第1話 足切りされるクマ
ダンジョンに入って、三十分ほどだった。
俺が膝に手をついて呼吸を整えている最中だった。
別に、ヘロヘロになるほどスタミナを切らした
わけじゃない。
持久戦になりゃ、多分ここの誰にも体力では負けない。
それでも見た目がこうなるのが腹立つ。
背後には、自分以外の四人分の気配がある。
足音だけで誰だかわかる。
だから、この空気もわかってしまった。
「悪い、熊谷。お前、もう無理だわ」
ハヤトの声は、できるだけ優しい口調だった。
けれど、その奥に張りあったのは、
確定事項のような冷たさだった。
いま痛いのは肺で、それは心肺が弱いからじゃない。
「みんなと同じ速さ」に足を合わせるために、
体を無理やり動かした反動だ。
制服の上から着ている安物のプロテクターは、
汗で内側から張りつく。
背中のリュックは石でも詰められているみたいに重い。
いや。
詰めているのは、石じゃない。
予備の水。
携帯食。
包帯。
折りたたみスコップ。
ロープ。
懐中電灯。
と手元の両手斧——。
それらを背負いながら、
1層の通路で俺以外の速度に合わせて何度も退却した。
荷物係として背負えるのも、
ぶっ続けで動けるのも、自分の売りだった。
なのに、逃げるのは短距離の加速勝負で、
それが一番きつい。
問題は、俺が「加速度が足りない」側にいることを、
自分も含めて誰もが体感で認識してしまっていることだった。
ダンジョン探索に夢を見すぎた18歳が、
自分の貯金から買える範囲で揃えた、あり合わせ装備一式と
パーティーメンバーの荷物の肩代わり。
見栄えの悪さは、俺だけが桁違いだ。
「熊谷さ、筋力とか耐久は——正直、いいんだよ」
ハヤトは視線だけをずらした。
言い訳を探すときの目だ。
本人は自分でも気づいている。
「スキルもレアだし」
言葉自体は事実だった。
荷物も持てる、前面に出て盾役みたいな
ことだって、持久力にも自信がある。
しかし持久の話をしても意味がないのが、この仕事だった。
「でもさ」
でも、だった。
リーダーは視線だけを終点に運ぶ。
俺の背後に同調を求めるように。
背後で小さく、回復役の女子のヒスイが呟いた。
「足、遅すぎ」
言葉は短い。バカでも分かる。俺でもわかるように。
刺さりやすい形に収まっている。
俺だってRPGゲームだったら
自分のキャラスペックぐらいは眺められる。
筋力と耐久——つまりタンク向きの土台とスタミナは、
平均どころかパーティ内でも頭をひとつ抜ける。
魔力も悪くない。
でも、その横で笑えなくなる項目が一個だけある。
敏捷が、どうにも伸びない。
伸びなくて、
退却戦でそのまんま腐ってるみたいに残る。
今の時代、探索者ステータスの
「総合力」より怖いのが偏りだって聞いた。
総合力より、致命的な弱点のほうだ。
まさに自分で言うのも何だが、自分は弱点が派手だった。
ハヤトは言葉をつなげようとして、視線だけが迷う。
「それにさ、今回の件で——」
「それに今回は隣にいたリオが大怪我をした。
ヒスイの回復魔法が間に合ったから大事にはならなかったけどさ」
はっきり言いきれないハヤトに被せるように
魔法使いのユウマが言った。
言い換えれば、自分の側面に張りついていた
怪我の原因はお前だ、という言い方だった。
いや、その言い方で正しいのかどうかは揺れる。
誰にも悪気はなかった。
悪気がないだけに、より残酷だった。
リオが小さく手をあげて、宥めるみたいに言った。
「ユウマくん、怪我の事はもう大丈夫だから」
ユウマが短く応じる。
「いいや、リオ」
声は低いままだった。
怒鳴っているわけじゃない。
ただ平坦な声音、それくらい低いときだ。
「これはパーティ全体の安全に関わる事だ。」
魔法使いのユウマと、槍使いのリオが言い争っている。
回復担当のヒスイは、その成り行きを見ていた。
補助の立場があるからこそ、「言わない」を選べるときもある。
すぐに誰かが同調するとパーティーの雰囲気が割れるからだ。
民主主義万歳ってやつだな。
まぁその民主主義の多数決で俺は今、捨てられそうになってるけど。
リーダーのハヤトはすでに決めていた。
顔は申し訳なさそうに疲れた表情をしていた。
今回。
自分の足が遅いことが、自分以外の怪我に変換された。
ただの怪我じゃなかった。
足が遅いから、ヒスイの回復にも魔力を消費させたし、
ユウマの索敵の負荷も増えただろう。
リオは身を張って、
モンスターと自分の間に割って入った。
全部を一本の線で結んで「自分のせい」
と言えるほど、この世界は便利じゃなかった。
けれど、結局それは自分の名前の付近へ戻ってくる。
今回の結果が、今までの欠点の総決算になった。
それだけの話だ。
異世界と地球がぶつかり、
日本は北海道から九州まで順に7か所が
異世界と重なった災害から——1年。
その現象を、ニュースは「重層化」と呼んだ。
現場では、土地全体をひとまとめに「重層区」と呼んでいる。
局所的に姿を現した異世界の皮膜が、都市の上に重なり、
下に潜り、生活の横に居座る。
そこから出るのは魔石。
魔力。
未知の素材。
魔物の氾濫。
地上の人間にとって、それは災害でもあり、産業でもある。
探索者という職業は、ガラが悪く見えるときもあるが、
国境のようなところに立たされる事もある。
金。
名誉。
そして、その裏にある
「自分の街区を自分で守れるかもしれない」
という自己欺瞞。
俺みたいな若い奴でも、
探索者登録できれば低階層には入れる。
部活感覚のやつ。
稼ぎ頭の親に背中を叩かれたやつ。
配信と相性がいいので、
自分を商品にしているやつ。
あらゆる理由で、
ギルドや街のある弧の外側から、
半円状の壁に開いた門をくぐり、
重層区域のゼロ層へ足を運ぶ連中が増え続けた。
説明ぶるなら、
その区域はは元地球の上にいくつか重なった
管理区域――
「逃げる時に足引っ張る奴がいると、全員死ぬんだ」
現実逃避から引き戻される。
ハヤトの声は——正しかった。
腹が立つくらい、正しい。
低階層で出る魔物個体自体はいくらか弱い。
ゴブリン。
コボルト。
スライム。
角兎。
骨鼠。
油断しないなら高校生でも死なない類だ。
ただ、その「油断しない」が前提で、
問題は複数だった。
数がいるとき。
追い込まれた通路のとき。
逃げられる速度が揃ってないとき。
弱くても、群れになると別物になる。
群れになると、そのまま処理能力を奪ってくる。
そういうとき、足が遅い奴は
単位時間あたりの負担を増やす。
スタミナの底が深くても、
置いていかれたら終わりだから話にならない。
負担は回復にも索敵にも攻撃にも回るから、
総額だけ見るなら自分が原因の
ときもあった。
リオの怪我は偶然かもしれない。
リオが庇ったのだから、
自分の判断が良かったとは言えなかった。
そして今、偶然と必然の見分けより
先に決まっているのが、結果だった。
ハヤトは言い終えてしまうことが怖いのだろう。
だから、言葉だけは丁寧にした。
だから、腹の底は冷える。
「だから、ここで抜けてくれ。まだ一層だし
危険はない、帰り道は分かるだろ?」
ハヤトが諭すように
「足切りみたいで悪いな」
ユウマが淡々と事実を
「足切りのクマって二つ名みたいで
ちょっとカッコイイかも」
空気を明るくしたいのか茶化してヒスイが
各々心優しい一言プレゼントをくれて背を向け歩き始めた。
最後の、リオが振り返る。
怪我のあった側の手足を隠しながら。
「ごめんなさい、クマくん」
胸の奥が、少しだけ冷える。
捨てるなら早く行ってくれ、
いっそのこと情を見せないでほしかった。
探索者には短い呼び方がいいという文化があるらしい。
探索者登録にも、希望の呼び名を載せられる。
まあ、俺は。
クマ。
熊谷だから、クマ。
皮肉だ。
自然界の熊ほうが、ステータスを持ってる俺よりより素早い。
現実の熊より遅いのに、名前だけはクマ。
皮肉が笑いになるには、自分の頭がまだ元気すぎる。
「……分かった」
俺はそれだけ言った。
怒鳴らなかった。
すがりつかなかった。
全員、悪いやつだったわけじゃなかった。
1か月、根気強く探索を続けてくれた。
歩み寄ってくれた。
だから、この結末が自分に返ってくる。
足音が遠ざかる。
薄い灯りだけが残る通路に、静けさだけが残った。
壁には青白い苔が発光していた。
湿気は肌に張りつく。
匂いは鉄と土と、カビの混ぜ物みたいに重い。
「まただ……」
喉の奥で、自分の舌が自分を刺すみたいに言った。
家族から見限られた後は、
今度は気が知れたはずの仲間たちからだった。
ここは九州第七重層区。
地図の上じゃ、半円状の壁と門で内外が区切られている。
弧の外側に探索者ギルドも店も宿も並ぶ、いわゆるダンジョン都市。
門をくぐって半円の内側に入ったところが、
紙の上では重層区域と呼ばれる。
見慣れた地方都市の残骸の横に、別の産業都市が増殖したような景色。
今の方が災害前より栄えてるのは笑える。
0層と呼ばれるゲートの内側は、元の地球の地面とほぼ同じ。
それでもダンジョンから滲んだ魔力のせいか、魔草は生えるし、
小型の魔物が湧き出ることだってある。
けれど世間が怯えるほどの迷宮本体は、
階段を降りたあと――1層の洞窟からだ。
テレビの説明では、森でも洞窟でもない
――ただ複雑な通路の束、みたいにまとめられがちだ。
本当はゲートごとに入口が違う。
ここの入り口は岩肌で、踏み入れた1層は洞窟だった。
どの口から入っても、最後は同じ結論にぶつかる。
迷子になったら終わり、という。
俺の地元は佐賀の田舎で、ある朝、
異世界が重なるようにして消えた。
住む場所も、親も、生活の手順も。
土地の名前すら、メディアの地図から外れると消えた。
代わりに残ったのは、制度と補助金と、親族が、ひとり。
国からくる支援金をほとんど持っていったクソ兄貴。
それからの言葉は、捨て台詞だった。
役に立たなくても、支援金ぐらいは回ってくるな——みたいな。
なけなしの金でブーメランでもプレゼントしてやろうかと思った。
避難所でニュースを見たとき、内容が入ってこなかった。
頭の処理が追いつかなかったが、事実だけが転がっていた。
実家があるはずだった座標には、異世界の端が張りついている。
自分勝手だが、もう少しズレて現れてくれたらと何度も思った。
俺は修学旅行の途中だった。
兄は大学にいたから助かった。
助かった俺たちは、両親の終わりを
背負う形になった。
それでも、全てを諦めたわけじゃなかった。
だってそうだろ。
現実に漫画みたいな奇跡が起きて、
何も無くなった自分でも、
まだ漫画の主人公みたいな人生を掴む
チャンスがあるかもしれない。
誰だって自分の中に憧れた
ヒーローがいるはずだ。
スポーツ選手、格闘家、俳優、声優、インフルエンサー。
テレビや漫画の中で活躍する、
手に届かない存在になれるチャンス。
重層化は災害と同時に、人類の進化だって言われ始めた。
避難所の薄い画面の中では、
アナウンサーが慎重な言葉を選びながら、
「モンスターとの交戦後に、
一部の人間で身体能力の変化が報告されている」と繋いでいた。
巷ではもっと雑で、ゲームみたいだと笑われた。
ステータスだのスキルだの、数字が見えるだの。
災害が起きて少ししてから、
ニュースやSNSで回り始めた動画があった。
バカみたいな腕力でモンスターを倒す男。
謎の光で人々を癒す女。
ネットでは勇者だの聖女だの、
浮かれ切った反応で溢れた。
だけど。
憔悴した自分の精神は、
それ以外を考えられないくらい視界が狭かった。
理性で止めていたつもりだったが、両親の死の
行き場のない悲しみと、
自分を裏切ってのうのうと生きてる兄貴への怒りと、
少し残った童心が、体の奥で 「これしかない」 と叫んでいた。
高校を何とか卒業したあと——少ない荷物をまとめ、
土地の所有権を国に譲渡し代わりに
ここ九州第七重層区の探索者用のアパート
1室を手に入れ移り住んだ。
探索者になるのは自分の選択に見える。
今思うと、退路がなかっただけだが。
必死に自分で選んだよう強がった。
だから今もこの場所にも立てた。
立て……たのに。
自分の名前は、ひとつのパーティの外に転がっている。
自分を救う親がいたら泣けたんだろう。
泣いたら自分が弱いと自分で殴ったりもしたんだろう。
全部捨てて寝転がって楽したら、もっと他の道があったのか。
何度も独白した。
だけど転がらない自分がいた。
呼吸が細くなるだけで終わってない自分がいた。
「……帰るか」
リュックの紐を握り直す。
縫い目が自分のひらと擦れる。
重い。
今は自分の荷物だけになったが、
気分のせいかいつもより重く感じた。
悔しい。
悔しいけれど、死ぬよりはいい。
探索者は生きて帰ってくるだけでも評価される。
死んだら馬鹿にすらされず、モンスターの餌になるだけだ。
死なないほうへ、自分の足を転がしていくしかないから。
来た道を、もう一回だけ引きずるように後にした。
空気が冷える。
世界に、自分の足音だけが寂しく聞こえる気がした。
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