第38話 地下へ
◇レヴィナ視点
「戻りました。……頼まれていたものも、クレメンス新教皇猊下から預かってきました」
夜更けの道具屋の倉庫。
外套を脱いだミレイユちゃんは、懐から大切そうに古びた羊皮紙の筒を取り出し、ランプの灯る木箱の上に広げた。
「おお! これが例の……!」
カイルとザンクが身を乗り出す。
「うん。三導師様たちが遺した、ホッホブルク地下水路の基本設計図」
ミレイユちゃんが指差した図面には、領地の地下深くに張り巡らされた水脈と、複雑な水路のネットワークが緻密に描かれていた。
図面を覗き込み、現在のバルバロス邸がある位置――『旧造幣局』の跡地へと続くラインを指でなぞる。
「……うん、当たりだね。地下水路の太い分水路が直接、屋敷の地下へと繋がっているわ。というわけで、明日の潜入にはこの地下水路を使うよ」
あっさりと宣言すると、カイルとザンクの顔がさぁっと青ざめた。
「お、おい嘘だろ女神様!? 明日は気象観測庁の予報でも、とんでもない大雨になるんだぞ!?」
カイルが焦ったように声を上げる。
「若の言う通りですぜ姐さん! そんなとんでもねえ大雨の日に地下水路なんか歩いたら、鉄砲水が流れ込んできて一瞬で溺れ死んじまう!!」
荒くれ者であるザンクでさえ、本気でビビって首を横に振っている。
(ああ、そっか。普通はそう思うよね)
「なに言ってるの。ここの地下水路はね、地下水脈から綺麗な水を汲み上げて、地上のため池に送る『上水道』よ」
二人の反応にクスッと笑い、図面をトントンと叩いた。
「下水路みたいに、地上の雨水や泥水が直接流れ込むような構造じゃないわ。だから、外がどれだけ大雨でも地下の水位には関係ない。普通に安全だけど?」
「……じょう、すいどう?」
ザンクは目を白黒させ、完全に固まってしまった。
「雨が降っても地下水路が急に激流になることはないってこと。むしろ敵も『大雨の地下水路なんて危険すぎて誰も来ない』と思うから、警備は手薄になるかもしれません」
ミレイユちゃんが的確に補足してくれると、カイルはほっとしたように息を吐いた。
「……なるほどな。そういう理屈だっていうなら、信じるぜ。ザンクもいいな?」
「お、おう。女神様が大丈夫って言うならいいけどよ……」
ザンクはまだ腑に落ちない顔をしていたが、しぶしぶうなずいた。
「決行は明日の昼過ぎ。雨が一番激しくなる時に合わせて動くよ」
倉庫の小窓から外を見ると、すでにポツポツと冷たい雨が降り始めていた。明日の大雨に向けた、確かな前兆だった。
◇
翌朝。
雨足が次第に強まり始めていた頃、倉庫の向こう――道具屋の店先が、にわかに騒がしくなった。
「おい親父! 怪しい連中を匿っていないだろうな!」
「バルバロス卿の命により、異端者が紛れ込んでいないか見回りをしている! 中を検めさせてもらうぞ!」
(聖堂騎士団……!)
ハッとして武器に手をかけ、息を殺した。バルバロスの息がかかった、あの腐敗した私兵集団だ。
だけど扉の向こうからは、おやっさんの低く落ち着いた声が聞こえてきた。
「滅相もございません、騎士様方。手前どものようなガラクタばかりの道具屋に、そのような命知らずが来るはずもありませんや」
おやっさんはの声は見事なまでに腰が低く、愛想よく、それでいて騎士たちを倉庫へ近づけないように、絶妙な商売人としての立ち回りで彼らを丸め込んでいた。
「……それよりも騎士様方、外は酷い雨でさぁ。お召し物が濡れてしまっては大変だ。どうぞ、こちらの手ぬぐいをお使いくだせえ。よろしければ、上質な油を引いた雨よけの外套も安くしておきやすぜ」
「ほう、気が利くではないか。どれ、見せてみろ」
やがて騎士たちは「うむ、精を出すのだな」と満足げに言い残し、店を出て行った。
遠ざかる足音を聞いて、ようやく安堵の息を吐く。
「……親父、助かったぜ。肝が据わってやがる」
倉庫に戻ってきたおやっさんに、ザンクが心底感心したように感謝を伝える。
「なに、乱暴者相手に商売してりゃ、あの程度の木端役人のあしらい方くらい慣れたもんさ。それよりお前さんたち、これから何かあるんだろ? 怪我だけはするなよ」
おやっさんはニヤッと笑って、送り出してくれようとした。
「おやっさん、これ」
カバンの中から小さな革の小袋を取り出して、彼の掌に置く。
「さっきの感謝の印だよ。わたしが調合した薬のセット。いざっていう時に使ってね」
下町の荒くれ者を相手にする道具屋の親父にとっては、傷を治せる「実用的な特効薬」は役に立つんじゃないかな。
「おお、美人の作った薬たぁありがてえ。大事に使わせてもらうよ」
おやっさんは小袋を懐にしまって、ニッと笑ってみせた。
◇
そして、昼過ぎ。
気象観測庁の予報通り――いや、それ以上の、滝のように降り注ぐ猛烈な大雨がシュテルンフェルスを白く塗り潰していた。
「これから入る水路は迷路みたいに入り組んでるから、私の先導から絶対に遅れないでくださいね」
「ああ、頼むぜミレイユ」
わたしたちは外套を被り、誰の目にもつかない裏路地の奥から、暗く冷たい地下水路へと足を踏み入れた。




