れば、すぐにお伝えします」
「ありがとう。助かるよ」
ギルは立ち上がった。
「今日はそれだけ。忙しいところ悪かったね」
「いえ。また何かありましたら、いつでもお声掛けください」
「今度は仕事じゃなくて飲みに来たいところだけどね。その時はリオンも一緒に」
その言葉に、エディが苦笑いを浮かべた。
「私とあいつの相性が悪いことは、殿下ならご存じでしょう」
「いつも言い合ってたもんね。ロイの時に会ったって聞いたけど、どうだった?」
「相変わらずですよ。仲良くなれそうにはありませんでした」
「そっか……。それは残念。三人で。いや、セレストを入れた四人。なんならマックスを入れた五人で久し振りにって思ったんだけどな」
「その時は、私抜きにした方が楽しいかと思います」
そう告げるエディに、ギルは首を傾げた。
「てっきり、『あんな奴とは会わない方がいい』って言うと思ってたけど」
「副団長になったからと言って、そこまで無粋ではありませんよ。昔のあなたたちを見ていましたから」
それもまた、ギルの知る昔のエディと変わらない。必要以上に他人の事情に踏み込まず、部下に対しても一定の距離を保つ男だった。
リオンが騎士団に入ったばかりの頃には上官を務め、ギル自身も訓練や実戦で何度も顔を合わせている。立場が変わった今でも、不必要に人の問題に干渉してこない。
「それじゃ、今日はありがとね。エディ」
「はい。また何かありましたらご連絡ください」
ギルは最後に軽く手を上げ、セレストと共に部屋を出た。
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騎士団本部を出ると、昼前の日差しが石畳に落ちていた。
城へ戻る馬車を断り、ギルはセレストと二人で歩いて帰ることにした。王城まで距離はそれほどない。少し考えを整理するには、その方が都合が良かった。
「どう思う?」
しばらく歩いたところでギルが訊いた。
「ヴェロニカさんの見立てと、大きな違いはありませんね」
「うん」
「腹部は意図的に切開され、一度縫合されていた。死因は再び傷が開いたことによる失血。何のための処置だったのかは不明」
「新しいことは、ほとんどなしか」
ギルは道の先を眺めながら歩く。
王城周辺はスラムとはまるで違う。
道は整備され、店先には商品が並び、騎士の姿も多い。ここだけを見ていれば、同じ王都の中で四十人以上の人間が誰にも気づかれず消えているとは思えない。
「でも、確認しておきたいことはあるかな」
「何でしょう」
「記録が本当に正しいものかどうか」
セレストがギルを見る。
「エディを疑ってるわけじゃないよ」
ギルは先にそう付け加えた。
「でもリオンにも言われたからね。騎士団が遺体を持って行った後のことは、ちゃんと確認しろって」
「確かに、報告書だけを見て終わりにする必要はありません」
「でしょ?」
ギルは指を折りながら挙げていく。
「まず、遺体がどこに運ばれたのか。騎士団で受け取った時の記録。そのあと王立医療院の誰が検分したのか。医療院側の受け入れ記録もあれば見たい」
「検分報告書の原本も確認しますか?」
「お願いできる?」
「承知しました」
「できれば搬送台帳と、医療院の受け入れ帳簿も。紙の上でちゃんと繋がってるかだけ見ておきたい」
「こちらで確認しておきます」
「ごめんね。細かい仕事ばっかり頼んで」
「それが私の仕事です」
「頼りにしてるよ」
「ええ」
二人はそのまま王城へ向かって歩く。
ギルはもう一度、頭の中でこれまでの情報を並べた。
四十三人。
誰にも気づかれにくい者ばかりが、少しずつ消えている。その事件が始まった後になって、レックス・ボクサーが急に他の組織を潰し始めた。
そして、レックスに捕らえられた可能性があるロイは、腹を開かれ、一度縫われた状態でリオンの縄張りに逃げ込んできた。
少なくとも、レックスの勢力拡大が事件の始まりだったわけではない。だが、途中から何らかの形で関わった可能性はある。ならば、その前と後で何が変わったのか。
まだ分からない。分からないことばかりだった。
それでも、最初に失踪者の名前だけを並べていた頃よりは、少しだけ事件の形が見えてきた気がする。
ギルは王城の尖塔を見上げた。
答えがどこにあるのかは分からない。
ただ、ロイが残した傷と、人間が残した記録。
その二つを一つずつ追っていけば、今より先へは進めるはずだった。




