第41話 神威
真っ暗な地下水路を早足で進み、先行して待機していたカイルとザンクに無事合流した。
道中、あの巨大なヨーロッパオオナマズは姿を現さなかった。シルフがだいぶ奥の支流まで引っ張って誘導してくれたらしい。
(ちょっと申し訳ないけど。ナマズさんごめんね)
内心で手を合わせながら、わたしたちは出口へと向かう。
後ろを歩くアロンソさんは、ミレイユちゃんと小声で何やら話しながら進んでいる。二人の声はどことなく弾んでいて、楽しそうだ。
長年離れ離れになっていた家族が絆を取り戻したようなその空気に、こっちまでほっこりした気持ちになる。
やがて長い石段を登りきり、外への出口の扉を開ける。
時刻はまだ日中で、夕方になる前のようだった。
降り続いていた大雨は、ピークを越えてだいぶ収まってきている。
とはいえ、まだ冷たい雨粒がパラパラと降っていた。
「明日はいよいよ大演説ね。すぐに証拠を渡しに行かないと」
クレメンスさんの様子も見たいし、証拠はわたしが持っていく、と提案する。
抜き取ってきた書類の束を集め、濡れないように羽織っている外套の懐へしっかりとしまい込んだ。
「私も、ご一緒させてください」
ミレイユちゃんたちとアジトへ戻ると思っていたアロンソさんが、静かに進み出た。
「長年、バルバロスの内情を見てきましたから。証拠の説明には、私が役に立つかと」
「そう、助かるわ」
ザンクが「爺さん、これを使いな」と自分の大きな外套を脱いでアロンソさんに渡す。
「ありがとう。あとでアジトで合流ね」
カイルたちにそう伝えると、わたしとアロンソさんの二人は、急ぎ足でシュテルンフェルス大聖堂へと向かった。
大聖堂までは歩いて三十分ほど。町中とはいえ地面はぬかるんでいて歩きづらい。
それでも特に誰の邪魔も入ることなく、わたしたちは無事に大聖堂の裏口へと到着した。
警備の修道士に「教皇様の護衛の方に用がある」と伝える。
しばらく待っていると、見覚えのある顔がひょっこりと現れた。ミストラル号の野郎どもの一人だ。
「おっ、姐さん。お待ちしてやした。こちらです」
男の案内に従い、大聖堂の奥へと進む。歩きながら小声で状況を聞いてみた。
「どう? 変わったことはなかった?」
「ええ。ミレイユの嬢ちゃんと交代した後も、二人ほど怪しい奴らが来やしたよ。もちろん、中に入れる前にとっちめてやりやしたが。毒殺狙いばっかりで、毎度毎度ウンザリしますぜ」
「……本当に、魔窟だね」
呆れながら廊下を進み、厳重に警備された教皇の私室の扉をノックする。
中に入ると、教皇クレメンスが書物から顔を上げた。
「おお……これは」
わたしを見てぱっと顔を輝かせた教皇だったが、隣にいるアロンソさんの姿を見て、ハッとして「め、女……」と言いかけた言葉を飲み込んだ。
「そ、そちらの方は……?」
「こちらはアロンソさん。バルバロスの元で家令をしていて、ミレイユちゃんの保護者みたいな方よ。わたしたちの協力者」
「なんと。あのような男の元にいて、協力してくださっていたとは……」
教皇が驚いた顔をすると、アロンソさんが静かに一礼した。
教皇は笑顔で続ける。
「ミレイユ殿には、勇気をいただきました。こうして正しき心の御方にお会いできたこと、嬉しく思います」
ミレイユちゃんにも配慮した挨拶を聞いて、アロンソさんも笑顔になった。
「教皇さま、証拠品よ」
わたしは外套の懐から書類の束を取り出し、教皇の机の上に広げた。
クレメンスさんは一つひとつの書類にじっくりと目を通していく。
贈収賄の記録や、辺境伯暗殺の書簡。
その顔はみるみるうちに険しくなり、そして最後の書類――前教皇暗殺の指図書を見た瞬間、手がワナワナと震え出した。
「やはり、前教皇猊下を暗殺したのはバルバロスか……! なんという神への冒涜。許されざる大罪だ!」
激しい怒りを込めてテーブルを叩く。
その様子を見て、アロンソさんが静かに尋ねた。
「……バルバロスは、どうなるのでしょうか」
「彼は、破門だ」
教皇が冷徹に言い放つ。
アロンソさんが、短く息を呑んだ。
前にクレメンスさんから聞いたけど、聖教からの破門は単なる追放ではないらしい。すべての社会的信用を失い、この大陸では事実上生きていけなくなる。最も重い刑罰だ。
「明日の大演説で、すべての悪事を白日にさらす。そして我らが聖教は、再出発を果たすのだ」
教皇の瞳には、揺るぎない決意の炎が宿っていた。
◇アロンソ視点
お嬢様が「姉」と慕う、レヴィという女性。
彼女がどのような方なのか気になり、私は大聖堂までついてきた。あのグループの実質的なリーダーなのは明白だが、どうにも不思議な方だ。
見た目は、街にいる可憐な娘のよう。だが、荒くれ者たちも、さらには聖教の頂点である教皇様までもが、彼女に対して深い敬意を持って接していらっしゃる。
(……お嬢様が心を寄せているであろう、あのカイルという少年も気になるが……ひとまずは、安心か)
私は密かに安堵の息を吐く。
お嬢様には、信頼できる立派な仲間がいらっしゃるのだ。
しかし、教皇様のお言葉に私の心は再び引き締まる。バルバロスを破門にする、とのこと。
それはつまり、明日までも、そして演説の時でさえも、教皇様のお命が絶えず狙われ続けるということだ。
「教皇猊下。恐れながら、私も護衛の一人として加えてはいただけないでしょうか」
私は進み出て、深く頭を下げた。
「バルバロスの悪事は、私が一番よく理解しておりますゆえ、演説の補助もできます。それに、私は騎士ではありませんが、徒手格闘術の心得程度はございます」
教皇様と、隣のレヴィ嬢が驚いたように私をご覧になる。
「年寄りは、若い人たちの明るい未来を作る義務があるのです。どうか」
私の決意に、教皇様は笑顔を見せ、快諾してくださった。
「その気高き覚悟、心強い。どうかよろしく頼みます」
その時。私が「若い人たち」と言ったときにレヴィ嬢の顔を見ていたからか、彼女はなぜか、くすっと楽しそうに笑われたのだ。
「ありがとう、紳士様。でも、わたしは大丈夫よ」
レヴィ嬢が微笑まれる。確かに、先ほどの聖堂騎士を倒した身のこなしを拝見すれば、彼女が並の剣士より強いのは分かっているが……。
「姐さん。彼も味方だってんなら、伝えてもいいんじゃねえですか?」
脇に控えていた護衛の騎士が、呆れたようにそう口を挟んだ。
「ん?」
私が首を傾げた、その時。教皇様がなぜか、レヴィ嬢に向かって深く頭を下げ、両手を組み合わせて拝み出されたのだ。
何なのだ。このお嬢さんの正体は、どこかの高貴な王族や、大貴族の令嬢なのか。
レヴィ嬢が、いたずらっぽく微笑まれた。
その瞬間。
密室であるはずの教皇様の私室に、一陣の清浄な風が吹き抜けた。
「……は?」
風が、彼女の青いドレスとオレンジ色の髪をふわりと揺らす。
見開かれる私の目。信じられない、いや、信じてはならないほどの圧倒的な威圧感と、どこまでも澄み切った気配が、彼女の身体から溢れ出していた。
息の止まるような、静寂。
ただ、震える膝を必死に堪えることしかできない。
……明日。
バルバロスは地に落ちる。必ず。




