第40話 忠臣
「爺や……っ!」
ミレイユちゃんが駆け寄った。
爺や!? わたしやカイルが目を白黒させていると、その老紳士は恭しく深く一礼した。
「ミレイユ様の母方の実家、ロラン家で家令を務めておりました、アロンソと申します。今はバルバロスに使われる身ですが……」
どこからどう見ても完璧な『家令』の佇まいだ。
ミレイユちゃんが振り返り、興奮した様子で説明してくれる。
「今まで『情報屋』って言ってたのは、爺や……アロンソからの情報だったんです」
(なるほど。だから海運ギルドの内部事情にやたらと詳しかったのね)
わたしは納得してうなずき、本題に入る。
「バルバロスの金庫にある、悪事の証拠を奪いに来たの」
「そうですか。ですが、時間もありません。移動しながらお話ししましょう」
促されて、わたしたちは小部屋の扉を開けて外へ出た。
薄暗く長い石造りの廊下が、どこまでも続いている。
足音を殺して歩きながら、アロンソさんが小声で口を開く。
「元ホッホブルクの騎士たちが、『大雨の日は出勤を遅らせる』と話しているのを小耳に挟みましてね」
(あ、ザンクの仕込んだ護衛の数を減らす情報だ)
「これは、その日になにか大きな動きがあるのだろうと推測しました。もし厳重な警備を抜けて侵入するなら、正面からではなく、大雨で警戒が薄くなる地下水路からだろうと」
「……なるほど。誰も、雨の日に水路が使われるとは思わないからね」
「左様でございます。ですから、お嬢様たちが来ると予測して、あの部屋で待っていたのです」
……なんて理路整然とした推理だろう。少ない情報から、天候の裏をかいたわたしたちの思考を読み切り、先回りして待機していたのだ。その気配りと頭の良さに、思わず感心してしまった。
「今日は幸い、警備が半数以下になっています。王都から来た聖堂騎士しかおりませんので、今のうちに」
幾つか角を曲がり、ある小部屋のドアを静かに開けた。
全員が中に入り、扉を閉める。
部屋の奥には、壁に埋め込まれるような形で、巨大なタンスのような鉄製の箱が鎮座していた。これがバルバロスの隠し金庫らしい。見たこともないほど複雑なロック機構がいくつも付いている。
「私は鍵を持っていますので」
アロンソさんが懐から鍵の束を取り出し、大きな南京錠に差し込んで回す。ガキン、ガチャッ、と複数のロックが重々しい音を立てて解除された。
「このあと、合言葉で開くワードロックになっているのですが……」
アルファベットの刻まれたダイヤルを回していく。
『g』『o』『d』『d』『e』『s』『s』
「『女神』……とは。神の威光すら己の欲に利用する男らしい、不遜な合言葉ですね。まあ、文字の読めない泥棒除けには最適ですが」
皮肉げにつぶやく。
(同じ文字を重ねると防犯度が跳ね上がるからね……バルバロスも馬鹿じゃないってことか)
ガチャン、と最後に一段と重々しい音がして、分厚い鉄の扉が開いた。
中には、書類の束や手形、証券類などがぎっしりと詰め込まれている。
「よし、手分けして探すぞ!」
カイルの小声の指示で、わたしたちは一斉に金庫の中を漁り始めた。
しばらく息を殺して書類の束をめくっていると――外の廊下からコツコツと重い足音が近づいてくるのが聞こえた。
全員の手がピタリと止まる。
「お任せを」
アロンソさんがそう囁き、素早く小部屋の扉から廊下へと出て、静かに扉を閉めた。
わたしは一人、扉の裏に張り付いて聞き耳を立てる。
「おお、これは警戒ご苦労さまです。外の雨の具合はいかがですか?」
穏やかな声が響いた。
「いやあ、ピークからは少し減りましたが、まだ滝のような雨ですよ。庭に設置してあった式典用の天幕が雨風で壊れてしまって、後片付けが大変でしてね」
相手は聖堂騎士らしい。完全に気を許しているのか、愚痴をこぼしている。
「それは大変ですね。地下の見回りは私がしておきますので、外の警戒をお願いできますか? 後ほど上に行きますので」
「助かります。では、後ほど」
足音が遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなった。
スッと扉が開き、彼が静かに部屋へ滑り込んでくる。完璧な対応だ。
「あった!」
カイルが声を押し殺しながら、束の中から数枚の書類を引き抜いた。
「バルバロスが教会の枢機卿に指示を出した書簡だ! 見返りの金品の額もご丁寧に記されてる。……おい、こっちは前教皇暗殺の指図書だぞ!」
ザンクとミレイユちゃんも、別の束から次々と悪事の証拠になる書類を引っ張り出してきた。
「こっちにはホッホブルク公爵様の殺害計画書があるぜ……」
「……お母様の、殺害を指示した書簡もありました」
ミレイユちゃんの声が微かに震えている。長年の復讐の目的が、今、確かな証拠として彼女の手に握られていた。
わたしも金庫の下段にあったいくつかの書類をざっと改めてみる。
(ふうん……)
その中の小さな一枚の書付に目を留め、誰にもバレないように、すっと胸元に隠した。
「急いで金庫へ書類を戻して、施錠してもらって!」
抜き取った証拠以外を綺麗に戻し、再び複雑なロックをかける。
廊下への扉を少し開けて左右を確認し、「大丈夫そうです」という彼を先頭に、わたしたちは小走りで進入してきた元の小部屋へと向かった。
だけど、目的の部屋へ到達する直前。
曲がり角の向こうから、聖堂騎士が二名、カチャカチャと鎧を鳴らしてこちらへ歩いてくるのが見えた。隠れる場所はない。
わたしはスッと前に進み出ながら、青いドレスのスカートをサイドから太ももの付け根までガバッとたくし上げた。
チラリと見えた絶対領域から、太もものガーターベルトへコイル状に吊るしてあった長鞭を素早く引き抜く。
「なっ……!?」
背後でカイルが思わずガン見して、顔を真っ赤にしている気配がした。ミレイユちゃんは「もうっ」と呆れ、ザンクは小さく口笛を吹いている。
(お子様には刺激が強すぎたかな?)
なんていたずらっぽく考えながら、手首のスナップを利かせて鞭を振るう。
パァァァンッ!!
空気を切り裂くソニックブームの衝撃波が、角を曲がってきた聖堂騎士たちを直撃した。彼らは何が起きたのか理解する間もなく、白目を剥いてその場に崩れ落ちる。
「急ぎましょう」
倒れた騎士を飛び越えて、水路へと通じる小部屋にたどり着いた。
鉄の重い扉を開け、水路へ向かう階段の暗闇が広がるのを確認してからミレイユちゃんが振り返る。
「爺やも一緒に来て!」
だけど彼は静かに首を横に振った。
「私はここに残って、追っ手の時間稼ぎをいたしますので」
「そんなのダメだよ!」
書類を抱えたカイルとザンクの背中を押す。
「長くなりそうだから、二人は先に行ってて!」
「わ、わかった! すぐ来いよ!」
二人が水路の奥へと駆けていくのを見送ってから、ミレイユちゃんが真剣な顔でアロンソさんに向き合った。
「一緒に来て。……お願い」
「もう年ですので。私は、奥さまのところでお仕えします」
穏やかだけれど、頑なに死を覚悟しているアロンソさんの瞳を見て、ミレイユちゃんは首を振った。
「私ね、お姉さんみたいな人もできたし、だいじな仲間もできたし、帰るところができたし……」
その言葉に、彼はこちらへ視線を移す。ニコリと優しく笑うと、スッとお辞儀を返された。
ミレイユちゃんは、少し顔を赤くして、さらに言葉を続ける。
「……好きな人が、できました」
「……」
「ひとりぼっちじゃないから、幸せになるから。だから、生きて見守ってほしい。……爺やは、唯一の家族みたいな人だから!」
笑顔で涙を流すミレイユちゃん。
わたしも、黙って静かにうなずく。
老家令の目が驚きに少しだけ見開かれ、やがてその目尻から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……そこまで言われてしまっては。では、お嬢様がお幸せになったのを見届けてから、奥様へご報告するようにいたしましょうか」
アロンソさんは深く頭を下げ、涙を拭うと、どこか晴れやかな表情で顔を上げる。
わたしたちは三人で水路へと続く暗闇へと足を踏み入れ、扉を閉めた。
---
おかげさまで、本日3万PV&300pts達成となりました。
皆様読んでくださって本当にありがとうございます。心からの感謝を。
活動報告に関連告知を書いておりますので、宜しければお立ち寄りください。




