第2話 ただいま、誰もいない部屋
洞窟の1層から、0層の地上へ上がるまで、俺はずっと口を閉じていた。
言葉を出すたびに、喉の奥で何かが逆戻りしそうになる気がしたからだ。
吐き気でも、怒りでもない。名前のない感情が、胃のあたりで
塊になっている。
半円の門を抜けて外へ出て、ギルドの受付で手続きを済ませ、宿へ続く廊下へ入る。
どこかで、軽口を叩き合う探索者の声がした気がした。
笑いの起伏がはっきり聞こえる。
自分とは別の時間の、別の湿度の話をしている。
荷物は出発時と同じ重さで、土産話になるようなものは何一つ増えていない。
今の俺には、増えてほしかったものが、増えなかった。
扉を開け、リュックを床に下ろす。
「ただいま」
返事が返るはずもないのに、口が勝手に動いた。
昔テレビで観た「誰がいなくてもただいまは言ったほうがいい」
なんて話を。
父さんが真面目に取り入れて、家族の癖にした名残だ。
脳裏に、父さんと母さんとそれから
クソ兄貴の顔がちらつく。
眉間に力が入り、胸の奥がどす黒く濁っていく。
「……クソ」
怒りに呑まれる寸前だった。
そのとき、ベッドの下から小さな鳴き声がした。
「ぷぅ、ぷぅ、ぷぅ、ぷぷ」
覗き込むと、チンチラが丸まっていた。
「ただいま」
何を言っているのか、自分でも分からない。
とにかく声を返す。
チンチラは俺のバッグに近づき、お気に入りのサイドポケットに潜り込んで、
中を齧り始めた。
俺よりおまけで付いていたポケットのほうが大事らしい。
返事して損した気分。
それと同時に、さっきまで胸に詰まっていた鬱屈が、わずかに薄れる。
本当にわずかだが。
「……ふぅ」
息をつく。
「とりあえずご飯にするか」
追放された当日の俺に、贅沢はない。
プレーンのパンとサプリメントで腹を満たす。
麦茶をお湯で割ったもので喉を潤す。
貧乏くさい。でも香ばしさが際立って、意外とうまい。
重層化で節約生活が始まって以来の強い味方だ。
さっきからバックのサイドポケットに
潜っているこのチンチラの名前はチロ。
被災後の仮住まいの近くの森で見つけてから。
世話をしていたら、懐いた。
最初は「野生のデカいネズミか」と思って驚いた。
調べたらチンチラの子供だった。
重層化のあおりで飼えなくなった人間が、森に捨てたんだろう。
本人はイキイキしていたが、
冬に放置されていたら終わっていたぞ、お前。
近づいてきたので少しお腹をマッサージしてやると、
相変わらず独特の鳴き声でぷぅぷぅ鳴く。
高校を卒業して、この九州第七重層区へ引っ越す前。
地元で挨拶回りをしていたら、いつの間にか荷物に紛れ込んでいた。
電車の中で。
荷物からぷぅぷぅと、アラームみたいな鳴き声がしたと思ったら、チロだった。
移動費だってバカにならない、その場で諦めて連れてきた。
俺もチロも。
家族だと思っていた奴に裏切られて、森で出会っ、打ち解けた。
人間不信になった俺が、どこかで生き物の暖かさを欲していたのかもしれない。
チロのおかげで、また他人と関われるようになった。
パーティとしてハヤトたちと仲良くなり、
探索者として地に足がついてきたところだった。
現実は無常で。
今度は能力不足という形で、追放された。
「だからって、捨てられた側が全部納得できるかよ。な?、チロ」
リオには申し訳ない。
速度で足を引っ張っていたのも、分かっている。
「……だからって、いきなり追放せず、意見交換くらいしてくれよ」
言葉と一緒に、涙がこぼれた。
泣いている自分が情けない。
無能な自分も。
それが理由で追い出されて泣く自分も。
マッサージが止まると、チロが膝元まで寄ってきた。
小さな両手を俺の膝に乗せて、ぷぅぷぅ鳴く。
泣いたせいで心配させたのかもしれない。
「大丈夫だよ」
声が震える。
「少しチロの鳴き声を真似しただけだよ」
憎まれ口で返すと、そのままお気に入りのベッドの下に潜っていった。
「心配してくれてたのかと思ったら、マッサージの催促だったのかもな」
瞼を赤く腫らしながら、苦笑いする。
「明日からは大変だ」
唇が乾いている。
「時間は待ってくれないし、蓄えはあるが、余裕はない」
それに。
「金が無くなってお前を捨てたクソ飼い主と一緒の事したら、
あの兄貴とも一緒になっちまう」
俺は、ギルドでもらった鑑定の写しに載った
自分のステータスを、もう一度目で追った。
【熊谷朔太郎 Lv3】
攻撃 B
耐久 A
器用 C
敏捷 D
魔力 B
幸運 F
スキル:オートリペアLv1/冒険者の一つの心得
意外かもしれないが。
公開されているステータス平均値と比べれば、恵まれているほうだ。
ギルドで鑑定してもらったときは驚かれて、小躍りしそうになったくらいだ。
スキルは裏切ることがある。ステータスは、そうはならない。
数字は淡々としていて、言い訳を挟まない。
だから探索者は、数字に寄りかかりすぎることもある。
裏打ちされた基礎があれば、そこそこ安定して稼げる。
危険はあるにせよ。
攻撃B。
文句なし。偉いぞ。
耐久A。
非の打ち所がない。状態異常にも効きにくいし、日頃から体が丈夫だ。
ここは誇っていい。天才だぞ。
器用C。
平均。
技巧派でなければ十分だ。
魔力B。
これも文句なし。偉いに越したことない。
魔法を使えない戦士でも、身体強化やスキルに回せる。
ここからが、無常な現実だ。
敏捷D。
今回の追放で腑に落ちた。
速度が低いと、圧倒的にチームプレイに不向きになる。
前衛でも後衛でも、戦場というのはタイミングの束だ。遅れる者は、その束をほどく。
束をほどいた者が悪い、という論理にも見える。
「笑える」
遅くて悪かったな。
世界が俺より早いのが悪い。
幸運F。
効果ははっきりしていないらしいが、運気に直結するなら。
生きている方が不思議なくらいだ。
一番ネックの敏捷Dより下の、最底辺。
まあ。
ここまでの人生、死んでないだけで最低の出来事はいくつもあったが。
スキルだけは、少しだけメンタルが戻るほど自慢できる。
オートリペアlv1
継続回復に加えて再生。
ただの回復スキルじゃなく、複合だ。
これがあってパーティに入れてもらえたまである。
これがなかったら、普通に死んでる。
怪我の回復に加え、欠損の再生。
副次効果として、体感だが体力や魔力の持続回復もあるはずだ。
荷物持ちを兼任していたのは、探索中に
他の連中よりスタミナが持つからだ。
高い耐久と魔力に噛み合った、前衛向けのスキルと言える。
倒れない前衛として。
今日までは、やれていたつもりだった。
冒険者の一つの心得。
武器全般の扱いが上手くなる。
手にした武器について。
今の自分の技術より少し上手い動きを、アシストしてくれる。
一般的には剣術・短剣術・弓術・斧術みたいな専門スキルがある。
俺は探索者になったばかりの頃。
同じ新人講習を受けた、斧術スキルの持ち主と比べた。
明らかに、斧術のほうが効果が良かった。
父と一緒にキャンプや狩猟の手伝いや巻き割りをしてきたから自信があった。
だから、一縷の望みをかけて聞いてみたが。
向こうは普通の初心者斧使いだった。
初心者なのに。
止まっているとはいえ練習用の丸太に、
めり込むぐらい威力が出ていた。
俺は小学生の頃から、敬意を持って斧を扱っていたのに。
無常すぎる。
聞いた手前、反応せざるを得なくて。
「自分も初心者ですが、やはり才能の差なんですねぇ」
なんて言うしかなかった。
さらに無常。
ま、まぁ?
俺の[冒険者の一つの心得]
は斧以外にも使える。
狩猟の解体で使ってたナイフだって、
道端の石だって立派な投擲武器になる。
初期費用の高い弓使いに比べて、石はタダだ。
今なら野生のウサギくらいは、一撃で仕留められる。
……で。
今後はどうソロ活動するべきか、考える。
パーティ時代は、「遅い前衛」を他者が繋いでくれていた。
ソロ時代は、そのつなぎ目を自分が全部担う。
肝は、魔力による身体強化だと思う。
タイマンならじっくり殴り合ってもいい。
相手が複数なら、一体ずつ素早く減らす必要がある。
敏捷が数字で低いとき、体感で一番効くのは
ここだ。
近づくまでに殴られる。逃げられない。
今までは荷物持ちとして。
オートリペアに魔力を割きがちで
持久力を優先していた。
だから魔力による身体強化の練度は低いと思う。
これからは、余剰魔力を身体強化に回して、
攻撃性を上げないと戦えない。
明日は、まずそこからだ。
――探索者ギルドの練習場で。
自慢の体力を生かして身体が覚えるまで
繰り返す。
それが次の一歩になる。
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