第42話 位相配列
日が落ちた頃、わたしはアジトの倉庫へと戻ってきた。
アロンソさんは「教皇様の護衛に残る」と言って、そのまま大聖堂に留まることになったから、帰りはわたしだけだ。
(一人だし早く帰りたかったから、こっそり空を飛んできちゃったけど)
途中、上空からバルバロスの屋敷を見下ろしてみたけど、特に騒ぎが起きている様子はなかった。金庫から決定的な証拠が盗み出されたことに、まだ気づいていないようだ。
……時間の問題だとは思うけどね。
アジトの扉を開けて中に入ると、カイル、ザンク、そしてミレイユちゃんが顔を上げた。
「おかえりなさい、レヴィ。……あれ、爺やは?」
ミレイユちゃんが、わたしの背後を探すようにして心配そうな声を出す。
「アロンソさんは、教皇の護衛に残ったわ。ほら、クレメンスさんと歳も近いし、おじいさん同士で色々と話もあるんじゃないかな」
わたしがそう言って微笑むと、ミレイユちゃんは「そっか……」となんとなく納得した様子で表情を緩めた。
私欲じゃなくて、若い人たちの未来を考えて少しでも世の中を良くしていこうとする年長者には、本当に頭が下がるね。
全員が無事に揃ったところで、わたしたちは街の地図を広げ、明日の予定を最終確認した。
「明日、教皇猊下が大聖堂の広場で演説を行い、バルバロスを正式に『破門』にする。俺たちはそれを機に、バルバロス邸を制圧する」
カイルが地図上の屋敷を強く指差した。
当初の予定では、ミレイユちゃんは教皇の護衛に回るはずだった。しかし、アロンソさんがその役目を引き受けてくれたため、彼女もカイルやザンクの制圧組に合流することになったのだ。
「若、元ホッホブルクの騎士たちもこちらについてくれるでしょう」
ザンクが腕を組みながら言う。
「ああ。暴力で制圧するのは最後だ。まずはこちらの正当性を伝えて投降するよう呼びかける。屋敷を無力化できたら、そのまま城の奪還に向かう。
こちらもおそらく戦うようなことはないと思うけれど……城には聖堂騎士団もいる。油断はできないぞ」
カイルの顔は、以前よりも少しだけ、人の上に立つ者の片鱗が見えているように思えた。
「ところで、レヴィ」
ふと、カイルが不思議そうな顔でわたしを見た。
「大聖堂での演説で教皇猊下が破門を宣言したとして……どうやってそれを、こっちにすぐ伝えるんだ? 伝令を走らせるにしても時間がかかるだろ」
その問いに、わたしはニッコリと笑顔を向けた。
「ああ、それなら『すぐわかる』から大丈夫よ」
「……? まあ、レヴィがわかるって言うならいいか」
どうやら彼らは、バルバロス邸の制圧に向かう直前まで、近くの酒場か店に身を潜めて待機するらしい。
「わたしは色んなところを飛び回って、みんなのサポートをするわね」
「ああ。……みんな、明日で決着をつける。最後まで絶対に気を抜くなよ」
カイルの力強い言葉に、わたしたちは無言で深くうなずき合い、明日に備えて早めに休むことにした。
◇
深夜。
静まり返ったアジトの個室で、わたしは明日のための『仕組み』を頭の中で緻密に計算していた。
(よし、これでいこう)
中空に向かってそっと呼びかける。
『シルフ』
ふわりと空気が揺れる。淡く光る蝶が集まって、次々と人の上半身の形をとった。
六体。
これが、今のわたしが一度に呼べるシルフの限界。
この六体に完璧な役割を割り当てる。
『明日の正午から、大聖堂前広場で新教皇の大演説があるわ。その声を、可能な限り遠く、広い範囲に届けてほしいの』
『ええ、わかったわ』
『私たちに、何をさせたいのかしら?』
『それぞれに役割を与えるわね。まず一人は『マイク役』。教皇の口元に待機して声の波形データを拾い、それを『念話』でほかのシルフたちへ瞬時に転送して』
『任せてちょうだい。正確に拾い上げてみせるわ』
『もう一人は『逆転層生成役』。広場から半径10キロの上空500メートルに、温かい空気の層を作って。音が上空へ逃げないための『逆転層のフタ』を維持するの』
『ふふっ、お安い御用よ。極上の温かいフタを用意してあげる』
『残る四人は『スピーカー役』よ。広場の上空を中心に一人、そこから正三角形を描くよう、正確に5キロメートルずつ離して残りの三人を配置するわ』
四体のシルフが、真剣な様子で瞬きを繰り返す。
『四人それぞれが担当区域を受け持って。送られてくる波形に合わせて発振のタイミングをずらし、それぞれの区域に向かって波面を揃えるの。
隣の区域との境目では、お互いの音が同時に届くように調整して』
上空の逆転層のフタで音を地上側へ曲げ、遠くまで届きやすくする。
さらに音源を最適距離に分散配置したことで、障害物による音のロスも最小限に防げる。
そして、音速の壁を超越する遅延ゼロの『念話』通信と、四つの音響拠点がそれぞれの担当区域へ波面を向け、境界では互いの到達時間と位相を補正することで、理論値で半径10キロ――
シュテルンフェルスの街はおろか近隣の村々に至るまで、新教皇の言葉が「天からの声」として等しく降り注ぐのだ。
まさに『疑似フェーズドアレイスピーカー・システム』の完成、だね。
(前世で最新の『フェーズドアレイ気象レーダー』の仕組みを勉強しておいて良かったよ。まさか電波の波面を制御する考え方を、そのまま音に持ち込むことになるなんてね)
『ふふっ、なんだか面白そうね』
『私たち四人で、とびきり大きな音を遠くまで響かせてあげるわ』
それぞれ楽しそうな大人の微笑みを残して、六体のシルフたちは夜の闇へと溶けるように消えていった。
(頼りにしてるよ、みんな)
わたしは夜明けに向けてそっと目を閉じた。
――そして、運命の演説の日、当日。
◇やさぐれた元女騎士視点
今日、正午から大聖堂前広場で新教皇の演説があるらしい。
私は酒で鈍った頭を振りながら、重い足取りで広場へと向かっていた。腐っても一応、元ホッホブルクの騎士だ。教皇様の演説とあらば、聞きに行かなくてはならない。
「……しかし、本当に降ったな」
空を見上げて独りごちる。
昨日まで、文字通りの大雨がこの街を洗い流していた。
先日の妙な女が言った通りだった。「大雨が降る」と、彼女は確信に満ちた顔で予言していたのだ。
あの時はただの戯言だと思っていたが、実際にあのような嵐が来ると、どうにも胸の奥がざわついて仕方がなかった。
何かが起こる。そんな予感がしてならない。
大聖堂前広場に到着すると、まだ演説が始まるまで時間があるというのに、すでに多くの人々でごった返していた。
皆、淀んだ街の空気に、新たに選ばれた教皇の言葉へすがろうと必死なのだ。
私は人混みの脇の方に陣取り、大聖堂を見上げた。
やがて、正午を知らせる鐘が鳴り響く。
荘厳な法衣をまとった新教皇・クレメンス猊下が、大聖堂の正面大階段の頂上に設えられた演壇へ姿を現した。
広場を埋めつくす群衆が、水を打ったように静まり返る。
――歴史を変える大演説が始まった。




