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第43話 大演説

「……迷える神の仔らよ。どうか、耳を傾けてほしい」


 大聖堂の正面大階段に設けられた演壇。そこに立つ新教皇クレメンスの第一声が発せられた瞬間。


 シュテルンフェルス大聖堂から半径10キロの範囲にいる領民は、かつて誰も経験したことのない超常の現象に包まれた。


 教皇の声が、ただ大きくなったのではない。


 上空500メートルに張られた逆転層のフタと、最適な距離に配置されて完全に位相を制御された四体のシルフ。


 それらが創り出す「疑似フェーズドアレイスピーカー」を通じ、その声は広場のみならず、街の路地裏から城壁のはるか向こうの農村に至るまで、範囲内の全域に『天から降り注ぐ声』として響き渡ったのだ。


「な、なんだこれは……」

「天から、教皇様の御声が……降ってくる……!」


 広場を埋め尽くす群衆が、その神々しい奇跡の音響に圧倒され、次々とその場に平伏した。

 クレメンスは、空気を震わせる自らの声に臆することなく、まっすぐに群衆を見すえて演説を続ける。


「昨日まで、このシュテルンフェルスの地をかつてないほどの大雨が打ちすえていた。なぜ、我らが崇める女神は、この聖地にこれほどの雨を降らせたのか」


 水を打ったように静まり返る群衆に向け、教皇は悲痛な声を響かせる。


「それは、神の涙である。この地に巣食う『悪魔の所業』を悲しみ、その穢れを洗い流し、我らを浄化するために流された涙なのだ!」


 クレメンスは振り返り、斜め後ろで護衛として控えていた老家令――アロンソから書類の束を受け取る。そしてそれを、群衆に向けて高く掲げた。


「見よ! これこそが、命を賭して我らのもとへ届けられた、奴の罪を示す動かぬ証しである!」


 天から降る声が、クレメンスの怒りをはらんで空気を震わせる。


「第一の証拠。この裏帳簿を見よ! 金貨と引き換えに司教座や枢機卿の位を買い漁り、神の家を『欲望の競り市』へと変え果てさせた、バルバロスの聖職売買《シモニア》の記録である!」


 金による教会の腐敗。その決定的な告発に、群衆の間からざわめきが起こる。


「第二の証拠! 次にこの署名を見よ。海運利権と財産を奪うためだけに、無抵抗で罪なき一人の女性を殺害させた書簡だ! 彼は人命を、己の欲望を満たすための石ころとしか見ていない!」


 その非道な悪逆に、広場の人々の間に抑えきれない怒りが波のように広がっていく。


 しかし、クレメンスの告発は終わらない。

 彼はトーンを一段階落とし、最も重い、最後の二つの書類を同時に突きつけた。


「そして……これらこそが、女神が最も激怒され、涙を流された最大の理由である」


 天からの声が、低く、重く、街中を圧した。


「一つは、前教皇猊下を毒牙にかけ暗殺させた指図書!

 神の代理人たる御方を殺害し、聖教そのものを乗っ取ろうとした大逆罪!!」


 教皇殺し。


 その信じがたい言葉が響き渡った瞬間、広場は恐怖と驚愕の叫びに包まれる。


 大階段の下で警備のふりをしていたバルバロス派の修道士や聖職者たちでさえ、自分たちが加担させられていた悪事に、顔面を蒼白にして膝から崩れ落ちた。


「そしてもう一つは! 三百年前、女神と共にこの地を護り抜いた英雄の末裔たる、ホッホブルク公爵を暗殺した印璽入りの指図書である!!」


「なんだと……!」

「あのバルバロスが、公爵様を……!」

「療養は、嘘だったのか!」


「聖教の頂点と、このホッホブルクの正当なる主! 女神が愛した両者を己の欲のために手にかけた! これぞ万死に値する、神への最大の冒涜である!!」


 その瞬間、広場の怒りは爆発した。


 教皇殺しに震え上がる聖職者たちと、愛する領主を殺されたホッホブルクの領民や元騎士たちの、恐怖を塗り潰すほどの凄まじい怒号が大聖堂の広場を激しく揺るがした。


「よって、私は新教皇クレメンスの名において宣言する! バルバロスを、レヴィナ聖教より追放し、破門とする!!」


 破門。それは全ての信用と人間としての権利を剥奪される、完全なる社会的な死の宣告であった。天からの声によるその絶対的な宣告に、何者も逆らうことはできない。


 しかしクレメンスの演説はそこでは終わらなかった。

 彼は高く掲げていた書類をゆっくりと下ろし、痛ましげに目を伏せる。


「だが、バルバロスを責めるだけで終わってはならない。彼の差し出す金貨に目がくらみ、あるいは保身のために悪から目を背けてきた我々聖職者全員が、この腐敗を許した共犯者なのだ!」


 教皇自身の口から出た痛切な自己批判に、群衆は息を呑む。


「だからこそ女神は、我々に裁きの雷を落とすのではなく、涙の雨を降らせたのだ! 『これまでの穢れた欲を捨て、ここで真の信仰を取り戻せ』とおっしゃっているのだ!」


 クレメンスは両手を広げ、広場のすべての人々を包み込むように語りかけた。


「共に悔い改めよう。神の慈悲は、過ちを認めるすべての者にある。今日、この涙の雨が上がった空の下で、我らは新たな一歩を踏み出すのだ!」


 天から降り注ぐその声は、恐怖で支配するのではなく、深い慈愛と力強い決意に満ちていた。


「盲目的に従うのではない。

 自らの頭で考え、手を取り合うのだ。

 人の自律。それこそが、

 "Reformatio in capite et in membris"

 『頭と手足における改革』!

 これより聖教が取り戻すべき、改革の礎である!!」


 バルバロスの金や恐怖に縛られていた聖職者たちは、次々と石畳に額を擦りつけ、涙を流しながら祈りを捧げ始めた。


 群衆もまた、新教皇の圧倒的なカリスマと深い慈愛に打たれ、熱狂的な賛美の声を上げる。


 背後で控えるアロンソは、万感の思いでその光景を見守っていた。


(……見事です、教皇猊下。そして、レヴィ嬢。いや、女神レヴィナ様……あなたが起こしたこの奇跡が、人々の心を一つに導いている)


 広場が祈りと涙に包まれる中。

 その神聖な空気を引き裂くように、大階段の下から狂気に満ちた怒号が上がった。


「ふざけるなァッ! 教皇を殺せ!!」


 群衆が悲鳴を上げて分かたれる。


 警備に当たっていた聖堂騎士団たちが、一斉に剣を抜き、演壇のクレメンスへと向かい始めたのだ。


 バルバロスの金で買収され、数々の暗殺に加担してきた彼らは、破門宣告によって自らの破滅を悟った。

 ならばせめてこの忌々しい新教皇を道連れにしてやる、と狂乱のままに大階段へと押し寄せてくる。


「……血迷ったか!」

 アロンソがクレメンスを背後にかばう。

 身体を半身にずらし、両腕を上げて掌を相手に向ける独特の構えを取った。


 だが、その時。


 教皇クレメンスが、アロンソを制して自ら前へと進み出た。


「猊下!?」


 驚くアロンソの前で、クレメンスは演壇の陰から、一つの『盾』を取り出した。


 長年の戦いを経た無数の傷が刻まれながらも、燃えるように鮮やかな真紅の塗装を保つ盾。


「 退けぇッ! 神に弓引く逆賊ども!!」


 クレメンスは赤い盾を高く掲げ、腹の底から広場を震わせるような大声を張り上げた。

 女神の奇跡を通じ、その声が半径10キロの全域へと轟く。


「この盾は神域で女神様から直接賜った、かつての精霊騎士団長、聖レオニーが遺されし聖遺物!  誇り高い『赤き盾』である!」


 聖レオニー。

 かつてこの地を大軍から護り抜き、女神と共に戦ったという軍神と、その遺産。それを手にした新教皇の威容に、殺到した聖堂騎士たちの動きがピタリと止まる。


 まっすぐに逆徒たちを睨み据え、新教皇は強い信念で言い放つ。


「軍神が護ったこの地を、これ以上穢させはしない! 私は民の殿《しんがり》となる!」


 三百年の時を超え、かつての英雄の遺志が、新教皇の手によって再び赤き光を放った。

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