第10話 レックス・ボクサー
「仲良くしようぜ、レックス・ボクサー」
リオンがそう言うと、レックス・ボクサーは色付き眼鏡の奥にある目を細めたのか、口元に浮かべていた笑みを深くした。
「そう言ってもらえると助かるぜ。お前とは仲良くやりてえと思ってたんだ」
「なら、いきなり手下連れて押しかけてきた件について説明してもらえるか? 部下まで世話になったみてえだしな」
「仕方ねえだろ。俺は何度も話し合おうとしたんだ。さっき言ったぜ? 素直に通してくれりゃ、俺だって手を出さなかった」
悪びれた様子はない。
店内は、先ほどまでギルたちと話していた時とは様変わりしていた。
他の客は一人も残っていない。卓上には飲みかけの酒や食べかけの料理がそのまま置かれ、床に倒れた椅子もある。店主だけがカウンターの内側に残され、余計な真似をするつもりがないことを示すように両手を上げていた。
入口近くには、リオンが見張りとして立たせていた男が横たわっている。
リオンはレックスから視線を外すと、そちらに歩いた。後ろに並ぶ男たちが身構えたが、レックスは止めようともせず、面白そうにその背中を見送っている。
倒れている男の側にしゃがみ、頬を軽く叩くと、瞼が僅かに動いた。
「……ボ、ス」
「生きてるな。喋らずに寝てろ」
「すんません、止めようとは」
「無理するな。今は休んどけ」
男は何か答えようとしたが、苦しそうに顔を歪めただけだった。
リオンは立ち上がり、店主へ視線を向ける。
「悪い。こいつ奥に寝かせてやってくれ」
「あ、ああ」
店主が慌ててカウンターから出てくる。レックスの部下の一人がその動きを止めようとしたが、レックスが片手を上げると、何も言わず引き下がった。
その仕草を見ながら、リオンはレックスの前に戻る。
「で? 何の用だ。客まで追い出して、俺んとこの奴を半殺しにしたんだ。用があるんだろ?」
「そう急くなよ。久し振りの再会なんだから。ゆっくり話そうぜ」
レックスは近くの椅子を引き寄せると、大袈裟に腰を下ろした。自分の店であるかのように脚を組み、背もたれに深く身体を預ける。
四人の取り巻きはその後ろに並ぶ。
「最近、俺んところの北側が妙に騒がしいんだ」
「てめえで潰した組織の亡霊が泣いてんじゃねえか?」
「んなわけあるかよ。死んだ奴は喋れねえんだ」
レックスの黒い色付き眼鏡がリオンに向けられる。
「女に何を探らせてる?」
「女? 誰のことだ」
「うちの縄張りまで入ってきやがっただろ」
シビルのことだ。名前までは出さなかったが、間違いない。
リオンは表情を変えずに答える。
「知らねえよ。なんで俺らがお前らの縄張りにまで行く必要がある」
「とぼけんなよ、リオン。もう俺の耳に入ってるんだぜ?」
「とぼけてるつもりはねえ。うちの誰がそっちまで行ったか教えて欲しいぐらいだ」
リオンはあえて強気に出る。
「誰なんだよ、レックス。言ってみろ」
レックスは自分たちが誰かに探られているということには気付いている。だが、それがシビルだということに気付いてはいない。今のやり取りでリオンはそう踏んだ。
暫く二人は睨みあい、レックスが大きく息を吐いた。
「とぼけるのが上手なもんだな」
「とぼけてねえよ。名前を教えろって言ってんだ」
「わかった、もういい」
レックスは面倒くさそうに手を払った後に続ける。
「じゃあなんで境界の警戒を強めた?」
「んなこともわからねえのか?」
「いいから答えろ」
低くなる声に、しかしリオンは眉一つ動かさず答える。
「急に同業を潰し始めた奴等がいたら警戒するのは当たり前じゃねえか?」
「俺はお前がそんな肝っ玉ちいせえ奴だと思ってねえ」
「そいつはどうも。ま、結局こうして攻められてんだ。もっと人員を割かねえといけねえな」
「……はっ。言い分は通ってるか」
レックスが背もたれに深く座り直す。
今度はリオンは口を開く。
「お前こそなにしてんだ? いきなり同業を潰し始めて。何人か生け捕りにしてるって聞いたぞ?」
取り巻きの一人が僅かにリオンを見る。
レックス本人には目立った反応はない。
「よく知ってんな」
「そいつら、どうした?」
店の中が静かになった。
外から馬車の車輪が石畳を叩く音が聞こえる。
レックスは数秒考えるような素振りを見せたあと、肩をすくめた。
「知らねえよ」
「自分で捕まえといてそれはねえだろ」
「いちいち末端の処理まで俺が知るわけねえだろ。使えそうな奴は拾ったかもしれねえし、使えねえのは放り出したかもしれねえ。そんなもん下の奴らに任せてる」
「雑なんだな。せっかく組織を潰してんのに」
「俺からしたら大したことじゃねえ。弱い奴等に興味はねえんだ」
レックスは平然と答える。
嘘をついている。そう断定できるほどの材料はない。
だが、ダンから聞いた話とは噛み合わない部分がある。
降伏した者たちは武器と荷物を奪われ、何人もまとめて拘束されていた。それを単に放り出したというなら、一人くらいその後の姿が確認されてもおかしくない。
現実には、誰も現れていない。
「不思議なもんだな」
「なんだ? ずいぶん気にするじゃねえか」
レックスが逆に探るように言った。
「俺等が潰した組織に知り合いでもいたか?」
「いねえよ」
「だったらお前には関係ねえだろ。自分の縄張りでもねえ、組織でもねえ。そんな奴らが何人消えようがな。特にお前はそういう奴だろ?」
リオンはレックスを見た。
色付き眼鏡の向こうにある目は見えない。
それでも、その男が本気で言っていることだけは分かった。
「じゃあなんだ? お前は縄張りを広げたいから潰したってことか?」
「当たり前だろ」
レックスは当然のように答える。
「組織ってのはデカくしてなんぼだろ。土地を取る。店を増やす。人間増やす。稼げるもんから稼いで、使える奴は使う。そうやって力を持つから、周りも舐めた真似しなくなる。スラムは力が全てだろうが」
それからレックスは、呆れたようにリオンを見る。
「俺からすりゃ、お前の方が意味分かんねえんだぜ? 店からまともに金も取らねえ。ガキを拾って飯食わせる。女が辞めたいっつったら辞めさせる。挙げ句、住民同士の喧嘩まで仲裁して回ってるらしいじゃねえか」
「それのなにがわからねえんだ?」
「全部だよ。縄張りに住んでる奴らなんて、まとめて組織の財産みてえなもんだろ? 店は金を生む。女も金を生む。男は働かせりゃいい。何もできねえ奴なら、それなりの使い道探せばいいだけだ」
その言葉を聞いても、リオンは怒鳴らなかった。
ただ、レックスを見る目だけが少し冷たくなる。
「俺のところに住んでる奴らは、俺の持ち物じゃねえよ」
「まずそこがわからねえ。俺の縄張りにいる奴は、俺のもんだ」
「俺にはそっちの考え方の意味がわからねえ」
平行線。
リオンもレックスも、分かり合えないという点では、お互いに分かり合えている。
「俺に聞きたいことってのはそれだけか? だったら話は終わりだ。俺は俺の組織を守れるように立ち回る。警備を強めようが何しようが、誰に許可取るつもりはねえ」
レックスは返事をしなかった。
代わりに、その背後にいた男の一人が前に出た。
大柄な男。腰に短い剣を差し、首から頬にかけて古い傷が走っている。先ほどからリオンの態度が気に入らなかったらしく、何度も苛立った視線を向けていた男だ。
「てめえさっきから聞いてりゃ調子乗ってんじゃねえぞ」
「誰だお前」
「あ?」
「俺はレックスと話してんだよ。下っ端は出てくんな」
男のこめかみに青筋が浮かぶ。
「てめえ」
「やめとけ」
レックスが言ったが、声に強く止める気配はなかった。
男もそれを分かっているのか、足を止めない。
「ボスが話しに来てやってんのに、偉そうにしてんじゃねえ。表にいた馬鹿みてえに転がされてえのか?」
その言葉に、リオンの目が男の顔に向く。
「あいつをやったのはお前か?」
「だったらなんだ?」
問いに、リオンは返事を返さない。
静かに視線をレックスに向けたが、男がそれを遮った。
「その態度が気に入らねえっつってんだよ!」
伸びてきた手がリオンの胸倉を掴む。
次の瞬間、男の身体が傾いた。
「――は?」
掴まれた右手首を外側へ捻り上げる。肘の関節が伸び切るより早く、リオンは相手の懐に踏み込み、空いた左拳を脇腹に深く打ち込んだ。
「かっ!」
息が漏れる。
男の身体が折れたところに足を掛け、そのまま勢いを利用して隣の卓へ投げつける。木製の卓が大きく揺れ、酒瓶が床に落ちて砕けた。
「先に手ぇ出したのはそっちだ。文句はねえよな?」
レックスに問うが、答えが返る前に残る三人が動いた。
一人が腰の剣に手を掛ける。もう一人が横から殴りかかり、最後の男はリオンの背後に回ろうとする。
リオンは剣を抜かなかった。
正面から飛んできた拳を避け、その腕を脇に抱える。相手の勢いを殺さず前に引き込み、膝を腹に叩き込むと、男は声も出せずその場に崩れた。
その肩越しに刃が見える。剣を抜いた男が、倒れた仲間ごと避けるように横から踏み込んできていた。
リオンは崩れた男の襟首を掴むと、強引に引き起こして自分との間に挟んだ。
「っ、邪魔だ!」
剣を持った男が慌てて足を止める。
その間に、リオンは前に出た。
剣を振れる距離を消し、相手の腹部に肘をめり込ませる。鈍い音と共に剣が床に落ち、男が倒れる瞬間、頭を掴んで床に投げ捨てると、顔が床に叩きつけられた。
「てめえ!」
背後。最初から回り込んでいた四人目が椅子を持ち上げている。振り下ろされるより先に、リオンは床に落ちていた別の椅子を足で蹴った。脚が男の脛にぶつかり、身体が大きく揺れる。
その懐へ潜り込み、胸元を掴んだ。身体を反転させて肩越しに投げると、男は背中から床に落ちた。肺から空気がまとめて吐き出され、苦しそうに身体を丸める。
瞬く間に、まともに動ける者はいなくなった。
リオンは袖口を整える。
「ったく。店ん中で暴れんなよ。修理代どうすんだ」
カウンターの奥から店主が無言でリオンを睨んでいた。
「俺を睨むな。代金はこいつらに払わせろ」
言うが、何も言わずに首を横に振る店主に。
「レックス。てめえが払えよな」
初めて見せる怒りの表情に、レックスが突然大声で笑った。
「はっ、はははっ! 相変わらずだな、リオン! 鈍ってんじゃねえかと思ってたんだがよ。大して変わってねえじゃねえか」
笑いながら立ち上がる。
倒れている自分の部下には見向きもしなかった。
リオンがレックスに身体を向ける。
「うるせえ。金を払うのかって聞いてんだ」
「そんなの今はどうでもいい」
「どうでもいいだと? てめえもやられてえのか?」
レックスはしばらくリオンを見た。
眼鏡越しなので、その視線がどこへ向いているのか正確には分からない。
やがて鼻で笑い、両手を軽く広げた。
「やめとくさ。今日は喧嘩しに来たわけじゃねえ。最初に言ったろ?」
「お前の部下はそう思ってなかったみてえだが?」
「勝手に手ぇ出した馬鹿が悪いんだよ。バカが」
足元で呻いている男に視線を落とす。
「これで少しは身の程覚えただろ」
「俺を使って部下に教育させんじゃねえ」
「いいじゃねえか。たまには身体を動かさねえと鈍るぜ」
レックスはゆっくり歩き、倒れている部下の一人を靴先で小さく蹴った。
「起きろ。帰るぞ」
「ぼ、ボス……」
「聞こえなかったか?」
先ほどまでの笑みが消えた。
声を荒らげたわけでもない。
それでも男は痛みに顔を歪めながら慌てて身体を起こした。他の者も互いに肩を貸し、なんとか立ち上がる。
入口に向かいかけたレックスが足を止める。
「一応言っとくぞ、リオン」
「なんだ。まだなんかあんのかよ」
「俺の周りを嗅ぎ回るのは好きにしろ。境界から眺めるだけならな」
振り返る。
「だが、うちの縄張りに入ってきたら話は別だ。次は今日みてえに仲良くお喋りして帰れるとは思うなよ」
「今日は仲良くしてたつもりだったのか?」
「俺はな」
「そうかよ。頭がいかれてんのはいいが、こっちに絡んでくんじゃねえ」
「はっ! お互い様だ」
レックスは最後まで薄い笑みを浮かべたまま、店を出ていった。
取り巻きたちも後に続く。
扉が閉まり、その足音が遠ざかっても、リオンはしばらくその場から動かなかった。
何かがおかしい。
レックス自身が言った通り、縄張りの境界を警告するために来た。
不自然なところはない。
だが、それにしては探り方が妙だった。
リオン側がどこまで動いているのか。何を調べているのか。何を知っているのか。
レックスは最初から、そればかり確かめようとしていた。
「……話がしたかっただけ、ねえ」
誰に聞かせるでもなく呟く。
「リオン」
店主がそこで口を開いた。
「ああ。悪かったな、店を壊しちまって。修理代は」
そこで、結局レックスが金を置いて行かなかったことに気付く。
「しょうがねえ。こっち払う」
「あいよ。あと、今度から外でやれ」
「俺から始めたんじゃねえんだがな」
「それでも、だ」
店主は大きな溜息を吐き、それ以上は何も言わなかった。




