第4話 練習場と、半歩 Ⅱ
訓練場で手応えを掴んだ帰り、
ギルドを出てゲートくぐりゼロ層を渡った。
階段を下り、俺は一層の洞窟に潜った。
休むべきだとは思う。
でも、休んだら消える気がした。
さっき掴んだ感覚が、「気のせいでした」で終わるのが嫌だった。
パーティ時代は、後ろに足音があった。
指示も愚痴も、文句もあった。
今はない。
寂しさより先に軽さが来て、その軽さのすぐ後ろに、不安がついてくる。
それでも今日は試す。
昨日までの俺から進んだ、この半歩を。
◆
一層はいつも通り臭かった。
鉄の匂い、土の湿り気、嫌な腐臭。
自分の呼吸と心臓の音だけが、やけに耳につく。
しばらく進んでから通路を曲がってすぐ、
ゴブリンが一匹、こっちへ出てきた。
錆びた短剣を握っている。
回復持ちでも、急所を貫かれたら終わりだ。
それは何度も聞かされてきた。
「驕りはないぞ」
言葉にした声が、少し震えていた。
一人で敵と向き合うだけで、ここまで怖いとは思っていなかった。
モンスターは死ねば魔力に分解される。
本来は食事すら不要とされる。
それでも人を食う。
多分、生きた肉の方が効率がいいのだろう。
稀に突然変異する個体が出る、という話もある。
目の前のゴブリンは、俺を餌として見ている。
それを意識した途端、喉がきゅっと狭くなった。
「バカが」
自分を叱る。
恐怖を押しのける。
眉間に皺が寄るのが自分でも分かった。
それでも震えは完全には消えない。
だが、やることは変わらない。
ゴブリンが痺れを切らして走り出す。
人間みたいに整った走りじゃない。
餌に噛みつくためだけの突進だ。
あれは理屈じゃなく怖い。
「来いよ」
考えるな。動け。
全身の力を抜き、
魔力を流して身体強化を載せる。
膝を沈め、斧を横に構える。狙うのは後の先。
奴が間合いに入った瞬間、
[冒険者の心得]を軸に各スキルを並列起動。
補強された筋肉のを使い、心得が導く軌跡を、
斧がなぞる様に描く。
振り抜いた刃が、
ゴブリンの左脚を股関節ごと断った。
「ギャッ!?」
崩れ落ちるゴブリン。
緊張で俺の息は荒い。
一層の雑魚一匹で、肺が焼けるみたいに熱い。
でも狙い通りだ。
足を奪えば追えない。
今から撤退する必要があっても、今のこいつじゃ
俺にすら追いつけないだろう。
お化けの貞子さんみたいに来られたら
分からんが。
地面を引っかく爪の音が耳障りだった。
まだ生きて、こっちを見ている。
「とどめだ。痛めつける趣味はない」
斧を上段に上げ、薪割りの要領で真っ直ぐ落とす。
刃は抵抗なく沈み、ゴブリンはすぐに霧散した。
重い確かな手応えだけが、手首に残った。
◇
「はぁ……流石に疲れた」
自覚以上に緊張していた。
震え、硬直、呼吸の乱れ。
スキルを切ると歩きまでぎこちない。
今は誤魔化せるが、
このまま意識しすぎれば不発もありえる。
[心得]は頼もしい。
魔力を流せば起動して、動きを繋いでくれる。
今の俺が辛うじて崩れないのは、
こいつが骨組みを支えてくれるからだ。
「ありがとう、心得先生」
独り言で笑って、
帰ると決める。
その瞬間だけ足が軽くなる。
気がしただけだったが。
実際は膝が笑い、
太腿は鉛みたいに重い。
掌は柄を握り続けた熱でじんじんする。
訓練で魔力量は心もとない。
途中から切っていた[オートリペア]を
再起動し、
最低限の回復再生だけ回す。
便利だけど、使った魔力まで完全には戻しては
くれない。
そんな都合のいい永久機関はない。
帰り道、
ようやく周囲を見る余裕が出た。
昨日、パーティから外れたあたりだ。
「ちゃんと進めてるってことだよな」
気が緩んだ、その時。
先の角から、水っぽい音がした。
「スライムか?」
石を一つ拾う。
視界に入る前なら先制で崩せる。
心得と魔力強化を乗せて投げれば、
中心に当たった石でも充分な殺傷力になる。
壁に頬を寄せ、そっと覗く。
影は三つ。
ゴブリンだ。
壁際で何かに群がっている。
一匹でも震えたのに、三匹。
冗談みたいな引きだ。
幸運Fが仕事しすぎだろ、と毒づきたくなる。
お前だけは補い方が分からん。神社にお参りか?
多勢に無勢、だが今は、先に見つけた。
それだけで十分有利だ。
だけど・・・
群れの隙間から、 もう一つの影が見えた。
人だった。
知り合いじゃない。
けど多分、新人探索者だ。
そうでなきゃ入り口近くで食われない。
水音の正体が分かった。
食っていたんだ。
「うっ……」
吐き気が込み上げる。
やめろ、今ここで吐いたら死ぬ。
弱気ごと飲み込め。
出口へ向かう通路はここだけ。
引き返して別の群れに当たれば終わる。
戦闘音を聞けば寄ってくる可能性も高い。
今、気づかれていないこの瞬間しかない。
「やるしかない」
全スキルを並列起動。特に投擲のフォーム補正へ心得を厚く回す。
一匹はしゃがんで携帯食料を漁っている。
一匹は短剣を振り回している。
残り一匹は壁にもたれ、て油断していた。
狙うなら最後のあいつ。
石を握り直す。
肩は重い。肘が震える。それでも投げる。
息を吸う。
吐く。
半身だけ出して、低く放る。
綺麗なフォームではなかった。
狙いも甘い。
だが、石は一直線に飛んだ。
気づいたゴブリンがこちらを向く。
遅い。
石が胸骨の真ん中に当たった。
「ギャッ――」
乾いた破裂音。
小柄な身体が後ろへ弾かれ、
咳き込みながら倒れる。
倒し切ってはいない。
でも、それでいい。
数秒止まれば勝ち筋になる。
残り二匹の黄色い目が、同時に俺を捉えた。
もう隠れる意味はない。
斧を握り、壁際から飛び出す。
先に走ってきたのは、携帯食料漁っていた
腹ペコゴブ、次に短剣ゴブ。
理想は短剣の脚を落とすことだが、
選んでいる余裕はない。
敵が集まる前に最短最速で一気に駆け。
腹ペコゴブの脚を落とす。
次に短剣ゴブを捌く。
倒れた一匹が起きる前に形を作る。
「根性見せろ、俺」
走りながら体勢を低くする。
右足で床を捉え、
踏み込みの反力を腰に通し、
腰から肩、肩から腕へと連鎖させる。
斧は腕で振らない。
体ごと運ぶ。
刃が一匹目の腰を捉えた。
予想以上に深い手応え。
右脚どころか下半身ごと裂いた。
「――ッ!」
驚いたのは相手だけじゃない。
俺も目を見開いた。
その代償に、踏み込み過多で顔が流れ、
左頬へ浅い引っかきをもらう。
血が温かい。
だが致命傷ではない。
一匹やる気持ちで捨て身で突っ込んだんだ必要経費。
次へ。
だが、振り抜いた勢いが残っていたのか。
斧の重さが遅れて俺を引っ張る。
制御が遅れ、左へ重心が崩れた。
「やばっ――」
短剣持ちが低く滑り込む。
斧を戻すより速い。
この間合いは両手斧の死角だ。
無理に刃を戻すのをやめ、
柄を縦に立てて胸前に差し込む。
キィン、と高い音。
受けたというより、柄を正面に
滑り込ませただけ。
刃は柄を滑って前腕を掠め、焼ける痛みが走る。
「くそっ……!」
近すぎる。
逃げれば追いつかれる。
背を向けたら終わる。
だから前へ出る。
刃ではなく柄で、胸を突き飛ばす。
ゴブリンの体がわずかに浮き、
短剣の軌道がぶれる。
再び掠めるが、深くは入らない。
その一瞬で十分。
左足を引き、腰を落とす。
柄を短く持ち替え、
斧全体をコンパクトに回転させる。
肩が軋む。
掌の皮が剥けそうに熱い。
でも足と腰で回せば、間に合う。
ゴブリンが再度踏み込む進路へ、
低い軌道で刃を置いた。
脚の反力がが自分から刃へ乗る。
鈍い音。
左脚が断たれ、前のめりに崩れる短剣ゴブ。
振り上げる余裕はない。
残り一匹がいる。
倒れ込んだ頭を左足で踏み抜く。
骨が砕ける感触が靴底越しに伝わり、
すぐ霧散した。
「あと一匹、どこだ!」
探索者の死体の方を見る。
いない・・・。
上から気配、次の瞬間。
見上げるより早く、
最後のゴブリンが顔面へ覆いかぶさってきた。
斧を手放し、両腕で喉を守る。
組み付かれ、重心を崩され、
一緒に後ろへ倒れた。
完璧に組み付いて剝れない、他のより力強い。
口元は血で真っ赤だった。
さっきの探索者のものだ。
匂いが鼻腔に貼りつく。
目を逸らすと終わる、脳が嫌な想像を始める。
考えるな。
今は生きろ。
雑念で魔力の流れが乱れる。
強化の膜が薄くなる。
喉を守るため差し出していた右手へ、
ゴブリンの牙が食い込んだ。
とっさに強化を集中して振り払う。
焼けるような痛み。
視界の端で、
親指と人差し指以外がなくなっているのが見えた。
息が止まる。
ゴブリンはそれを見て笑ったみたいに
口を歪める。
遊んでいる。
返り血の量、力の重さ、間合いの取り方。
こいつは他と違う。
探索者を喰って、レベルが上がっている個体だ。
奴は俺の右手を掴み、
見せつけるようにもう一度口へ運ぼうとした。
そのにやついた顔が・・・
裏切ったクソ兄貴の顔に重なった。
「クソが」
自分の中のスイッチを入れるように悪態をつき
恐怖が怒りに塗り替わる。
食いたいなら食わせてやる。
その代わり、特大のお代わりだ。
スキルを全開にし、
引かれる力に逆らわず身体ごと寄せて、
前腕と拳を一直線に固定し、
残った右拳を叩き込む。
衝撃が抜け、
ゴブリンが横へ弾き飛ぶ。
俺はすぐ立つ。
立てるうちに立つ。
吹き飛んだゴブリンが苦しそうに転がっている。
魔力で強化されてるとはいえ、ただのパンチの割に飛びすぎだ。
何故?
違和感が繋がる。
投石での昏倒。
踏み込み斬りの過剰な威力。
踏み潰しでの頭部破砕。
今の拳の威力。
今回の戦闘、俺は最初から死の緊張で固まる体を
[心得]に全て預けていた。
訓練場で掴んだ半歩は。
地面反力を通す[脚]の感覚。
斧だけじゃなく、異常な威力の[拳]。
[冒険者の心得]は
武器全般の扱いが上手くなるスキルだ。
拳に補正が乗ってもおかしくない。
詳しい理屈は後でいい。
生きて帰るのが先。
死ねば全部腐って終わるだけだ。
ゴブリンが起き上がる。
[オートリペア]で止血だけ済ませる。
この右手で斧を両手保持できない。
欠損した右手が震えてる。
「バカが、日和るな」
もう一度スイッチを入れるように
自分に喝を入れる
生きて帰れば治せる。
そう言い聞かせる。
体格差でリーチは俺が上。
やることは明白だ。
食おうとして殴られた右手をわざと見せ。
挑発する。
「おら来いよ。更にお代わり欲しいか?」
「ギャァァァッ!」
「怒んなよ。頂きますだろが」
俺の内側でも怒りが煮える。
でも頭は冷やす。
全身強化。
心得起動。
拳と脚を武器として意識する。
餌のように欠損した右手を前に突き出し構えた。
右手と右足を前に出し、
左足を引き、左手を胸元に引く。
腰を落とし、肘は伸ばし切らない。
自分からは飛び込まない。
相手の突進に合わせる。
カウンターで相手を叩くのは拳でも変わらない。
ゴブリンが餌に食いつくように間合いに
踏み込む。
その瞬間、
俺も半歩、前へ。
逃げる一歩じゃない。
ぶつける一歩だ。
接触の瞬間、拳を押し込まない。
沈めていた腰を前へ送り、
体重移動で「通す」。
胸に触れた右拳へ、
脚の踏み込みの力が一本の杭みたいに集まる。
鈍い衝撃。
腕から肩へ抜ける手応え。
ゴブリンの勢いが真正面で止まり、
次の瞬間、弾かれたように後方へ飛んだ。
二度転がって、霧散。
残ったのは魔石だけだった。
「はっ……はっ……上出来だ」
膝が笑う。
今にも倒れそうになるのを、壁に手をついて堪える。
「まだダンジョンの中だぞ。死ぬぞ、俺」
なけなしの魔力を[オートリペア]へ回す。
傷口と欠損部位の再生を最優先。
ゴブリンの口でやられた傷は感染が怖い。
聞いたことはなくても、怖いものは怖い。
魔石を回収し、探索者の遺体からドッグタグを拾う。
頭を下げる余裕もない。
それでも心の中で謝って、出口へ急いだ。
◆
階段を上がり、ゼロ層を抜け、
半円の門を出た先で見たギルドの灯りがやたら
眩しかった。
ドッグタグを渡し、
遺体搬送と報告の手続きを終える。
時間はかかったが、その分、治療まで無料で受けられた。タダで。
お前は自己修復があるだろって?
貰えるものは貰う。タダは正義だ。
宿へ戻って扉を開ける。
「……ただいま」
返事はない。
それでも言う。
チロがケージの扉を小さく掻いている。
ご飯の催促か、血の匂いが気になるのか。
近づいてきたチロは鼻をひくつかせ、
いつものようにバッグのサイドポケットを
齧り始めた。
その姿を見て、ようやく息が抜ける。
俺は床に座り込んだ。
「生きて帰れた。成長もできた。……死ぬかと思った」
追放されたあの日の俺から、
確かに半歩は進めた実感がある。
今日は、これでいい。
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